ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド 第7話「イノセント ブラッド」
やはりとんでもなく面白い作品だと思います。ワクチンが出てきた時はさすがにズッコけたけどさw
一連の事件にいったんの幕引きとなった今回。おそらく前半部の最終回という位置づけで、いいのだろう。なので今回の記事は、主役二人について少し掘り下げて考えてみたいと思う。
テーマは、甘さ。アキラにしろミナ姫にしろ、それぞれが抱えている甘さがある。そこから、今作のストーリーの本質部分に、切り込むことができるかもしれないと考えてみた。
・アキラの甘さ ~誰かを守るということ~
前回、教会に立てこもった学生たちが、東雲会長の声に騙されて余りにもあっさり扉を開いてしまったことに、驚き呆れた視聴者は多かっただろう。学園で起こっている事態の深刻さに比して、なんとも危機感の足りていない行動だったと言わざるを得ない。
しかし今回、アルフォンソが指摘したのは、鏑木アキラ自身の甘さであった。考えて見れば当然である。一般学生たちはヴァンパイアの能力や組織構造についてはまったく知るはずが無いし、ましてや現在の状況についての統一的かつ正確な見解など、誰も持ち合わせていなかった。ヴァンパイアと接触したことがあるのは恐らく由紀だけであり、だからこそ彼女が「扉を開けるな」と主張したただ一人の人物であったのだが、敵について唯一知っているアキラがいなくなってしまえば、不安に押しつぶされかけていた学生たちなど、赤子の集団に等しい。事情を知っている我々視聴者からすれば信じられないような考えを抱くのも無理はない。
だからこそ、アキラはあの場所を立ち去るべきではなかった。危機感が決定的に欠落していたのは、他でもないアキラその人である。由紀以外の全員がヴァンパイアに噛まれたのは、彼の失態だ。
しかし彼はこう言い訳するかもしれない。自分は人間に協力して、共にヴァンパイアと戦うことを決めた。だから、戦うための武器が必要だったのだ、と。しかし、それこそが彼の”甘え”である。自分が人間であった頃の思い出にすがり、あくまで人間としての皮をかぶったまま戦おうとした。それだけ、昼の住人としての生活にこだわり続けたのである。きっと、もし武器さえ間に合っていたら、最後の最後まで狼男としての正体を隠し通すつもりだったに違いなく、またそんな中途半端な姿勢でもやれると思っていたのだろう。
アキラの甘さは、責任感の欠如だ。ミナ姫のそばにいようとも、ミナ姫と対立しようとも、その選択の際に本来最優先とするべき目的を差し置いて、自分自身の儚い幸福を選ぼうとした。そんな彼の甘さが、アルフォンソや父によって、はっきりとえぐり出されたのだ。喉元に突きつけられた剣は、そんな息子の甘さを断ちきろうとする、父親の慈愛の刃だったのかもしれない。
アキラが、騎士として生きると言うことがどういうことか、その意味をはっきりと問われたのが、今回のエピソードであった。
・ミナの甘さ ~王としての決意と打算~
今回、ヴァンパイアバンド計画の一応の真意が、明らかにされることとなった。すなわち、一部のヴァンパイアの暴走を抑えきれなくなったヴァンパイア社会が、人間社会との決定的な対立を迫られる事態になることを避けるため、新たな秩序のもとに人と吸血鬼が共存できる道を模索した。そしてその結論として、政治的な意味での吸血鬼の王国を出現させるという判断に至ったということらしい。
テロメアの意図もまだ謎のままだし、他にもどんな設定があるのかはもちろん分からないけれど、仮にこれがバンド計画の真相なのだとして、そう言われれば納得のできる話だ。ミナが断言しているように、人間に寄生して生きるヴァンパイアは所詮は人間というイキモノの亜種でしかなく、人間社会の影で生きるしかない存在だ。もし一部の選民主義者たちが力による人間支配を打ち出したところで、そんなものは愚者どもの浅知恵でしかない。いくら個々人の能力が勝っていようとも、圧倒的なマン・パワーの差を覆せない限り、ヴァンパイア社会が人間社会の上に立つことはありえない。
とはいえ、そうした政治的かつ合理的な判断を下す、為政者としてのミナ・ツェペッシュは、今作のヒロインの半面でしかない。それと同じくらい重要な目的に、ミナ姫自身のささやかな幸福があったというのが、今回のエピソードの核心部分である。
