学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD 第11話

紫藤センセの扱いのひどさに、申し訳ないけど笑ってしまったw




・小室孝の決断


今回のお話は、高城や平野たちが改めて小室をリーダーと認識し合うところから、高城パパを中心とした巨大コミュニティへの依存をかろうじて保ちながらも、やはり彼らは彼らで、”家族探し”を名目としてあくまで自分たちのアイデンティティを維持できる距離を模索するエピソード。どうやら小室と毒島先輩の二人(?)が別行動を取るらしいが、この決断が及ぼす影響はまだ分からない。


リーダーであることの素質、という点に関して、あえて曖昧とした形でではあったが、高城の父と娘とで見解が異なるらしいことが示唆された。


小室の、決して気負わず、一人で抱え込もうとせず、自分の足りない部分を素直に認める姿勢。その柔軟さと親近感が、”戦友”としての関係性を重視する高城沙耶や平野コータをいかにも満足せしめるものであって、だからこそ小室をリーダーと認めているのだと彼らは言う。


一方で高城父は毒島冴子に対し、小室のそんな自負心の無さや低姿勢な点に、迷いが含まれていると言う。たとえ演技であっても強いリーダー像を体現することが求められるこの非常事態において、彼には小室孝という男がまだまだ器ではない、むしろ致命的な危うささえ存していると見ているようだ。


むろんこれは、高城父と主人公たちとの間の、仲間意識、コミュニティ管理の姿勢の違いが如実に表れている部分だ。だがもし高城父の言う”小室の迷い”の中に、自分を慕う複数の女たちへの態度の曖昧さを指摘できるのだとするなら、これは後々になって主人公たちの絆を妨害する要素になるかもしれない。いまの作劇が、二つの対立する組織観を表現しようとしているだけなのか、それとも小室を中心とした友人関係の亀裂を示唆しようとしているのか、それはまだ分からない。早ければ次回にでもその答えが出るだろうから、よく覚えておこうと思う。




コミュニティのあり方といえば。また既存の団体なり人物なりを揶揄したような、非常に心証の悪い平和主義者が登場したなぁ。前に宗教という名で描かれた紫藤とその生徒たちを見た時にも思ったのだけど、作り手はもしかしたら権威を批判することで悦に入っているのかもしれないけれど、こうした描写が果たしてどれだけの有用性があるのかは、はなはだ疑問である。むしろ徹底して怜悧な現実主義を気取っている今作の作風のほうが、現代の日本(とくにアニメを受容する若者世代)の間にあっては、大衆派であり権威主義的なイメージが、あったりする。実際はどうだか分からないけれど。


既存の社会通念が崩壊している様を描くのは良い。けれど、ことさら挑発的に「信用できない大人」を描く必要性も、あまり無いのではないかなぁ。今回はまぁ、平野のセリフによってこのシーンの作劇上の意味が分かることになるのだが、それにしたって、戦場のど真ん中で平和と友愛を説くことがまるで唾棄すべきことであるかのように描くのもあまり気持ちの良いものではない。物語は、あまり説教臭くても面白くないが、無意味に挑発的でも説得性を失ってしまう。




・宮本麗の決断


そう言う意味でやはりもどかしい思いをさせられたのが、紫藤に銃剣を突き付けた宮本麗の決断。


彼女がどうして紫藤を恨み毛嫌いしているのか、その理由が語られることになったのは良いのだけど、そこで殺すか否かを迫られた彼女が、「殺す価値も無い」と捨て台詞を吐いて引き払ってしまったのは、個人的にはすごく納得がいかないのだけど、他の方にはどう見えたのだろうかw


これは別に、殺さないという決断が作品をつまらなくしたとか、そういう話では無くて、単純にこの時彼女がどうすべきだったのか、いろいろ考えるのが面白そうだと思った。どっちが正しいのか判断できないこのもどかしさは、今作がもっと前面に打ち出して良い魅力のひとつだ。既成の道徳や倫理を大きくぐらつかせるようなもどかしい設問を、もっとたくさん見せてくれたらいいと思う。




さてこの場面、自分は紫藤を殺してしまえば良かったと思っている。なぜかというに、まず殺人が罪か否かという問題があって、法律上はもちろん罪だけど、法律も何もなくなっているこの状況では、コミュニティのリーダーである高城父が殺害を許可した時点で、麗に法律上の束縛は一切無くなっている。文字通り、殺すも活かすも彼女の自由となったわけだ。


しかし殺人の罪は法律の問題だけではない。むしろそんな人間のでっちあげた観念よりも遥かに重大な問題として、殺人という記憶がもたらす良心の呵責という罰がある。この良心なる得体のしれない代物も、もしかしたら人間がその社会生活の中ででっちあげたモノである可能性は大いにあるのだけれど、一方で敵でも食べ物でもない生命を奪うということが罪とされているのは人類共通の観念であって、そういう意味では人間という生き物に本質的に備わった罪悪であるかもしれない。これは、宗教の扱う問題となろう。


さてこれを踏まえた上で、紫藤は、自分を殺させることで麗に罪の意識を背負わせる、それが自分の最後の教育だと言った。これは多分にブラフであって、こう言えば目の前の女生徒は恐れをなして、泣いて謝るだろうとでも期待していたのだろう。だがそれでも、彼の口にしたことが麗の耳に届いた時点から、その発言は意味をなす。罪を背負っても良いなら殺してみろと、彼は麗を挑発したのである。


これに対して麗はどう答えるべきだっただろうか。もし本当に紫藤を恨んでいるとして、その恨みと、罪の意識を背負うことになる恐怖を天秤にかけたのが、この時の麗だったろう。そして、恐怖が打ち勝ったのだ。「殺す価値も無い」と述べたのは、逃げ口実としてはカッコいい部類のものであるが、ここで言う「殺す価値」とは何かと言えば、すなわちそれは彼を殺すことで一生心に残るであろう殺人の記憶を背負う、ということの価値である。自分が苦しんでまで殺す価値は無いと、そう彼女は言ったのだ。


けれどそれは逆に、紫藤という男を人間のはしくれとして認識しているということだ。目の前にいるのが害虫なら、殺すことになんの躊躇も要らないはずだ。そして麗には、手にした銃剣を彼の顔面に付きたてることによって、紫藤浩一は人間にあらず、害虫なりと、高らかに宣言するだけの度胸を見せて欲しかった。彼女の恨みつらみが、あくまで社会が機能していた頃に発生したものであり、いまだにその通念に引きずられていることの、ひとつの証しのように思えた。




殺人とは、そういうことである。相手が人間であればそれは罪だ。相手が非人間なら罪では無い。現に今作がこれまで描いてきたのは、つい今しがたまで人間であったはずのナニモノかとの戦いであり、かつ人間であることを捨てた者、人間であることにしがみつこうとする者たちとの戦いであったはずなのだ。その一環として、宮本麗と紫藤浩一の対峙は描かれて欲しかったし、語られて欲しかった。


そしてその中で、利害とか法律とか道徳とか宗教とかいったいまいち信用の置けない概念の向こう側に、罪とは何か、どうして殺すことは罪なのか、どうして生命は生き続けようとするのか、そうした人間存在の根本を見つめる重要な問いかけを描き出し、視聴者の思索と葛藤を促して欲しかったのである。それがまったく描かれなかったとは言わないけれど、もう少し突っ込んで描いてくれれば、というもどかしさがあった。




さて、いよいよ本格的に世界の終りが近づいている(むしろ人間がみずから手繰り寄せている)感のある幕引きだったが、果たして今作の描く世界はどこへ向かおうとしているのか。次回は死者との間で大きな攻防が始まりそうだが、主人公たちのヒロイックな活躍ともども、終幕へ向かうはずのドラマの行く先を楽しみにしたい。




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それでは、今回は以上です。


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<追記>


ああ、次回って最終回なのね。知らなかったよ。もう、ドラマたたむつもり無いでしょw まぁ、どんな最終回になるのか楽しみですね。


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