劇場版「涼宮ハルヒの消失」 視聴後雑感

デラックスファイターが可愛かったので満足^^




さきほど劇場から戻ってきました。出来栄えの良さは各所で褒められていたので期待していたけれど、確かに面白かった。このエピソードが原作ファンから支持されているのはよーく理解できたし、それをモノの見事に映像化した京アニの力量も素晴らしかった。




・ストーリー展開についての感想


前半は迷宮脱走劇。くどいほど繰り返される日常シークエンスに、色の明暗をつけることで既視の違和感を印象付ける演出はエンドレスエイトでさんざんお馴染みのもの。知っているけれども知らない世界に迷い込んだキョンの、混乱と焦燥感を大変見事に表現できていた。そこで次々と提示される戦慄すべき事態が、いつも通りのSOS団を描いた楽しげなプロローグとの対比で、いっそう絶望感を煽りたてる。


とにかくキャラクター全員の演技(=作画)が最高のクオリティだったからこそ、キョンの置かれた立場に深く共感することができた。


「どうやって元の世界に戻るか」、その鍵を探し出して集めるまでの一連の展開は、SFミステリーとしての謎解きの面白さとカタルシスを存分に味わわせてくれた。手詰まりかとも思える状況の中で、たったひとつ提示されたヒントを頼りに、長門や古泉にまかせるのではなくキョン自身が考えて行動する。そんな主人公の必死さが、ハルヒを探しに全力疾走するシーンに凝縮されていたと思った。ここはBGMがいい効果を発揮していたなぁ。




後半は、過去エピソードと密接に絡み合ったタイムトリップネタを基盤としながら、”キョンの決断”に焦点が移ってゆく。わりとあっさりエンターキーを押した後になって、その選択の意味を迫られる展開は面白い。ドラマの構成としては、すでに選択した人間に対して改めて決断を迫るのはちょっとくどい気もするが、前半はあくまでミステリー要素を重視し、後半でキョンの意志の問題にテーマをシフトしようという意図だったのだろう。


SOS団というコミュニティが、彼の中でどれほど大きな存在になっていたか。それをはっきり自覚した上で、なお問題の解決を先送りにしようという彼の結論は、いかにもモラトリアムの象徴という彼のキャラクター性に即していると思った。この物語は、彼がただ事件に巻き込まれるだけの立場を脱して、能動的に生きようと決意する話であったと言えるが、それでもなお 「いつかやる。けど今じゃない」とした彼の判断は、まだまだ、ことなかれ主義的だ。


もしこの劇場版を一個の独立した映画作品とみる場合や、あるいはアニメ版ハルヒシリーズの最後を飾る作品だとするならば、未解決のまま放置した伏線の存在は物足りなさを覚えるだろう。あるいは、あくまで原作の展開を尊重した映像作品であると考えるにしても、原作に興味の無い私のような人間には納得できようはずがない。しかし、あえて未来に対する想像のふくらみを残し、意図的に伏線を放置した演出だとすれば、これ以上心地よい余韻を残した終わり方も、なかなか無いだろう。そういう認識がもし正しいのなら、大いに納得のいく、また満足できる幕引きであった。




・果たして長門は満足がいったのか?


映画では結局、キョンがどうやってこの事件にケリをつけるか、問題の解決が結局先送りになってしまった。しかし、先送りにされたのは事件の顛末だけではない。キョンという一人の人間が、SOS団というコミュニティ、ひいては長門有希という一個の存在に対してどういうカタチで接していきたいのか、その決断をすら、先送りにされたまま終わってしまったのが、展開としては不服というか、物足りなさを覚えた。このテーマは「消失」以後のエピソードを通してじっくりと描かれることになるのであろうが、原作を読むつもりの毛頭ない自分にとっては、やはりもどかしい。それに、劇中でさんざんほのめかしておいて、結局放置されてしまったのも、作劇の仕方として残念だ。