アルフォンソやヴォルフの語るところによれば、ミナ姫は自分自身の最も大切な想いまでも利用して、計画遂行にあたったということだった。だがミナ姫自身の口からは、そこまでの非情さ、冷徹さは感じられない。むしろ、為政者としての務めを果たそうと奮闘する中で、それでも捨てられずに、大切に大切にしまい込んできたひとつの小さな想いがあって、今でもそれに振り回されているのが、ミナ・ツェペッシュという女王の姿なのだろう。
ヴァンパイアの秩序を守るためか、それとも、自分自身の小さな願いをかなえるためか。ヴァンパイアバンド計画に込められたミナ姫の真意は、謎のままである。否、後者のエゴイスティックな想いこそがミナ姫の真意なのではないかと思わせる今回の描写からは、為政者としての責任感や覚悟の甘さが見える。
アキラや他の人間に対して、お前たちに為政者の想いが分かるものかと激しく詰め寄ってきたミナ姫。今回はそんな彼女の、王としての自覚が問われたエピソードでもあった。
・「ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド」という作品
このように、今回決着を見た一連の事件によって、アキラは騎士として、ミナ姫は王としての”甘さ”が浮き彫りになった。しかしその甘さこそが、今作がお伽噺たるゆえんである。二人が、どんなに重たい使命感を背負い、またどんなに忠実に責務をこなそうとも、決して手放そうとしなかった甘さ。その甘さは、自身と愛する人との間に芽生えた小さな幸福への、儚くも美しい願望だ。陰謀渦巻く高度なドラマの中ではともすれば埋没しかねない、ささやかな想いの部分を全力で描こうとしているところに、今作のお伽噺としての矜持がある。
刃を交えあったアキラとミナは、まるでお互いが相手の、そして自分自身の”甘さ”をはっきりと自覚し、立ち向かおうとしているかのようだった。お互いがお互いを傷つけあうことで、彼らは自分自身と戦っていたのである。その結末が、やはり甘さ(=愛)を大切に抱え込む結末となったのは、大変印象的だ。
崩れ落ちる瓦礫からヒロインを守るために、わが身を盾にする主人公。その献身に心を打たれ涙するヒロイン。騎士は心からの愛を忠誠に代えて姫の足下にひざまずき、姫はその忠義に対し信愛の情を持って微笑みかける。
そんな、空想的なロマンスとヒロイズムに満ちた物語として、陰謀劇の最期を愛で締めくくることになったこの作品は、悲劇と希望、運命と意志とが交錯する恋のロマンスを、二人の未熟者が走りぬけた物語だったと、言えるのではないだろうか。
「ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド」は、まさしく、現代に紡がれるお伽噺、ひとつの小さな奇跡の物語であった。

にほんブログ村
↑ランキングに参加中です。拍手の代わりですので、読んで良かったとちょっとでも思ったら、クリックしてもらえるとやる気でます^^
------以下、追記というか、蛇足------
んで、まぁどうしても触らないといけないのが映像面の話。あぁ、ほんとシャフトは、擁護したくてたまらない我々信者に対して、多大な苦労を強いてくるよなぁw もちろんソコも含めて大好きなんだけどねん。
とりあえず、まだよそ様のブログは見回っておりませんが、どうせ批判的なコメントが並んでるんだろうなってのは想像に難くない。「化物語」の記憶が新しいというだけでなく、むしろ今まさに「化物語」第14話が配信されてないっていう現実があるわけで、どうにもこの制作体制は擁護しきれんぞw
少なくとも、今回すごいことをやろうとした回だったというのは、画面から伝わってきたよね?w アクションの端々はハンパない動きだったし、教会が崩れるときの木や瓦礫の描き方とか、やばかったでしょ。今回はさ、それでOKってことにしといて欲しいです。テレビ放映そのものが、いまは本番というよりもDVDの番宣というスタイルで定着してるわけで、ほら、あれだよ、いわゆるひとつの販促版ってやつ^^
ところで、こうしてハイクオリティを目指そうとするがゆえに失敗してしまうというのは、そんなハイクオリティ作品を求める視聴者の存在がまずあって、その視聴者の挑戦に制作者が果敢に挑もうとする、その切磋琢磨があるからこそ起こりえる現象だと思う。
これが、本当にクオリティとかどうでもいい作品で妥協するのなら、創作に息づく魂はそこで死んでしまう。アニメだけでなく全ての作品に言えることですね。高いものを目指そうとする作り手と、高いものを欲しがる受け手が、共同作業で作品を、ひいてはひとつの文化を生み出しているわけだ。
