閃光のナイトレイド 第13話(最終回)「せめて希望のかけらを」&シリーズ感想

遅くなってしまいましたが。批判的な内容ですので、TBはこちらからは送らず、返信のみといたします。でもいいこと書いてるからみんな読んでwww




・ドラマは終焉へ


核兵器の投下を宣言した高千穂勲に対して、これを食い止めようとする葵たち三人、高千穂に従うべきか揺れる葛と預言者。80年前に迫られた”決断”の結末を描く最終回。


最終回らしく視聴者の予測を裏切る展開を見せながら、いちどは別れることになってしまった元桜井機関の4人のチームが、再びその意志とチカラを合わせて事件を解決。しかしこれを最後に、今度は二度と会えないような別れをもってドラマを締めくくる、切なさと寂しさが心地よい響きを生む幕引きだった。


・・・ていうか、全然、大団円では無かったような?w




・何を見せたかったのか


もし今作が、視聴者への問題提起を行い、葛藤を生ぜしめて強いメッセージを発信しようというのなら、この最終回付近でテーマに沿ったセリフの応酬が行われてしかるべきなのだが、結局今回も、当たり障りの無い掘り下げ方しかできないまま、なんとなく、緊迫したアクションシーンを見せて終結してしまった。いちおう高千穂自身の考えは語られはするものの、それがどうして否定されなければならないのか、そこに納得できる思想的回答の何もないまま「希望を未来へ」というカタチで終わってしまったのは、ひっじょーにもったいない!


前回の記事でも書いたことだが、こうしたデリケートな時代を舞台に設定したというメリットを、作品の中でもっと活かして欲しかったと思う。ただのスパイアクションを見せるだけのつもりなら、わざわざ満州事変をはじめとする歴史描写にあれだけの尺は割かないだろうから、エンターテイメント以上のものを提示しようとしていたのは間違いあるまい。しかしそれにしては、作品テーマの訴えかけがあまりにも弱すぎたし、浅すぎた。


今作で描かれた時代の後、日本はますます暴走してひどい戦争の時代を歩み、日本国民にも、そしてアジアをはじめとする他国の人々にも多大な苦しみを強いたという歴史的事実は、誰でも知っていることだ。歴史がそちらへ流れて行こうとしている時代を舞台に、未来を知ってしまった人物を登場させてドラマを作っているのだから、日本の歩んだ道は正しかったのか、他に何か取るべき道は無かったのか、あるいはどうして戦争はしてはならないことなのか、そういった部分に鋭く突っ込んでくれないと意味が無い。




高千穂勲の示そうとした道は、現代の核抑止論に通ずる考えをこの時代に持ってくることで、米ソではなく高千穂が、核の傘のもとに世界の軍事紛争を抑え込もうというものだ。それ自体、理屈としては大いに納得できることだし、高千穂の信念は政治的判断としては、なんにも間違ってなどいない。また上海に核爆弾を落とすということが、上海に租界を抱えて多くの自国民が居住している列強諸国に対して、非常に大きなインパクトを与えることができるというのも、作中で語られる通り。高千穂はじつに合理的に、世界平和への最短距離を、考え得る限りの最小被害で実現しようとしたのだ。それに対して、どうしてこれを否定しなければならなかったのか。ソコがさっぱり描かれなかったのが・・・。


結局高千穂が核投下を思いとどまったのも、ただ怖かったからであろう。まだ確定していない未来を、予言の通りになると信じ込み自分を鼓舞することが、たぶん彼には非常に難しかった。またそんな不確定情報をもとに、何十万・何百万という罪もない人々を殺すことが、彼にはとても恐ろしいことに思えた。それはとても人間らしい感情だが、感情を描いたところで、視聴者に訴えかけるものは何もない。


政治や倫理や道徳といったものは、ひとつの答えが出せない領域である。だからこそ考えれば考えるほど葛藤が生まれ、その葛藤の中にこそ人間としての成長と、思想信念の確立がある。そうした葛藤を視聴者に呼び起こさせるだけの要素はふんだんにあったのに、それをまったく活かすこと無く終わってしまったことが、はなはだ残念だった。作品のエンターテイメント性を重視したのか、それとも単純にライターの思想の浅さが如実に出てしまったのか。


