伝説の勇者の伝説 第8話「エスタブール反乱」
うーん、まぁ期待はしてなかったけどさ・・・。
総指揮官が単身で本陣真っただ中に突っ込んでんじゃねぇぇ!!
いや、本当にこれは自分が悪い。視聴者としての期待の仕方が間違っていたし、そもそも期待なんてちょっとしかしていなかった。今作がきわめて政治視点からの描写に終始していて、戦争であっても戦場よりは政治レベルでの駆け引きやスパイを用いての謀略に主軸が置かれるであろうことは、もちろん予測していたつもりだ。
でもなぁ、やはり歴史(とくに古代史)が好きで、アレクサンドロス大王とかハンニバルとかの活躍に憧れて、そういう目で戦場を見たがっていた自分としては、今回のエピソードははなはだ残念。結局、超人的なちからを持った一人や二人の英雄の働きで、戦(いくさ)にカタがついてしまう世界なのねん。戦略面の解説を端折るのはまぁ仕方が無いとしても、もっとこう、軍勢と軍勢がぶつかり合って雌雄を決するような戦場は、いまどき流行らないものね。仕方ないよなぁ。
なんで日本ではそういうの流行らないの? ハリウッドじゃたまーに歴史を題材にしてむさくるしい戦場を描く作品が作られるじゃない。そりゃ、TVアニメでそんなことはなかなか出来ないという事情は分かるけど、一方で視聴者のほうにも、軍勢同士のぶつかり合いを待望する声ってあまり聞かれないよね。まぁ、三国志や平家物語に始まり、NHK大河ドラマで培われ、ガンダム等のロボットモノで育て上げられたのが、日本人の戦場観だからねぇ。ヘロドトスとかカエサル『ガリア戦記』等の古典に親しんできた欧米人とは、戦場に求めるモノが違うわな。
・今回の感想 王としてのシオン
・・・まぁ、そんな戯言は置いておこう。ちょっと飛ばし気味だった印象はいつものことだが、展開としてはやはり熱いものがある伝勇伝第8話。
今回はエスタブールの反乱という事件を下敷きに、ミラン・フロワードと「紅指のクラウ」ことクラウ・クロムの確執、そして政治の波に翻弄されながらも民のために尽力しようとする力強いノア・エンの物語を描く。
なんだかミランの暴走が酷いが、彼自身が言っているように、ミランはシオンが各国を征服していくのを手助けしようと言う意図がある。そんな野望(?)も知らずに忠実な番犬であろうとするクラウとは根本的に相容れぬキャラクターであることが、劇中からもよく伝わって来る。どちらがより正義であるか、そんなテーマがそこには込められているのだろうけれど、どちらがよりシオンの心に適う行動を取っているのかはまだまだ分からない。このあたりシオンはしっかり心が揺れ動いており、彼の持ち前の優しさから、まだ踏ん切りがつかないでいるようだ。
そんなシオンの様子は傍から見るともどかしいかもしれない。けれど、王はこれで良いのだろう。というのも、ミランとクラウの間で問題にされているのはまさしく覇道と王道の対立であるのだが、政治というどこまでも打算的な分野においては、このふたつの理想はしばしば対立項ではなく、同時並行的に目指すという選択がなされることがある。王道政治を目指しながらも覇道をゆくこと(これは今のシオンの姿だろう)も往々にしてあるし、覇道を目指す指導者が王道政治の皮をかぶっていることもよくある。あるいはどちらが本音で建て前かは問題では無く、覇道と王道の双方を目指してこそ、真に”役に立つ”政治家の姿であろう。
シオンもそんな指導者の役割を期待されている。そしてそのためには操り人形を演じなければならないことも多い。だが彼の心の中には、王道政治を敷くべきだという感情的な理想論と、覇道によってしか人々は救えないという合理的理想論とが同時に存在している。しかも彼はそれを理想としてだけではなく、現に自分自身の行動に体現しようとしているわけだ。
合理的理想論から非情に徹することはままあり得るとして、しかしもともと王道には似つかわしくない人格の持ち主が、真に王道政治を目指すことはむつかしい。その点シオンは、根本的には善人であり、優しい心の持ち主だ。きっと本当は必要悪としての覇道さえ毛嫌いしているに違いない。そんな彼だからこそ、心優しき英雄王という表情を人々に見せることができる。そこが、彼がルシル・エリスやミラン・フロワードに気に入られた部分なのだろう。
いちど王になってしまったからには、彼は王を演じ続けなければならない。内憂外患と言っていい状況の中、部下の使い方ひとつにさえ気苦労が絶えない。ライナがうらやむほどシオンはいい暮らしはしていない。今後もシオンは覇道と王道の狭間で揺れ動くのか、それともいつかその考えを改めるような日が来るのであろうか。まずは勇者の遺産の報告を聞いた彼が、どのような意図でその再調査を命じたのか、勇者の遺産をどのように活用しようとしているのかを、じっくり見極めていくことになるだろう。
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それでは、今回は以上です。

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総指揮官が単身で本陣真っただ中に突っ込んでんじゃねぇぇ!!