アニメが単なる娯楽の枠を超えてひとつの芸術分野として定着するためには、作り手だけでなく受け手(視聴者)にも高いレベルの感性が要求される。そういう意味で、シャフトが無謀なまでに高い意識で作品を生み出し続けるこの姿勢はアニメの発展にとって絶対に必要だけど、それ以上に、作り手のそんな姿勢を求め受け入れる視聴者層の存在こそが、今後のアニメにとっては必要不可欠だと思う。視聴者諸子においては、その点を重々承知のうえ、今後も暖かく、しかし厳しい目でシャフトを見守り応援していただきたいです。
あと、もしTV放映に間に合わせることができない制作体制を、「仕事なのに」とか「プロなのに」とかいう理屈で問題視する方がいたら、そこは少し考え直して欲しかったりする。というのも、他の多くの職業と違って、作品を作るという仕事は、出来の良し悪しで社会に影響が出ることはそうそうない。飛行機会社が忙しさにかまけてメンテナンスを怠るのと、小説家が締め切りに間に合わないのとでは、社会的責任の質はまるで違うということです。
むしろ創作という分野においては、ほんのわずかでも「より良い作品」を目指すのが、本当のプロ意識だと思う。もちろんエンターテイメントとして安定した面白さを提供するのも大事だけど、安定ではなく常に挑戦し続ける姿勢が求められるのが、創作活動というものだ。
だからこそ、シャフトの一連の不手際は、讃えこそすれ、叩くのは間違っていると言わざるを得ない。いや、もちろんだからといって制作体制に甘えは許されるべきではないし、キャパを越えまくる受注の仕方は明らかにおかしいわけだけど、それとて、視聴者としてはニヤニヤと茶でもすすりながら「あぁ、またやってるなぁ」とでも思っておけば良い。
こんなことでいちいちイライラしていたら人生の損だし、あるいは批判することに快楽を見出してしまったりすれば(人間は往々にしてそういう傾向がある)、それは娯楽作品の視聴態度として本末転倒だろう。
あまりカッカせずに、ゆとりある心でアニメを見ましょう。イラっときたら牛乳一本。牛乳と言えばやっぱりムサシノ。カルシウムを摂取したら、あとはレンタル版を待とうじゃありませんか^^

にほんブログ村
↑記事の最後にこのバナーがないとなんか気持ち悪いので、2個目w 記事本文の感想内容でもいいし、追記のほうでもいいし、読んで良かったとちょっとでも思ったら、クリックして頂けると嬉しいです。拍手の代わりですので。
<追記の追記>
あれ? 今回みんな、思ったよりおとなしい・・・?w
・・・っていうか、完全に見切り発車だったっぽいw くそう、擁護するまでもなく、みんなもう慣れっこだってか。これはこれで悔しいというか、思いっきり恥ずかしいな自分ww
まぁでも、蛇足部分で私のアニメ観的なことを書いたので、もったいないのでこのまま晒しておきます。誰得?ってツッコミは無しの方向でお願いします^^
一連の事件にいったんの幕引きとなった今回。おそらく前半部の最終回という位置づけで、いいのだろう。なので今回の記事は、主役二人について少し掘り下げて考えてみたいと思う。
テーマは、甘さ。アキラにしろミナ姫にしろ、それぞれが抱えている甘さがある。そこから、今作のストーリーの本質部分に、切り込むことができるかもしれないと考えてみた。
・アキラの甘さ ~誰かを守るということ~
前回、教会に立てこもった学生たちが、東雲会長の声に騙されて余りにもあっさり扉を開いてしまったことに、驚き呆れた視聴者は多かっただろう。学園で起こっている事態の深刻さに比して、なんとも危機感の足りていない行動だったと言わざるを得ない。
しかし今回、アルフォンソが指摘したのは、鏑木アキラ自身の甘さであった。考えて見れば当然である。一般学生たちはヴァンパイアの能力や組織構造についてはまったく知るはずが無いし、ましてや現在の状況についての統一的かつ正確な見解など、誰も持ち合わせていなかった。ヴァンパイアと接触したことがあるのは恐らく由紀だけであり、だからこそ彼女が「扉を開けるな」と主張したただ一人の人物であったのだが、敵について唯一知っているアキラがいなくなってしまえば、不安に押しつぶされかけていた学生たちなど、赤子の集団に等しい。事情を知っている我々視聴者からすれば信じられないような考えを抱くのも無理はない。
