ダンス イン ザ ヴァンパイア バンド 第2話「ハウリング」

とんでもないアニメが始まったのかな。。。


・本当の意味の「初回」


かなりイレギュラーな構成だった第1話を受けて、この第2話はようやく主人公とヒロインが接点を持ち、かつ作品の基本的な方向性を提示してきた。今回こそが「初回」の名を冠するにふさわしいだろう。


本当に吸血鬼がいたという衝撃。これ自体は漫画やアニメではもはや平凡すぎる設定で、劇中で騒ぎたてている人々の熱狂は、どこか遠くてリアリティに欠ける。


しかし、それなら”ほかの”もいるのでは、という男子生徒のセリフを伏線とし、主人公が記憶喪失であるとの自白を受けて、彼の正体を明かしにかかるクライマックスシーンへのつなげ方は上手かった。設定として、ヴァンパイアと狼男の恋物語というのはなかなか独創性があって面白いと思うが、その特殊性をより印象的に引き立てる構成だった。




・見事な映像クオリティ


まず今回の、動きとしてのアニメーションの質は素晴らしかった。OPのダンスしかり、本編のアクションシーンしかり、今期トップクラスのレベルだったのではないか。


個人的な嗜好を言わせてもらうと、OPダンスのように、アニメーションの細かい部分まで目で追うことが到底不可能な速すぎる動きというのは、あまり好きではない。せっかくの魅力的な動きが、理解しきれないまま通り過ぎていくのがもどかしすぎる。同じことをするにも、もう少しゆっくり動かしてくれた方が、ずっと「すげぇ」って思えるんだけどなぁ。そういう意味では、本編におけるアクションシーンはまだ目で追えるレベルの速さだったので、あれくらいの速度は好きだ。もっと遅くてもいいかもしれない。速さ=クオリティの高さ、という図式は、違うと思うんです。




動き以外の部分については、今作を象徴するような演出が多用されていて、映像面でもきちんと”初回”としての役割を果たしていたと思った。たぶん今後もこういうスタイルの演出なのだろうなぁと思わせる回。


具体的には、まず目につくのは眼球のアップだろうか。これは新房監督らしさとしてよく指摘される部分だが、パースを強く効かせたリアルな眼球は、非常にインパクトがある。しかもこの眼が、セリフや表情以上に多くのものを語っていそうで、注意深く見ておかないといけないかもしれない。少なくともこの眼球だけで、今作を貫くどこかグロテスクでおどろおどろしい雰囲気を完ぺきに表現できてしまっていて、大きな効果があると思う。


それから、極めて写実的な印象の校内背景。おそらく実在する学校をモデルにしてるのであろう、教室や、廊下や、種々の器物の描写は、まるで実写のようなリアルな印象を与えていて、注意を引いた。シャフトと言えばアニメの中に実写のカットや絵を挿入してくる演出がひとつの特徴であるが、そうではなく、実写に酷似した絵を配置してきた点に、何か演出上の意図があるような気がしている。これは次回以降もう少し見ていかないと、なんとも判別できないが。。。おそらく第1話と同様に、画面の中の出来事を思わずリアルなのだと勘違いしてしまいそうな錯覚を、視聴者に味わわせようとしているのかもしれない。




・シャフト演出と今作の考察


シャフト演出の大きな特徴のひとつに、「第四の壁を意識づける」という手法がある。


ふつう物語性をもった作品というのは、そこで行われている出来事や登場人物の心理を、受け手に追体験させる、ということを意図している。そのためアニメでは当然、より写実的に、リアルに思わせることが出来る方が良しとされるわけだ。だが、どんなに工夫しようとしても、結局アニメというのは、画面という平面に表現された疑似的な世界でしかなく、それを完全にリアルな世界に転換させることは不可能である。つまりは”第四の壁”(劇と視聴者との断絶)を乗り越えることは、物理的にまったく無理なのだ。


そこで、アニメーションにはどうしても、視聴者による”追体験”をよりスムーズに行わせられるよう、あえて写実的ではない表現が多分に取り入れられることになる。ギリシア建築のエンタシスよろしく、そっくりに描くよりもなおリアルに見えるよう、あえて写実的でない誇張や矮小化が行われる。シャフト演出は、ある種、そうした非写実的な「見せ方」を独自に追求していった、ひとつの結果であるという側面が、強い。


とくに目立つのは、視聴者を徹底して”画面の外”に置き去りにしてしまう演出だ。「化物語」等でもよく多用されているが、登場人物とそれを映すカメラとの間に、余計なモノ(柱とか遊具)が描き込まれる。ドラマを見せる上では、それがソコにある必要はないどころか、むしろ邪魔でしかないのであるが、しかしそれをあえて強調して描くことで、視聴者は画面の外にいるのだというのを強く意識づける手法だ。あるいは「月詠」「ぱにぽにだっしゅ」でしばしば強調される舞台セットも、同じ手法である。


これをすることでどういった効果が期待されるか。それは、第四の壁を意識することが、そのまま視聴者の”忘我”をうながす、というトコロに帰結すると、私は考えている。すなわち、視聴者にアニメをリアルなものとして体験させるのではなく、あえて非現実のものであることを強調することで、客観的かつ純粋に、作品を鑑賞することができるようになる。作品世界は架空の作り話であり、不可触の存在であって、視聴者はそれを手に取って干渉することはできず、ただただ眺めるしかない。その意識が、逆に視聴者が自身の存在を忘却して、作品世界に没頭するということを可能たらしめる。そういった効果が期待されている演出なのではないだろうか。




ところで、今作は、ところどころにそうしたシャフト演出の残り香を感じさせはするものの、ぱにぽに以来のシャフト作品とは大きくことなる演出法を行っている。それは、先ほど書いたように、画面の中をリアルと錯覚してしまいそうになる表現を、追求しているということだ。第四の壁を意識させるのではなく、それを取り払い、視聴者をその壁の中に引き込もうという意図の演出。第1話の構成はまさにソレだった。第2話における極端に実写的な背景描写も、そうした意図があると思う。


これは、従来のシャフト演出からの大きな転換であると同時に、アニメーションという表現技法の可能性に挑戦するという態度に見える。第四の壁を意識させるのではなく、かといって第四の壁を破る(=いわゆるメタ的表現)というわけでもない。強いて言うなら、作品世界(夢)における果てしのないループによって現実と虚構の境界線をあいまいにし幻惑していく、荘子の”胡蝶の夢”や、それにインスパイアされた種々の作品に、系統としては近いのかもしれない。もちろん、第2話の時点ではとても断言できる話ではなく、次回以降、大きく方向転換する可能性もあるが。


図らずも三枝由紀が、今作をおとぎ話だと称していた(この言及についてだけ言えば、第四の壁をわざと意識させている)。そのおとぎ話を、視聴者の世界と断絶された物語として描くのではなく、視聴者の意識をおとぎ話の中に巧みに取り込み幻惑させる、夢物語。そういった意図の演出を意識して作品が作られて行ったら、非常に面白そうだ。そういった期待感が、現時点ではある。


従来の技法は「化物語」で一応の完成を見たとして、今作では従来とは異なる演出技法を確立させようとしている。そういう意欲作である可能性は、高いと思う。もしそうなら、今後も新房監督は、我々を楽しませてくれそうだ。





にほんブログ村 アニメブログ アニメ感想へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加中です。読んで良かったとちょっとでも思ったら、クリックしてもらえるとやる気でます^^


輝光翼戦記 天空のユミナFD
↑「天空のユミナ」待望のFD発売決定!全力で応援します!

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック