とある科学の超電磁砲 第14話「特別講習」

ニュース速報うぜぇぇー。MXよ・・・


せっかくネットの誤配信を我慢してTVで見てるんだからさぁ、もうちょっと配慮をだな。。。L字速報は選挙と天災だけにして欲しいわ。


とまぁ、そんな大人げないことを言ってはいけませんね。当ブログはさきほど10万ヒットに到達しました。なので今日は機嫌がいいのです。


この場をお借りして、いつもご訪問下さっている読者のみなさま、いつもお世話になっているブロガーのみなさまに、心よりの御礼を申し上げます。


今後も力の限り精いっぱいアニメに取り組み、記事を書いて参ります。今後もどうぞよろしくお願いいたします。


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ということで本編感想。映画タイトルの「戸惑い」の発音に、やっぱり新井里美はいいなぁと改めて痛感した今回のお話は、どうみてもレベルアッパー使用者への懲罰回。罪を犯した子どもたちにちゃんとけじめをつけさせる真面目なストーリー構成に、いたく感銘を受けた。




・仄めかしは予感になり、そして確信へ。


佐天さんがかり出されたと言う特別講習。初春からの伝聞による説明では何のエピソードなのかまったく分からないが、OPの後、けだるい夏の陽気に反してどこかヒヤリとさせられる陰鬱な影を引きずる描写に、だんだんと主題が見えてくるという構成だった。


どこにでもありそうな、面倒くさい休日補習。しかしその意図がどこにあるかというのは、佐天をはじめ参加者は全員、ほぼ見当がついていたようだ。随所に仄めかされる”罪”と”罰”の意識。重福や女番長の存在から、次第にその予感は確信へと変わる。偽善的な態度に映る教師たちの言動に苛立った番長が、その重たい現実を視聴者に突き付ける。


この一連の流れは全然エンターテイメント的ではなかったが、生徒たちの負の感情を視聴者に共感させる巧みな演出には感心した。知らずのうちに佐天たちと視点や意識を共有させられていた、という驚き。


今回の話の肝はもちろん、小萌先生が生徒たちに語りかける励ましのメッセージであるのだが、頑なに閉ざされた生徒たちの心にその言葉が染みわたっていく様は、見事だったと思う。娯楽性を追求する傾向の作品において、ともすれば陳腐になりがちなテーマである。それを、あえて娯楽性をほぼ放棄し、その代わり視聴者の意識を作中に没入させるよう仕向けた脚本と演出の妙があった。




・今回のエピソードの意義、および、罪と罰について


どのような綺麗事を並べようとも、この特別講習は、懲罰以外の何物でも無かったと思う。彼らがどうして集められたかと言えば、それはレベルアッパーを使用したからに他ならないわけで、ただ無自覚な低レベル能力者への奮起を促す企画であったなら、その対象を彼らに限定する必要は無い。彼らは罪を犯した、だからこうして集められたのだ。




ところで、罪に対する罰とは、いったい何であろうか。


犯罪者を罰する法律の背景に、何の道徳や理念の存在も認めず、むしろ非合理的で単純な報復感情こそが刑罰思想の基盤になっていると看破したニーチェの意見に、私は全面的に賛同するものである。法律で定められた刑罰に犯罪抑止力がほとんど無いということは、法律が発明されてから何千年経っても、一向に人類社会から犯罪を駆逐することが出来ていない、という事実を見れば明らかであろう。


ある罪に対して肉体的苦痛をもって罰するのは、罰というものの本質的意義について考えた場合、まったくお門違いの対処法であると言わざるを得ない。それは、犯罪者の犯した罪が、どうして「してはならないこと」なのかを考える暇を与えず、安易で一時的な苦痛をもって罪を贖い、帳消しにしてしまうからだ。


罪とは、間違ったことをした、という自覚である。罰とは、もう二度と同じ過ちを犯さない、と決意させることに意味がある。社会的に定義されている罪(あるいは前科者という称号)とそれに対する刑法上の罰(物理的苦痛)は、社会の共通ルールとして分かりやすく設定しようとしたが故に、本質的な「罪」と「罰」の意味を忘却してしまい、ワケの分からないモノになってしまった、そのなれの果てである。


本来、罪に対する罰とは、ただ良心の呵責でしかあり得ない。罪人に対する最も重たい罰は、彼が何をしたのかを、自分で分からせてやることだ。それ以外の罰は、肉体的な、あるいは精神の表層面に対する苦痛を与えることで、逆に良心の呵責を感じなくて済むよう仕向けるだけでなく、むしろ過ぎた苦痛を与えられたことに対する怨恨から、さらなる過ちに駆り立てさえする。こんな不毛なことはないと思うのだが、それが一向に無くならないのは、人々が、犯罪者が苦しむさまを見たいと願っているからに他ならない。




ところが、世の中には、本来的な意味における”罰”を与えてくれる存在がある。それが親であり、教師である。子どもはしばしば罪を犯す。それは仕方のないことである。それに対して、時には罰として苦痛が与えられることもあろう。しかし愛情に満ちた保護者の与える罰は、どこまでも、彼が何をしたのか、それがどうして”してはならないこと”なのかを、懇懇と説いて聞かせるためのものである。そうして子どもが罪を理解し、二度とそれを繰り返さないことを誓えば、それで罪は許される。この”許される”ということが肝心なのだと、思う。


レベルアッパー編のエピソードを、単純な勧善懲悪のストーリーではなく、あるいは不幸なヒロインを救って見せるだけで終わらせるのでもなく、罪を犯した子どもたちにきちんと罰を与え、許しを与えたということ。そこには、いよいよ人間同士の関わりが希薄になってゆく現代の、あるいは将来の視聴者に対する、とても重要なメッセージが込められている。


宗教や道徳が胡散臭いモノになり果ててから、随分と時が経つ。せっかく古い慣習を破棄したはいいが、かといって新たな思想を築き上げることもできないまま、もたもたと足踏みをしているうちに、どんどん人類の精神はおかしな方向へとねじ曲がりつつあるようだ。我々には、目先の快楽やニセモノの価値に惑わされる前に、もう一度よく、自分が何をしているのかを見つめ直す必要があるのではないか。


今回のエピソードは、そんな自問を呼び起こしてくれた。



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