というのも、今回劇中でキョンが迫られていた決断は、キョンがどのような日常を望むかという問題よりも、彼がどういった関係性を長門有希に望むか、という問題のほうが、遥かに大きかったように見えたからだ。



 ○長門がキョンに迫った決断


今回、長門の手による改変によって、キョンのSOS団における人間関係が全てリセットされた。それはつまり、彼が望んだような人間関係を、改めて構築できるということに他ならない。そこで彼は、クラスの中で平凡に生きることもできるし、ハルヒやみくる、古泉に思ったようなやり方のアプローチをかけることもできた。彼の意志と行動次第で、まったく異なる(そしてもっと高校生らしい)関係で繋がったコミュニティを、SOS団に体現することもできるのである。


しかし、彼がどんなに努力しても唯一、根本的な変革を免れない存在がいる。それが、長門有希である。仮に彼がSOS団メンバーと改めて友達付き合いを望んだとして、ハルヒ以下3名は性格が同じなので何の問題もないのだが、完全に人格の異なってしまった長門とだけは、かつての世界とは完全に異なる、まったく新しい関係を一から構築しなおさなければならない。キョンは、改変後の世界においてもハルヒを「ハルヒらしい」と認識することができるが、長門とだけはまったくの別人格として付き合わなければならないわけで、物語の前半部でキョンが迫られた決断とは、長門の願望(キョンは感情と言っていたが)を受け入れられるかどうか、という点であったのは間違いないだろう。



 ○キョンの選択と長門の想い


劇中では、とくに前半(改変後の時間軸を舞台とした展開)において、キョンが自分自身の顔と対面する描写が何度も描かれた。不自然なほど磨き上げられた床や窓ガラスに、映しだされた自身の虚像。それは、この世界がパラレルワールドである可能性を示唆する演出でもあったのだが、それと同時に、キョンが自身の内面に向き合い決断することを、今まさに迫られていることを象徴するものでも、あったと思う。しかし、彼が着目したのは、長門有希との関係性ではなく、自身とハルヒ、SOS団との関係性であった。


改変後の世界で最初に彼が望んだのは、違和感からの解放であった。この世界は違う、自分のモノではない。その気味の悪さからただただ逃げ出したい、助かりたいがために、エンターキーを押下した。本当はそこで長門が重大な決断を要求していたことを、まったく考えもせずに、だ。 もちろんそこでは、犯人が長門であることは知りもしなかったのであるから仕方が無い。しかしその後になって、長門の行動を知った上で彼が考えたのは、長門のことではなかった。キョンとの新たな関係を望んだ長門の想いを放置して、彼が選びとったのは現状維持。その選択は、なんとも無責任ではないのか。


キョンは、長門のエラーは感情の芽生えだと考えていた。しかし彼女がキョンに対して望んでいたものは、もっと重大で純粋な気持ちだっただろう。キョンは現状が良いと言った。そしてそのために、統合思念体と対峙するのもやむなしと言った。それは長門が自我を保持できるという意味では感謝に値するかもしれないが、しかし長門がそれで満足できるのか、はなはだ疑問である。




 ○放り投げられた結論


結局、長門有希が打って出た一か八かの壮大な賭けは、事業としても失敗しただけでなく、キョンに対するアプローチとしても、完全に失敗してしまったわけだ。もちろんそれがキョンとハルヒ、みくる、古泉らとの関係性を変えたわけでもなく、今回はただ彼が、能動的な意志をもってSOS団に関わろうと、決意しただけだ。


この事業を失敗させるための、主人公たちの具体的な行動が描かれなかったのは、作劇上問題とすべきではないと思う。知りたいとは思うが、前述の通り、ソコを描かなくても作品としてちゃんと成立しているからだ。しかし長門の心の問題はどうか。


物語前半部は、表面上は謎解きの面白さで魅せながら、根底にある物語としては、長門がキョンにアプローチをするというのが主題であったはずだ。そして思い返せば思い返すほど、長門からキョンに突きつけられた選択は、あまりにも重大なものである。それをあれだけ巧みに描いてみせていたのに、それに対する応えが曖昧なままであったというのは、作品構成上の問題として、消化不良すぎはしないだろうか。