だからこそ、アキラはあの場所を立ち去るべきではなかった。危機感が決定的に欠落していたのは、他でもないアキラその人である。由紀以外の全員がヴァンパイアに噛まれたのは、彼の失態だ。
しかし彼はこう言い訳するかもしれない。自分は人間に協力して、共にヴァンパイアと戦うことを決めた。だから、戦うための武器が必要だったのだ、と。しかし、それこそが彼の”甘え”である。自分が人間であった頃の思い出にすがり、あくまで人間としての皮をかぶったまま戦おうとした。それだけ、昼の住人としての生活にこだわり続けたのである。きっと、もし武器さえ間に合っていたら、最後の最後まで狼男としての正体を隠し通すつもりだったに違いなく、またそんな中途半端な姿勢でもやれると思っていたのだろう。
アキラの甘さは、責任感の欠如だ。ミナ姫のそばにいようとも、ミナ姫と対立しようとも、その選択の際に本来最優先とするべき目的を差し置いて、自分自身の儚い幸福を選ぼうとした。そんな彼の甘さが、アルフォンソや父によって、はっきりとえぐり出されたのだ。喉元に突きつけられた剣は、そんな息子の甘さを断ちきろうとする、父親の慈愛の刃だったのかもしれない。
アキラが、騎士として生きると言うことがどういうことか、その意味をはっきりと問われたのが、今回のエピソードであった。
・ミナの甘さ ~王としての決意と打算~
今回、ヴァンパイアバンド計画の一応の真意が、明らかにされることとなった。すなわち、一部のヴァンパイアの暴走を抑えきれなくなったヴァンパイア社会が、人間社会との決定的な対立を迫られる事態になることを避けるため、新たな秩序のもとに人と吸血鬼が共存できる道を模索した。そしてその結論として、政治的な意味での吸血鬼の王国を出現させるという判断に至ったということらしい。
テロメアの意図もまだ謎のままだし、他にもどんな設定があるのかはもちろん分からないけれど、仮にこれがバンド計画の真相なのだとして、そう言われれば納得のできる話だ。ミナが断言しているように、人間に寄生して生きるヴァンパイアは所詮は人間というイキモノの亜種でしかなく、人間社会の影で生きるしかない存在だ。もし一部の選民主義者たちが力による人間支配を打ち出したところで、そんなものは愚者どもの浅知恵でしかない。いくら個々人の能力が勝っていようとも、圧倒的なマン・パワーの差を覆せない限り、ヴァンパイア社会が人間社会の上に立つことはありえない。
とはいえ、そうした政治的かつ合理的な判断を下す、為政者としてのミナ・ツェペッシュは、今作のヒロインの半面でしかない。それと同じくらい重要な目的に、ミナ姫自身のささやかな幸福があったというのが、今回のエピソードの核心部分である。
アルフォンソやヴォルフの語るところによれば、ミナ姫は自分自身の最も大切な想いまでも利用して、計画遂行にあたったということだった。だがミナ姫自身の口からは、そこまでの非情さ、冷徹さは感じられない。むしろ、為政者としての務めを果たそうと奮闘する中で、それでも捨てられずに、大切に大切にしまい込んできたひとつの小さな想いがあって、今でもそれに振り回されているのが、ミナ・ツェペッシュという女王の姿なのだろう。
ヴァンパイアの秩序を守るためか、それとも、自分自身の小さな願いをかなえるためか。ヴァンパイアバンド計画に込められたミナ姫の真意は、謎のままである。否、後者のエゴイスティックな想いこそがミナ姫の真意なのではないかと思わせる今回の描写からは、為政者としての責任感や覚悟の甘さが見える。
アキラや他の人間に対して、お前たちに為政者の想いが分かるものかと激しく詰め寄ってきたミナ姫。今回はそんな彼女の、王としての自覚が問われたエピソードでもあった。
・「ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド」という作品
このように、今回決着を見た一連の事件によって、アキラは騎士として、ミナ姫は王としての”甘さ”が浮き彫りになった。しかしその甘さこそが、今作がお伽噺たるゆえんである。二人が、どんなに重たい使命感を背負い、またどんなに忠実に責務をこなそうとも、決して手放そうとしなかった甘さ。その甘さは、自身と愛する人との間に芽生えた小さな幸福への、儚くも美しい願望だ。陰謀渦巻く高度なドラマの中ではともすれば埋没しかねない、ささやかな想いの部分を全力で描こうとしているところに、今作のお伽噺としての矜持がある。
