ブログ雑感(第2回) -擦り切れる、ということ

― 風景は、人が見れば見るほど摩耗する。 

宮崎駿「空のいけにえ」(サン=テグジュペリ『人間の土地』解説)より

                                             
 

景とは、絶対的な存在である。それは人間のちっぽけな心情や活動の限界を遥かに超えて厳然とそこに在り、我々はただそれをありのままに受容するしかない。偉大な風景とは、宇宙という広大なキャンバスに描かれた、まさしく神の手による芸術であると言っていい。


しかし、そんな風景でさえも、人が視線を投げかけるだけで、次第にすり減っていく。否、すり減っていくのは風景のほうではない。人間の目が、心が摩耗してゆくのである。






想や意見を述べるというのも、また風景を眺めるのと同じ行為であると言える。眼前に提示された作品が、神の創作から人間の創作へと変化しただけだ。


であるならば、作品もまた、人が感想や意見を語れば語るほど、摩耗していく。否、すり減っていくのは作品そのものではない。人間の語る感想や意見が、心が摩耗してゆくのである。





て、私は発信者である。ある作品を見て、そこで感じたこと、考えたことを、言葉や文字にして表現しようと試みている。いわば、積極的に作品を、人間の心を摩耗させている張本人たちのはしくれだ。


もし私に罪があるとすれば、それは、私の行為によって作品の持つ輝きが擦り切れ、濁ってしまうということをはっきりと自覚しているにも関わらず、その行為をやめようとしないことだ。そんな罪人に対して、果たしてどのような罰が科せられることになるのだろうか、おののきを感じずにはいられない。





が語れば語るほど、作品は摩耗する。


アニメに限らず、ある芸術作品に対する所感を発信しようとしているすべての人間に、これは必ず自覚しておいて欲しい事実である。どんな作品であろうとも、無数の人間が繰り返し鑑賞し、何かを思い、語ろうとすればするほど、その作品は摩耗し、擦り切れ、いつかは消えてなくなってしまう(当然、物理的な意味においてではない)。


ブログを書くというという行為は、その摩耗を促進するべく、積極的に加担する行為である。この意識を多くの人々が自覚したとき、アニメの依って立つ基盤は劇的に変化すると思う。





年の時をこえてなお生き続ける芸術作品がある一方で、1年も経たずに摩耗しきってしまう作品もある。それを選り分けるのが大衆の仕事であり、その選別に耐えうる作品を生みだすのが作り手の仕事だ。選別する側の人間の度量こそが、その時代の文化の深浅を決定づけるのは、自明のことであろう。


視聴者であると同時に発信者たることを選択した人間は、文化の担い手としての覚悟を持つべきである。それが、影響力の無さにかけては右に出るものがないであろう弱小ブロガーの、せめてもの儚い矜持であり、夢であり、決意として、表明しておきたいと思った。






― 他人と同じようなことしか書くことができなかった自分自身への、戒めであり、負け惜しみである。



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この記事へのコメント

神酒原(みきはら)
2009年12月10日 06:01
この記事を読んで最初に思いついたのが、カントの認識でした。
物があって人間がそれを見ている、のではなくて、人間が見て初めて物がそこに存在する、という。
それの派生というか、近い話ですよね。

作品は摩耗する
しかし、摩耗されない作品は人の目に映らない、つまり存在しないので、どんなに素晴らしかろうがその意味はない。
なので、摩耗される事はいい事なのではないか。
僕はなんとなくそう思いました。
ちょっとずれるかも知れませんが、歯ブラシ等の道具は摩耗されてこそのもの。作品に対しても、似たような事が言えるかな。
今考えた思いつきですけど。
おパゲーヌス
2009年12月10日 10:36
大学の哲学の講義を「なんてくだらない」と考えて歴史系に進んだ身としては、カントとか、そのパラドックスのこととか、何が何だかさっぱりですがw

>摩耗されない作品は人の目に映らない
まさにその通りですね。それを意識した上で視聴するのと、まったく無自覚に視聴するのと、その態度を問いたいと思ったわけです。ただの受容体たる視聴者ではなく発信者となったブロガーの方々、とりわけ自分自身に。

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