思うに、やはり一番の問題は、長門とキョンの視点の食い違いにある。長門に対して「感情を持っていい」と教え諭すのが今回のキョンの役割だったのは間違いないが、しかし同じことを言うのにしても、長門とキョンの温度差の違いがどうしても気になってしまう。


長門は、自分自身の個体としての存在が、気になり始めている。ありていにいえば自我の目覚めとでも言えようか。長門は、キョンやSOS団に対して1個の人間としての長門有希を確立したがっているが、キョンはあくまで、自分がいまのSOS団に関わり続けることにばかり目が行っていて、その中における個性としての長門有希の存在を、はっきり気付けていないように見える。だから、長門のエラーの原因を疲労によるものだ、などと判断できるのであり、たとえ自分が能動的にハルヒに関わっていこうと決めたところで、長門の存在は便利屋からバイト仲間に格上げされた程度でしか、ないのではないだろうか。




 ○残酷な結末・・・?


ラブコメ的観点から言えば、女性からのアプローチに気付けないキョンの鈍感さはいかにも主人公らしい。しかし今作においては、そんなキョンの主人公属性が長門をどれだけ苦しめるのかがよく伝わってくるだけに、ひどく胸が締め付けられる。はっきり言って、長門は報われなさすぎだ。


もちろん自分はアニメに限定して話を進めているので、原作のほうでどう描かれているのかは知る由もない。原作既読者からすると何とも的外れなことを言っているのかもしれないのは、重々承知している。しかしあくまでアニメーションとして提示されているものを見る限りでは、どうしてもこれが、私の偽らざる感想である。


いくら原作にストックがあっても(あるいはこれから生み出されても)、さすがにアニメ3期は無いだろうと言う勝手な推測から、この映画で完結だとしたら長門が可哀相すぎると思って、どうしても書かざるを得なかった。長門のファンとしての、妄言です。




・蛇足


今回の映画、個人的に一番嬉しかったのは、なんと朝倉の再登場であったw


べつに朝倉にそこまで惚れてたつもりはないんだけどなぁ? でも新訳ハルヒとか、キョンとハルヒが世界征服を企む動画とかで、さんざんネタにされながらもすごく皆から愛されている朝倉の姿に、知らずのうちに惹かれていたのだろうね。


なんといっても、やっぱ可愛いですよ、まゆげは。あの、いかにも男から好かれそうな柔らかそうな物腰に委員長気質のしっかりした性格、そして何の不自然さも感じさせない媚びの作り方。罠だと分かっていても本能で誘われ、知らずのうちにその巣の中におびき寄せられる。そして近寄ったところへ、ギラギラ光った眼でナイフをはらわたへグサリとくる。そんなときの朝倉の、猟奇的で病的な、しかし何とも生き生きと楽しげなあの表情! あぁ、おれも刺されたいっっっ!!w




それから、最後(ED後)の長門のひとこまについて。


あそこは友人と見解が分かれたのだけど、自分はあの光景を目撃したことが、長門が今回の世界改変を思いつく直接の契機になったのだと思っているのだけど、どうなのでしょう。


改変後の世界で小説を書いていた長門。ということは、もともと彼女には、物語を創作するという行為に関心があったはずで、恐らく今回の事件を引き起こしたのは、根底にはキョンに対する様々な想いと彼女自身の抱えるエラー(そんなものがあったとして)が原因なんだろうけれど、それに加えて、自分の力で何か素敵な物語を作ってみたい、そこで、自分とキョンの甘酸っぱい恋愛物語を展開させたいと思ったのかもしれない。


もしこの小さな男の子と女の子の微笑ましい光景が、今回の長門の壮大な計画につながっているのだとしたら、やばいくらい萌える。友人は事件後の光景だと思ったらしいのだけど、事件前の出来ごとだったほうが、個人的には好きだなぁ。

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それでは、今回は以上となります。読んで下さった方、どうもありがとうございました。


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