伝説の勇者の伝説 第14話「誰も、なにも失わない世界」

そうそう、アニメ版英雄譚はこういう作劇でないと!




・オルラ兄妹との決戦とヒロイズム


ククを救出するために、ライナとフェリスはアルアを従えて貴族邸に乗り込む。劇中でも言及されていた通り、勇者の一行がお姫様を救出するというRPG的展開で、日本のゲーム・アニメ等の文化で培われたヒロイズムに典型的な作劇だった。この王道っぷりが、バトルのカッコよさと相まってじつに燃える!


政治や外交、それに戦争といった国家的規模の物語を描く上で、一握りの超人的なキャラクターの活動にドラマの趨勢を左右されるような作劇が好きではないというのは、以前から何度も書かせて頂いたことだ。圧倒的多数の”普通の人間”を想定している舞台において、メインキャラクターがほとんど反則と言っていいような活躍を見せることは、そのキャラクターの魅力も減少させるし、ドラマのリアリティを損なってしまうと思う。戦場で数百人・数千人の敵を一度に葬り去ってなお余裕綽々でいられるキャラクターなんて、見ても何も面白いとは思わないわけで。


ところが、ライバルたり得る敵の存在が脚光を浴びた時、超人的能力を持ったキャラの魅力は初めてその輝きを十全に放つ。このような英雄がもっとも生き生きと描かれるのは、政治の舞台でも戦場でもなく、まさにRPG的なシチュエーションにおいてであろう。人間の太刀打ちできないようなモンスターとの戦い、深く入り組んだダンジョン攻略、あるいは人間離れした能力を備える別のキャラクターとの決闘。英雄は、危機的な状況を乗り越えてこそ、英雄となるのだ。


その意味において今回のエピソードは、ライナとフェリスのペア、オルラ兄妹だけでなく、ミラン・フロワードにとっても、その戦闘能力の高さをきちんと活かすことの出来た展開だった。とくにミランは、無抵抗の政敵を虐殺するシーンではなく、以前にも描かれたライナたちとの戦いや短髪ピンクの男(リル・オルラ)との対決でこそ、魂を持ったキャラクターとして成立すると思う(もちろん陰謀を巡らしているときはそれはそれで魅力的だ)。今回はミランががっつりと戦う場面は回避されたが、近いうちにライナたちとの再戦を予感させる言動で、期待が膨らむ。


もちろん今回の目玉は、ライナ・フェリスのコンビとオルラ兄妹との真っ向勝負だ。今作のアニメーションの一番の売りである剣と魔法の高次元運用。前に進み出たり後方に退いたり空中に高く舞い上がったりと、空間を思う存分立体的に活用しながら、めまぐるしく移り変わる戦局を的確に描写していくアニメーションがじつに心地よい。とくに今回はライナたちが事前に巧みな戦術を考案してきてくれたおかげで、能力の高さに任せた直感的な動きだけでなく、よく練り込まれた展開の戦闘シーンとして描かれていた。ライナのアルファ・スティグマ保持者としての能力に加えて、元来の頭の回転の速さや勘の鋭さを盛り込んだ、キャラ描写的にも見どころ満載なシーンだった。


本来であれば、当初の作戦がうまくいかなかった時点でライナたちの勝ち目はなくなっているハズなのだが、スイ・オルラが思わず勝ちを放棄してしまうだけの十分なインパクトを残した。人間離れした戦闘能力を持つ4人が、それぞれのスゴさをしっかりと視聴者に見せつけた、納得の引き分けと言ったところだ。




・理想の脆さ、危うさ


そんな見事な戦闘パートの前後に、今回はライナやスイの口から、サブタイトルにもなっている”誰も、なにも失わない世界”、あるいはそれと同系統の言葉が、くどいほど繰り返して語られた。理想の政治というものを追い求めながら、その実現困難性を描き出して行くのが、今作の最大のテーマなのだろう。


