とある科学の超電磁砲 第11話「木山せんせい」

今回は、あまり自分の感想を書き連ねるのをやめておく。

そのかわりに、先日も雑記で取り上げたばかりの、宮崎駿著「空のいけにえ」(サン=テグジュペリ『人間の土地』解説)の本文を、引用しておきたい。少々長くなるが、今回のレールガンのエピソードを見た後に読むと、感慨深いものがあるだろうと思う。


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 人類のやることは凶暴すぎる。20世紀初頭に生まれたばかりの飛行機械に、才能と野心と労力と資材を注ぎ込み、失敗につぐ失敗にめげず、堕ち、死に、破産し、時に讃えられ、時に嘲けられながら、わずか10年ばかりの間に大量殺戮兵器の主役にしてしまったのである。



 空を飛びたいという人類の夢は、必らずしも平和なものではなく、当初から軍事目的と結びついていた。19世紀に、既に飛行機械は無敵の新兵器として空想科学小説に定着されていたし、実際にライト兄弟は陸軍への売込みに執心し、硬式飛行船の発明家ツェッペリン伯爵が夢見たのは、敵国の心臓部に爆弾の雨を降らす空中艦隊の建設だった。

 1914年に第一次世界大戦が始まった時、トウヒやトネリコ材の骨組に布を張り、針金で補強した凧同然の機体に、最初の機関銃が付けられるまでそう時間はかからなかった。 (中略) 1918年に終戦となるまでに交戦国で生産された軍用機は、17万3千機におよんだのであった。終戦時に任務についていた機数は1万3千。つまり16万余機は戦争期間中に壊れ、燃え尽き、捨てられたのだ。この飛行機に乗っていた若者達はどうなったのだろう。操縦士、機関士、銃手、通信士達は皆おどろく程若く、おどろくべき速さで消耗し死んでいったのだ。

(中略)

 各交戦国は国民の戦意をあおるために、空中戦の戦果を個人名で発表し、英雄を作り上げた。5機以上の敵機を撃墜した者はエースと称えられ、トップエース達は国民的英雄として、今日のプロスポーツ選手のように新聞記事になったのである。欧州の各戦線で戦った国々は、数百名づつのエースを持つ事となった。エース達が挙げた戦果を合計すると、自分の手元の簡単な資料だけで、数万機にのぼってしまう。パラシュートが実用化したのは戦争もずっと終りの頃で、堕ちたらまず戦死だし、堕ちる前に銃弾で死んだパイロットも多かった。それに、一人しか乗らない戦闘機以外の機種には、二人から三名、時には四名以上の乗員をのせたものもあった。いったい、何人死んだのだろう。


(中略)


 戦争が終わり、パイロットに憧れた少年たちは、おくれて生まれたのを悔む事となる。軍隊は縮小され、空への道は絶たれてしまった。航空界は冒険と記録飛行の時代となるが、その飛行士になるにはよほどの幸運が必要だった。旅客飛行は機体そのものが快適というにはほど遠く、市場として成立するには早すぎた。客がいなかったのである。

 英仏米独伊の各国で、いっせいに郵便飛行の事業が国家の支援の下に始められた。速度が鍵だった。鉄道郵便に勝つ速力。機体は軍隊からの払い下げがゴロゴロしていた。飛行機の平和利用とか、本来の目的、とかの言葉ですりかえてはならない。間大戦期に、フランスの航空郵便航路の開拓と維持のため、百名以上の死者を出している事を思うと、その凶暴さに感嘆してしまう。あのフランス人さえがそうだったのだ。

 戦争の時と同じ方法で、飛行機は郵便輸送に向けられた。経営者は将軍達のように国家の威信と人類の進歩を説き、技術者は仕事を得た。パイロット達が、郵便配達の速度を上げることに、意義を感じていたとは思えない。それしか飛ぶ方法がなかった、というのが正解だろう。彼等は飛びたかったのだ。ただし、今度は自在に空中を高速で飛ぶのではなく、一定の針路を確実に、郵便のために安全に飛行するよう要求された。今度の相手は、太陽の中からふいに突進してくる敵機ではなく、雨や霧や嵐だった。雨の日には空中戦はやらなくてすんだのに、郵便飛行は飛ばなければならない。相手は、夜も走り続ける汽車であり、自動車なのだ。彼等は悪天候でも動きつづけている。それよりも速くなければ、存在理由を失ってしまう。

(中略)

 間大戦期のデカダンスの中に、地上の雑事への軽蔑と憧れをかくしつつ、若者達は砂漠へ、雪をいただく山々へと出かけていった。サン=テグジュペリが存在しなかったら、おそらくこの若者達の物語はとうに忘れられていたにちがいない。凶暴に進化する技術史のほんの一頁の、一行分位のエピソードで終っただろう。実際、郵便飛行士が英雄になった時代はほんのわずかの間であり、一代限りの物語にすぎなかったのだ。

 機体は改良され、航法は改善され、飛行はより安全なものになっていく。郵便飛行は実務家達のビジネスに変っていった。そして、また戦争。第一次大戦より、更に大量の若者が、更にシスティマチックに空の大釜に送り込まれ、戦後の大量輸送の準備が進められていく。ブランドを買い漁るツアー客を運ぶ、大量空輸時代へのいけにえが献(ささ)げられたのだ。



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ずいぶん長々と引用してしまったが、この「空のいけにえ」は、本編である『人間の土地』とともに、アニメファンの方々にぜひとも触れておいて欲しかったものだ。本来なら宮崎の作品に関連するカタチで紹介したかったのだけれど、彼はTVアニメを作ってくれないので、うちのブログとしては仕方が無い。今回、科学のあり方が人間の凶暴さという観点から描かれたエピソードだったので、ちょうど良いと思って紹介させて頂いた。


人間の凶暴さというものが、いったいどこに起因しているのか。これは、自分がずっと以前から考えていたテーマである。今回のレールガンを見て、もう一度そのテーマに向き合ってみたいと思った。


人間は、かけがえの無い幾万もの命を、無残に、一瞬に散らしてしまうことも厭わない生き物だ。そんな人間が、誰にも危害は加わらないとか、上司から命令されたとか、あるいは大切な誰かのためだとか、そんな言い逃れの口実を手にした時、どれほど凶暴になり得るか。木山春生は、その戦慄すべき事実を、まざまざと我々に突き付けるキャラクターだ。かつて自身の上司が子供たちを科学の生贄に捧げたのと同じ道を、自分自身もそっくり辿ろうという。


科学は、純粋に無感情であるがゆえに、かえって人間のむきだしの感情をえぐりだす。だがそうしてえぐり出された感情とて、人間の持つ深い深い暗闇の、ほんの一部分にすぎないのだ。。。






あらゆる能力を自在に使いこなして障害を跳ねのけようとする木山の姿は、まるで全方位に鋭い刺を突きだす仙人掌のようだ。ありとあらゆる方向から敵はやってくる、そして救いは自分自身の中にしかない。そう信じて疑わない彼女の心に、本当の救いはやってくるのだろうか。



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