刃を交えあったアキラとミナは、まるでお互いが相手の、そして自分自身の”甘さ”をはっきりと自覚し、立ち向かおうとしているかのようだった。お互いがお互いを傷つけあうことで、彼らは自分自身と戦っていたのである。その結末が、やはり甘さ(=愛)を大切に抱え込む結末となったのは、大変印象的だ。
崩れ落ちる瓦礫からヒロインを守るために、わが身を盾にする主人公。その献身に心を打たれ涙するヒロイン。騎士は心からの愛を忠誠に代えて姫の足下にひざまずき、姫はその忠義に対し信愛の情を持って微笑みかける。
そんな、空想的なロマンスとヒロイズムに満ちた物語として、陰謀劇の最期を愛で締めくくることになったこの作品は、悲劇と希望、運命と意志とが交錯する恋のロマンスを、二人の未熟者が走りぬけた物語だったと、言えるのではないだろうか。
「ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド」は、まさしく、現代に紡がれるお伽噺、ひとつの小さな奇跡の物語であった。

にほんブログ村
↑ランキングに参加中です。拍手の代わりですので、読んで良かったとちょっとでも思ったら、クリックしてもらえるとやる気でます^^
------以下、追記というか、蛇足------
んで、まぁどうしても触らないといけないのが映像面の話。あぁ、ほんとシャフトは、擁護したくてたまらない我々信者に対して、多大な苦労を強いてくるよなぁw もちろんソコも含めて大好きなんだけどねん。
とりあえず、まだよそ様のブログは見回っておりませんが、どうせ批判的なコメントが並んでるんだろうなってのは想像に難くない。「化物語」の記憶が新しいというだけでなく、むしろ今まさに「化物語」第14話が配信されてないっていう現実があるわけで、どうにもこの制作体制は擁護しきれんぞw
少なくとも、今回すごいことをやろうとした回だったというのは、画面から伝わってきたよね?w アクションの端々はハンパない動きだったし、教会が崩れるときの木や瓦礫の描き方とか、やばかったでしょ。今回はさ、それでOKってことにしといて欲しいです。テレビ放映そのものが、いまは本番というよりもDVDの番宣というスタイルで定着してるわけで、ほら、あれだよ、いわゆるひとつの販促版ってやつ^^
ところで、こうしてハイクオリティを目指そうとするがゆえに失敗してしまうというのは、そんなハイクオリティ作品を求める視聴者の存在がまずあって、その視聴者の挑戦に制作者が果敢に挑もうとする、その切磋琢磨があるからこそ起こりえる現象だと思う。
これが、本当にクオリティとかどうでもいい作品で妥協するのなら、創作に息づく魂はそこで死んでしまう。アニメだけでなく全ての作品に言えることですね。高いものを目指そうとする作り手と、高いものを欲しがる受け手が、共同作業で作品を、ひいてはひとつの文化を生み出しているわけだ。
アニメが単なる娯楽の枠を超えてひとつの芸術分野として定着するためには、作り手だけでなく受け手(視聴者)にも高いレベルの感性が要求される。そういう意味で、シャフトが無謀なまでに高い意識で作品を生み出し続けるこの姿勢はアニメの発展にとって絶対に必要だけど、それ以上に、作り手のそんな姿勢を求め受け入れる視聴者層の存在こそが、今後のアニメにとっては必要不可欠だと思う。視聴者諸子においては、その点を重々承知のうえ、今後も暖かく、しかし厳しい目でシャフトを見守り応援していただきたいです。
あと、もしTV放映に間に合わせることができない制作体制を、「仕事なのに」とか「プロなのに」とかいう理屈で問題視する方がいたら、そこは少し考え直して欲しかったりする。というのも、他の多くの職業と違って、作品を作るという仕事は、出来の良し悪しで社会に影響が出ることはそうそうない。飛行機会社が忙しさにかまけてメンテナンスを怠るのと、小説家が締め切りに間に合わないのとでは、社会的責任の質はまるで違うということです。
むしろ創作という分野においては、ほんのわずかでも「より良い作品」を目指すのが、本当のプロ意識だと思う。もちろんエンターテイメントとして安定した面白さを提供するのも大事だけど、安定ではなく常に挑戦し続ける姿勢が求められるのが、創作活動というものだ。