いや、本当にこれは自分が悪い。視聴者としての期待の仕方が間違っていたし、そもそも期待なんてちょっとしかしていなかった。今作がきわめて政治視点からの描写に終始していて、戦争であっても戦場よりは政治レベルでの駆け引きやスパイを用いての謀略に主軸が置かれるであろうことは、もちろん予測していたつもりだ。
でもなぁ、やはり歴史(とくに古代史)が好きで、アレクサンドロス大王とかハンニバルとかの活躍に憧れて、そういう目で戦場を見たがっていた自分としては、今回のエピソードははなはだ残念。結局、超人的なちからを持った一人や二人の英雄の働きで、戦(いくさ)にカタがついてしまう世界なのねん。戦略面の解説を端折るのはまぁ仕方が無いとしても、もっとこう、軍勢と軍勢がぶつかり合って雌雄を決するような戦場は、いまどき流行らないものね。仕方ないよなぁ。
なんで日本ではそういうの流行らないの? ハリウッドじゃたまーに歴史を題材にしてむさくるしい戦場を描く作品が作られるじゃない。そりゃ、TVアニメでそんなことはなかなか出来ないという事情は分かるけど、一方で視聴者のほうにも、軍勢同士のぶつかり合いを待望する声ってあまり聞かれないよね。まぁ、三国志や平家物語に始まり、NHK大河ドラマで培われ、ガンダム等のロボットモノで育て上げられたのが、日本人の戦場観だからねぇ。ヘロドトスとかカエサル『ガリア戦記』等の古典に親しんできた欧米人とは、戦場に求めるモノが違うわな。
・今回の感想 王としてのシオン
・・・まぁ、そんな戯言は置いておこう。ちょっと飛ばし気味だった印象はいつものことだが、展開としてはやはり熱いものがある伝勇伝第8話。
今回はエスタブールの反乱という事件を下敷きに、ミラン・フロワードと「紅指のクラウ」ことクラウ・クロムの確執、そして政治の波に翻弄されながらも民のために尽力しようとする力強いノア・エンの物語を描く。
なんだかミランの暴走が酷いが、彼自身が言っているように、ミランはシオンが各国を征服していくのを手助けしようと言う意図がある。そんな野望(?)も知らずに忠実な番犬であろうとするクラウとは根本的に相容れぬキャラクターであることが、劇中からもよく伝わって来る。どちらがより正義であるか、そんなテーマがそこには込められているのだろうけれど、どちらがよりシオンの心に適う行動を取っているのかはまだまだ分からない。このあたりシオンはしっかり心が揺れ動いており、彼の持ち前の優しさから、まだ踏ん切りがつかないでいるようだ。
そんなシオンの様子は傍から見るともどかしいかもしれない。けれど、王はこれで良いのだろう。というのも、ミランとクラウの間で問題にされているのはまさしく覇道と王道の対立であるのだが、政治というどこまでも打算的な分野においては、このふたつの理想はしばしば対立項ではなく、同時並行的に目指すという選択がなされることがある。王道政治を目指しながらも覇道をゆくこと(これは今のシオンの姿だろう)も往々にしてあるし、覇道を目指す指導者が王道政治の皮をかぶっていることもよくある。あるいはどちらが本音で建て前かは問題では無く、覇道と王道の双方を目指してこそ、真に”役に立つ”政治家の姿であろう。
シオンもそんな指導者の役割を期待されている。そしてそのためには操り人形を演じなければならないことも多い。だが彼の心の中には、王道政治を敷くべきだという感情的な理想論と、覇道によってしか人々は救えないという合理的理想論とが同時に存在している。しかも彼はそれを理想としてだけではなく、現に自分自身の行動に体現しようとしているわけだ。
合理的理想論から非情に徹することはままあり得るとして、しかしもともと王道には似つかわしくない人格の持ち主が、真に王道政治を目指すことはむつかしい。その点シオンは、根本的には善人であり、優しい心の持ち主だ。きっと本当は必要悪としての覇道さえ毛嫌いしているに違いない。そんな彼だからこそ、心優しき英雄王という表情を人々に見せることができる。そこが、彼がルシル・エリスやミラン・フロワードに気に入られた部分なのだろう。
いちど王になってしまったからには、彼は王を演じ続けなければならない。内憂外患と言っていい状況の中、部下の使い方ひとつにさえ気苦労が絶えない。ライナがうらやむほどシオンはいい暮らしはしていない。今後もシオンは覇道と王道の狭間で揺れ動くのか、それともいつかその考えを改めるような日が来るのであろうか。まずは勇者の遺産の報告を聞いた彼が、どのような意図でその再調査を命じたのか、勇者の遺産をどのように活用しようとしているのかを、じっくり見極めていくことになるだろう。
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この記事へのコメント
>総指揮官が単身で本陣真っただ中に突っ込んでんじゃねぇぇ!!