かといってスパイアクションを描いたエンターテイメント作品としてどうかと言えば、こちらは脚本・映像面で地味に巧い部分はたくさんあったけれど、全体的に言っていまいち盛り上がりに欠け、しかも作品が語りかけようとしたメッセージ性の部分が大いに邪魔をして、ひどく中途半端なカタチになってしまった。いい部分をたくさん持っていただけに、ひどくもったいない出来映えだったなぁ。




・歴史を学ぶということ


歴史を勉強することに、いったいどんな意義があるか、考えたことはあるだろうか。


歴史は、言って見れば我々の先祖たちが生身の体で演じ切ったドラマである。そのドラマは、たった一度きりしか演じられることの無かった稀有のものであり、常にアドリブで構成され、役者は文字通り全身全霊でもって必死に演じている。それがゆえに、このドラマは驚愕に値し、滑稽で、しかし感動的だ。そんな魅力が、歴史にはある。


そしてだからこそ、歴史を学ぶと言うことはそのまま、人間を、社会を学ぶということだ。


どうして歴史を学ぶのかと問われて、過去の教訓を自分たちの人生に活かすためだ、などと答える輩は、まともに歴史を見ていない。歴史はそんな簡単なものではない。「歴史は繰り返す」というのは嘘っぱちで、歴史上の出来ごとやその影響はすべて、過去にたった一度きりだけ発生し、今後二度と再現されないような、完全に独立した一過性の出来ごとでしかない。同じような出来ごとが繰り返されていると言うのは、人間の成長しない愚かさを証明するものでこそあれ、到底歴史の本質を言い当ててはいない。


歴史の真の価値とは、歴史を通して人間を知り、生きると言う行為の本質を探る点にこそある。歴史に教訓があるなどということが本当ならば、そんなものは創作された歴史で良いはずで、お伽噺となんら変わることは無い。だが人が歴史の真実を探ろうと努力しているのは、純粋に科学として真実を探求すべきだという信念の他に、真実の歴史の中にこそたくさんの人間の「生」の標本が眠っていると考えるからだ。人文科学は、人間を探究する学問なのである。




さて、「ナイトレイド」の話に戻ろう。1931年という時代は、これはたしかに”歴史”である。実際に当時何がどういった経緯で行われたかということは、非常に錯綜とした時代であり、なおかつ現代の政治信念が密接に絡んでくる時代でもあるので、この頃の歴史研究には大きな困難が伴う(私は古代史を学んだ人間なので、近現代史のごちゃごちゃとしたデリケートな領域が、恐ろしいとさえ感じる)。そしてその時代を研究するためには、「歴史を教訓とする」という目的では絶対にダメで、あくまで歴史の真実を探る中で、人間というもの、国家というもの、思想や信念といったものの本質を見極めようとする行為でなければならないと、私は考える。


一方でアニメは創作であり、ニセモノの、作り物のお話は、作り手の考えが恣意的に反映されるものだ。歴史とは違い創作物は、そこで展開されているドラマの中に明確に「伝えたいこと」が含まれている。


「閃光のナイトレイド」という作品は、できるなら、この歴史研究の姿勢と創作の姿勢の、両方を兼ね備えた作品に仕上げて欲しかった。歴史研究の姿勢というと語弊があるが、ようは歴史を客観的に捉える中で、人間の内に潜む業や、善悪や、希望を、我々の前に提示して見せようという姿勢だ。そんな歴史的観点から築き上げた舞台の上で、こんどは思い切り恣意的に創作ドラマを展開してくれれば、これはすごい作品になったと思う。




この作品のスタッフが、いったい何を目指し、そこにどれほどの覚悟をもって臨んだのかは分からない。私のこうした期待感がまったく見当違いのものである可能性も大いにある。また、作り手が今作をどの程度の満足感と自信を持って送り出したかと言うことも、我々には想像さえできない。


だが、アニメの持つ大きな可能性を信じ、今後のアニメの飛躍を待ち望んでいるいち視聴者の身としては、今作の設定した舞台世界や取り組もうとしたテーマ性について、大きな期待を寄せていた。それだけに、こんなに面白そうな企画だったのに! という無念さを強く感じたものだった。もし今後、同じような観点からアニメが製作されることがあれば、そのときこそは今作のやりきれなかったことが実現されることを、期待しよう。