だからこそ、シャフトの一連の不手際は、讃えこそすれ、叩くのは間違っていると言わざるを得ない。いや、もちろんだからといって制作体制に甘えは許されるべきではないし、キャパを越えまくる受注の仕方は明らかにおかしいわけだけど、それとて、視聴者としてはニヤニヤと茶でもすすりながら「あぁ、またやってるなぁ」とでも思っておけば良い。
こんなことでいちいちイライラしていたら人生の損だし、あるいは批判することに快楽を見出してしまったりすれば(人間は往々にしてそういう傾向がある)、それは娯楽作品の視聴態度として本末転倒だろう。
あまりカッカせずに、ゆとりある心でアニメを見ましょう。イラっときたら牛乳一本。牛乳と言えばやっぱりムサシノ。カルシウムを摂取したら、あとはレンタル版を待とうじゃありませんか^^

にほんブログ村
↑記事の最後にこのバナーがないとなんか気持ち悪いので、2個目w 記事本文の感想内容でもいいし、追記のほうでもいいし、読んで良かったとちょっとでも思ったら、クリックして頂けると嬉しいです。拍手の代わりですので。
<追記の追記>
あれ? 今回みんな、思ったよりおとなしい・・・?w
・・・っていうか、完全に見切り発車だったっぽいw くそう、擁護するまでもなく、みんなもう慣れっこだってか。これはこれで悔しいというか、思いっきり恥ずかしいな自分ww
まぁでも、蛇足部分で私のアニメ観的なことを書いたので、もったいないのでこのまま晒しておきます。誰得?ってツッコミは無しの方向でお願いします^^
この記事へのコメント
捨て切れなかった甘さ、ささやかな幸福への想いを描こうとしていることがむしろこの作品の肝だということでしょうか。
小さな約束の御伽噺。
残念ながらそこまで理解がいきつかなかったので、内容の整理ができてありがたく思います。
私自身はこの第7話について肯定的です。
推測で補いつつ見れば面白かったし、面白いものをつくろうとする意欲は感じられたので。
ただ、やっぱり映像面には期待をしていた分がっかりしたところは正直ありますね(苦笑)。
映像が半端になってしまったために、内容を理解したり議論したりする以前に映像面だけで呆れたり見切ったりしてしまってそれから先に進まない人も多いのでは、という危惧があります。
作品を好きな人間としては非常にもったいないなと思います。
意欲を持ってつくるのは大事ですが、やはり視聴者側としては実際に目にする映像でしか判断できないので。
まあ、8話総集編という切り札を使ったことですし、なんとか乗り切って後半は破綻のないようお願いしたいです。
加えて長期的に制作が滞りなくできる体制の整備を(笑)。
コメントどうもありがとうございます。
まず、作品考察のほうに反応頂けたのは素直に嬉しいです。最速から何日も経ってのUPなので、ちょっとばかり気合い入れております^^
作画については、補いつつみればなんとか楽しめるギリギリのレベルに、演出力でなんとか持っていってくれましたね。化物語の時もそうでしたが、その時は、もっと見るべき演出部分が批判の影に隠れてしまったのが、ブログを回っていて「もったいないなぁ」と思っていました。
明らかにキャパシティオーバーなのは、当分は仕方ないのかなぁと腹をくくっています。もう受注しちゃったモノは作らざるを得ないわけで、当面はなんとか乗り切ってもらうしかないと思っています。卵から抜け出ようと戦う鳥のように、現在の試練を乗り越えて大きく羽ばたいて欲しいですね。
自分はこの作品については原作既読なのですが、7話を見て正直、未読の人にこれ伝わるかなぁ、と心配になっていました。しかし、見る人が見ればきちんとわかるものですね。安心しました笑。
映像については、自分はとても「惜しかった」と思っています。自分がこの作品に対してずっと期待していたシャフトと組む前の新房さんの路線の演出が端々に見えながらも、やはり未完成だな、と感じてしまう部分もあったからです。まぁDVDを待つ楽しみができたと思って、気長に待とうと思いますw
あぁ、ミクシィのほうで告知しておらず申し訳ありません。ミクシィは一日に何度も日記を更新すると、マイミクのみなさんに迷惑がられるだろうと思って、ある程度まとまってからUPするようにしておりますので。
たしかに原作既読者の方からは、ちょっと強引にまとめすぎでは、といった声も聞かれるので、なるほどそういうモノかなと思いました。が、自分としては大変楽しめたので、個人的にはこれで良かったと思っています。
今回の映像が惜しかったのは、間違いないですね。ただこればっかりは怒っても何にもならないので、広い心で接していければ。。。