まったくですねw
私としては一人が無双するのも好きですが、今回の反乱って万単位の規模なんですよね?スケールが全然表現できてないのはどうかと思ってしまいます。
とはいえそんなのは求めすぎでしょうし、主軸がそっちではないので「楽しメーター」を主軸ドラマに合わせて楽しめました。
おパゲーヌスさんは古代史がお好きですか。私も、あまり詳しくはありませんが古代、特にギリシャローマ史が好きです。
でもカンネーとかザマの会戦での戦場の図を見るときにイメージが全然湧いてこなくて苦労します。見たことがないので当然ですけど、それだけ戦略的な会戦の映像作品に触れる機会が少ないということでしょうか。
おかげで頭では分かっていても「味方の損害数十に対して敵方の死者数万」なんていう数字がリアルな現実として捉えられない・・・
話が逸れました。
>軍勢と軍勢がぶつかり合って雌雄を決するような戦場は、いまどき流行らないものね。
アニメで、部分的にしてもリアルな戦争(合戦)を描いた作品としてはクレしん映画の「戦国大合戦」がありましたけど、他には思いつかないなァ・・
これは確かに日本人の戦場観も一因でしょうけど、日本人と欧米人が映像作品に求めるものはあまり変わらないと私は思います。どちらも英雄個人が活躍するのが好きで、その舞台装置に莫大な資金をつぎ込めたハリウッドとそうでなかった日本の違いだけなのでは?
ってのが「歴史を題材にしてむさくるしい戦場を描く作品」を全然知らない私の意見ですが、具体的にどんな作品なのか、できれば教えていただけませんかおパゲーヌスさん。
それでは失礼します。
こんにちは、コメントどうもありがとうございます。
古代ギリシア・ローマ時代の文献は、アジア人の人数に関してはめちゃめちゃですが、二千年以上前の文献にしては抜群に信頼性が高いので、読んでいて非常に面白いです。とくにギリシア人の歴史家は自分が従軍経験ある場合もけっこう多いので、リアルな描写が熱いです。なので三国志演義みたいにホイホイと指揮官同士が一騎打ちし始める描写を見るとけっこう萎えるんですよねw
>戦場を描く作品
映画だと、最近のものでは「トロイ」とか「キングダム・オブ・ヘブン」が自分の中ではかなり評価高いですし、ファンタジーものでも「ロード・オブ・ザ・リング」や「タイムライン」がかなり熱い戦場描写をやってくれていますね。個々のキャラクターにスポットをあてつつ、戦場そのものが内包するダイナミズムをがっつり描いてくれています。
日本人と欧米人で、戦場描写に求めるものがあまり変わらないというのは、あるかもしれません。けれど前述の通り文化的背景の違いなのか何なのか、日本人は戦場の描き方が下手な傾向が大いにあると思いますねぇ。黒澤映画は頑張ってますが、たとえエキストラ大量動員していても描写そのものにもうひとつ燃えきれない部分が、個人的には感じてしまったり。(※あくまで戦場の話で、映画そのものの批評とはまったく別です、念のため^^)
>古代ギリシア・ローマ時代の文献は、アジア人の人数に関してはめちゃめちゃですが、二千年以上前の文献にしては抜群に信頼性が高いので、読んでいて非常に面白いです。
アジア人の人数っていうと、ペルシア戦役の時のペルシア軍のことでしょうか?それは知りませんでした。やはり完全に敵対していたり、全然関わりの無い人々については正確さを欠いていたのか、或いは政治的配慮か・・・?