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それでは、以上となります。どうもありがとうございました。



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この記事へのコメント

NATSU
2010年09月01日 09:58
アニメや漫画は人の見方によって大きく変わってゆく。

アナタがそう思うのもおそらく間違いではない。

でも少なくとも私には素晴らしい作品に思えた。

『アニメ』としてではなく、『現実』として。

私が惚れたのはそこだ。

アニメのように、夢や希望を明確に示すのではなく、現実の人の弱さや強さを描いた物語。


この作品は批判的な人が大勢いる。
見ていたとしても、BLにして楽しんだり、奥まで見ようとしないのに小説を書いたりしてる人もいる。


私はアニメのようにではなく現実のように描いたこの物語を、挑戦的で視聴者にあわせないとこも含めて、素晴らしい物語だと思った。

おパゲーヌス
2010年09月01日 13:14
>NATSUさん

コメントどうもありがとうございます。また、こうして2カ月も前の記事をわざわざ読んで頂けるとは、大変光栄なことです。
私は批判的にこの作品を見ていますが、批判一色にさえ見えた今作を肯定しようという意見は、ぜひ詳しく聞きたいと思っていたところでした。

>アニメのようにではなく現実のように描いたこの物語を、挑戦的で視聴者にあわせないとこも含めて、素晴らしい物語だと思った

NATSUさんの仰る「現実」の概念が私にはちょっと理解しがたい部分があって意味を把握しかねるのですが、アニメ的でない部分として今作のどういった要素を念頭に置いていらっしゃるのでしょうか。”アニメ=夢や希望を明確に示す”? 私はアニメも含めた創作物を、必ずしもそのようには考えていません。

私が思ったのは、高千穂や葵といったキャラクターの葛藤をもっと真実味を込めて描いて欲しかったのに、難しい話が嫌われると判断したのか、視聴者に迎合する形でエンターテイメント的な作劇を行っていたように見えたので、それをもったいないと感じたのでした。NATSUさんの仰る言葉とは意味が違うかもしれませんが、「現実」をもっとシビアに描き出し、その中で一個の人間の生き方を我々の前に提示して欲しかったな、と。

私は今作の取り組み(時代設定や作品にメッセージ性を込めようとした姿勢)を高く評価しています。だから、BLにして楽しんだりするのは悪いとは言いませんけれども、そうしたキャラクターアニメ的な楽しみ方しか提示できなかったのだとしたら、ひどく残念ですね。NATSUさんのように真摯に作品に取り組む視聴者がもっと多く現われて欲しかったですし、そう仕向けるだけのものを提供して欲しかったなと思います。

しずく
2011年02月26日 21:34
本日、TUTAYAさんが旧作半額セールでしたので「閃光のナイトレイド」「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」の最終巻のみを借りてきました。
目的は最終話の後の特別編(以下、14話)です。
「ナイトレイド」消化不良万歳で終わった本編でしたが、14話で、一応、あくまでも一応ですがまとまりました。
『大団円』と呼べるかどうかはともかくとして、お話の筋書きとしてはそこそこいい落とし所に落とし込めたのではないかと思います。

どんなふうに落とし込んだかなんて書いたら完璧なネタバレと化すので言えませんが、登場人物たちのその後やらなんやら、きちんと補完されてます。

これは番組の最後に毎回毎回「本作は歴史的事実に対し、新たな解釈をしようというわけではありません」的な事が流れていましたが、そのまま●・●●事件へと流れ、13話同様、雪菜のモノローグで締めくくられます。

お金に余裕があれば借りて観るだけの価値はあります。
おパゲーヌス
2011年02月27日 18:45
>しずくさん
なるほど、ご報告ありがとうございます。ナイトレイドは、第1話の前日譚もかなり評価が高かったですね。こんど暇を見つけてレンタルしてみようと思います。

うーん、そのまえにソラノヲトのDVD収録エピソードも見なければw 昨年秋から、TV放映アニメが質量ともに圧倒的で、なかなか過去作品に手が回らないですね、悔しいですけれど。

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