ところで今回、危ういなぁと思ったのが、ライナの、シオンへの盲信っぷりだ。今回このシチュエーションで、ライナの発言にはたしかに大きな説得力があって、誰もが幸せに生きる世界を目指していながら人を殺したり不幸に追いやったりするのは矛盾していて、ライナがガスタークという国家に根本的な違和感を覚えたのは当然だろう。だが、シオンがそのガスタークと同じような矛盾を行っている(少なくとも黙認している)ということを、我々視聴者は嫌と言うほど見せつけられているわけだ。シオンが間違ったやり方を実行するようなら殴って止めて見せると豪語したライナだが、果たしてそんなに簡単に事が運ぶのか、そもそもライナは愚直すぎやしないかと、ハラハラしてくる。すでにこの時点で、ライナ(およびフェリスも?)とシオン・アスタール王との断絶が目に見えて広がっていることは、ラストシーンにおけるシオンの病的な表情を見るまでもなく、痛感させられていることだ。


ドラマの方向性としては、きっと終盤にライナとシオンの対立が軸のひとつになってくるであろうことが予想される。ただ、エンターテイメントとしてその対立を楽しむのも良いのだけれど、あくまで理想を掲げて無邪気に突き進むのと、現実に即して清濁併せ飲む覚悟で事に当たるのと、どちらがより正しい選択なのか、それを視聴者も真摯に考えて行かねばならないと思う。




国家という生き物を前にして、人の理想はあまりにも無価値だ。王制だろうと民主制だろうと、国家はその存在だけで、一人の人間の幸不幸や生死すら度外視している。国家運営の場にあっては、国家の利益のためなら国民の命など犠牲にして構わないし、ましてや他国の人間や市民権を持たない人々の生活に配慮する必要などまったくない。国家が目指しているのは、あくまで国家というイキモノを生き永らえ肥大化させることであり、かつ国家の枢要部を担う人々の快楽だけである。


シオンは、そんなイキモノにまたがって荒野を駆け抜けていかなければならない不条理な騎手だ。地面に生えている草木や石ころのひとつひとつまで気にかけているライナとは、根本的に見ている世界が違う。いや、もとは視点は同じだったかもしれないが、政治家の椅子に座った時点で、避けようのない理不尽な使命を押しつけられてしまっているのだ。国家の責任を背負いながら「誰も悲しまない世界を作る」と発現するのは、矛盾であり詭弁に過ぎない。


さて問題は、政治の場に立って非人道的な行いにまで手を染めざるを得ないシオンと、無邪気に理想を追い求めているライナと、どちらがより正しいか、だ。もしライナの理想が本当に実現不可能なものであるのなら、より現実的なシオンのほうがずっと正しいに決まっているのだが、心情的には納得が行くものではない。もしライナの理想を支持したいのなら、彼の言う「誰もが笑っていられる世界」「誰も、なにも失わない世界」が実現可能であることを、証明しなければならぬ。それを証明して初めて、ライナの妄言は理想としての足場を得るのだ。


この作品は、果たしてそこまで突き詰めて描いてくれるだろうか。理想と現実の狭間で揺れる王の苦悩をじっくりと描いてくれているのは素晴らしいと思うが、一方で、目的のためなら小さな犠牲は厭わないシオンのやり方を真っ向から否定して見せるだけの、確固たる理想を提示できるのだろうか。そしてそれを通じて、現代に生きる我々のために、戦争の無い世界の可能性を示してはくれるだろうか。そこまで描き切ることができたら、「伝説の勇者の伝説」という作品は、単なる冒険活劇の枠を大きく超えた、普遍的な価値を持つに至るだろうと思うのだが。


後半の話数で、どこまでドラマが進行するのか、という点とともに、どれだけ視聴者に思索を促し鋭いメッセージを発信できるのかどうか、その点にも注目していきたい。




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それでは、今回は以上です。


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