わかりません。
「トロイ」と「ロードオブザリング」は観ました。「ロードオブザリング」の方はDVDまで買ってしまったほどのファンです。
その特典ディスクを最近見返してたんですが、スタッフの国籍は本当に色とりどりで、その全員がギリシャローマに始まる欧州の文化の影響を受けているように見えました。連綿と続き、広がった文化基盤は日本のそれとは全く違うのかもしれません。
しかし、日本では戦場を描きだすノウハウがあまり練られていないとなると、アニメの戦場に期待するのは当分やめたほうがいいかもしれない・・・いやいや、視聴者から求めていかないといけませんね
「ロードオブザリング」以降群衆をCGで作る技術は完成しているはずなので、応用は可能なはず。日本のアニメの新たなる時代に期待です。
それでは、失礼します。
> 総指揮官が単身で本陣真っただ中に
ゲームでもBASARAや無双のように大勢の敵兵を1人でなぎ倒していくのが人気ですからねぇ。私はBASARAのアニメは見ていませんが、合戦の評判については聞いた事が無いので、やはりあくまでも武将達によるドラマが主体なのでしょうかね。
そもそもアニメだと、軍勢同士のぶつかり合いのシーンを作画する事自体が難しいのかも知れませんね。何十人もの兵士が武器を構えている構図なんて一枚の絵でも大変そうですし、そんな絵は一体何種類用意すればいいのか…
昨今の戦国ブームの中でもBASARAの他になかなか戦国もののアニメが作られないのも、合戦の難しさのせいでしょうかね?
後はこの作品のように魔法がある世界だと、指揮官が強力な魔法を使えるようならばやっぱりそれで片が付いてしまうものでしょうね。
今回のクラウはシオン達による反乱の際には単なるシオンの仲間の一兵卒として戦っていたのかも知れませんが、少将となった立場でも出来るだけ人を死なせないようにするには従来のような戦い方が一番適していたというだけなのかも知れませんね。
アジア人の人数というのは、もちろんペルシア戦争やアレクサンドロスの東征における、ペルシア等の勢力の軍勢のことですね。中国や日本では、敵も味方も人数を大幅に水増しして書いてあったりしますが、ギリシア・ローマで書かれた歴史書では少なくとも自分たちの兵力や構成に関しては、それなりに信憑性のある描写を行っています。これは単に、歴史家が参考にできた資料の影響でしょうね。
映画では無くPC用のゲームですが、「トータル・ウォー」シリーズというものがあります。これは何百、何千という3Dで描写されたユニットを操作して合戦や城攻めを再現している大変燃えるゲームなのですが、ああいったノウハウを日本でも取り入れて欲しいですね。描写の技法については日本だってやれば出来そうな気はしますが、あとは空間をどう使うか、演出の問題が大きそうです。もちろん、需要や労力・コストとの兼ね合いが、一番大きなネックでしょうけれど。
どうもこんにちは。お忙しいようですね。ツイッターから、絶望感がよく伝わってきますw
作画の難しさはまったく仰る通りですね。こんな面倒なこと、やりたくないのはよく分かりますw ただそれと、↑でも書いてますが、いざやろうとした時にどう演出したらいいのか、そのノウハウも持ってないように思いますね。漫画版「ナウシカ」で宮崎駿が描いた戦場は素晴らしかったのですが、あれを他の人が出来るのか。難しそうだなぁと思います。
自分は魔法そのものも大好きなので、あとはそれを戦場に持ち込んだ時の、役割の大きさでしょうか。魔法が完全無欠の便利な兵器として描かれるよりも、様々な制限やリスクを背負いながら運用されるほうが、単純に「どっちが勝つか分からない」とハラハラさせる、という意味でも燃えます。魔法使いが余裕綽々で何千もの敵兵を屠っていく様子は、あまり魅力を感じないのですよね。
もちろん今回の伝勇伝は、クラウがわざと敵兵を生かすカタチで頑張ったというのはよく理解しています。もっと生死の淵を行くようなギリギリの戦闘描写を見せてくれればなお良かったかなとは思いますが、まぁ制作上の都合もあるでしょうし、今回は仕方ないですね。シリーズ後半になって、もしガチで戦場を描く展開とかになったら、その時こそ期待をしたいですね。