神のみぞ知るセカイ 第1話「世界はアイで動いている」

まずはしっかりと基本構造を提示しつつ、ヒロインと同じくらい、主人公の可愛らしさを見せてくれましたかね。




・第1話感想


OPのあまりのカッコよさ(曲・映像ともに)に否応なく大興奮させられ、今作への期待感が急上昇した冒頭の数分間。小林ゆうの萌えキャラの似合わなさに噴きだしつつ、導入部にかける熱意の大きさがよく伝わってきた。


しかし今作の場合は、作品そのものが抱えるゲームシステム的なストーリー構造を説明しなければならないということで、エルシィちゃんが登場してからのAパートは、ドラマとしてはちょっと失速してしまった印象は否めなかった。だからこそエルシィのキャピキャピ、萌え萌えしたビジュアルの魅力を前面に押し出す、苦心の演出努力。説明量の多さから来る冗長さを、映像で巧くカバーしてくれていたのは、よく頑張ったと思うw


Bパートは、アニメやゲーム等における青春恋愛ドラマを批判的(※否定の意味では無く)に受容・再現しながらミッション達成への道のりを辿って行く。今回のメインヒロイン・高原歩美をターゲットに絞って戦略的に恋のドラマを演出する、ラブコメというよりは推理サスペンス的な展開が面白かった。絶対に無理だと思っていた三次元女の攻略を、胃をキリキリと痛めながらなんとか成功にこぎつけた主人公の活躍は、うがった見方をすれば結婚詐欺師のドラマでしか無いのだけれど、キャラクター勢の朗らかさと可愛らしさにつられて、素直に楽しむことができた。正義のためにあえて悪事に手を染めるアンチヒーローとしての桂木桂馬の立ち位置が、仮にもラブコメを基盤に置いた作品における発想として、じつに独創的で面白い。




・桂馬という主人公と、作品の目指すもの


で、結局このアニメは、主人公がなんだか良く分からない目的のために女の子を次々と騙して恋に落として行く、じつにけしからんシチュエーションを描いて行くのかと思っていたのだけれど、最後に(都合良く)歩美が記憶を失くしてしまったというそのたった一事でもって、作品の構造がガラリとひっくり返ってしまった。今作は、女の子を恋に落として行く物語ではなく、女の子を信じられない主人公が、ニセモノの恋を通じて人との繋がりの暖かさを知って行く物語であった。


誰かを恋に落とすということは、その対象者の魅力や境涯に少しでも深く触れていかなければならず、それはつまり罠を仕掛ける自分自身が恋に落ちてしまう危険性を、常に伴っているということだ。人を呪わば穴ふたつ。三次元世界に目をそむけた桂馬が、他人を陥れるための穴を掘るうちに自分もそこから抜けられなくなってしまう時が、いつか来るのだろうか。


そういう意味では、主人公の桂馬がすごく可愛らしく描写されていたトコロに、この作品の全生命がかかっているのではないかと思う。


この手のアニメで女の子キャラが可愛いのは当然で、いくら渡辺明夫のキャラデザが見事であっても、結局は他の多くの使い捨て美少女たちの流れの中に、今作のキャラクターも位置している。劇中で主人公が三次元女を否定して見せたところで、今作がアニメーションである以上、否定されているそのキャラクターもやはり二次元女なのであって、女性陣の側に視点を置いている限りどうあがいても、二次元女を賛美する男性視聴者を説得することなど物理的に不可能だ。今作を実写で映像化しなかった時点で、今作のストーリー構造を文法通りに表現しようとすることは、それ自体がすでにパラドックスなのだ。


そこで今作の場合は、視点の所在をヒロイン側から主人公・桂木桂馬に移し替えることで、パラドックスの解消へ近づく試みを行っている。「ゲームの中の二次元女≠ゲームの外の三次元女」という図式を二次元絵の集合であるアニメーションでは表現することができないが、「ゲームの中の疑似恋愛≠ゲームの外の現実恋愛」という図式を表現すること。もちろんそれすらアニメーションという虚構世界の中では矛盾と不条理に満ち溢れた行為に過ぎないのであるが、それをなんとか実現するために、桂馬というキャラクターを丁寧に、そして魅力的に描こうとしているのではないだろうか。


ゲームに向かってあれだけ得意そうにしていた格好付けたがりのオタメガネが、些細な現実問題(とくに女子)にぶち当たった時に見せる慌てふためきようは、笑えるほど情けなくも、我々男性視聴者の共感を呼びさますのにはもってこいであろう。またそんな彼が、恥も信念もかなぐり捨てて一人の女の子の心の隙間を埋めようと努力する様の、なんともピンボケした、全然カッコよくもなんともない、しかし何とも健気でひたむきな姿は、感動的ですらある。そしてそんな彼が、どうせ記憶が無くなって恋も友情も失ってしまうような相手のために、報われない恋を背負っていくという悲劇的な運命。こんな彼が、ミッションをこなしていくうちにどのような変化を見せるのか、それをこそ描くアニメなのだろう。




女は二次元に限る。そう信じる男性は、近頃ますます増えつつある。かくいう私自身もそんな考えの持ち主である。


しかし恋愛の幸福を二次元の疑似的空間に求めることを、困難な現実世界からの逃避行として考えては絶対にいけない。労苦と苦痛の中にこそ生命のきらめきがあるのだということを、我々は良く知っておかなければいけない。恋愛だの幸福だのに生きることの意味を見出すような人生観には私は断固として反対なのだけれども、しかし恋愛をきっかけとして、地に足を付けることの大切さを学ぶのは良いことではあろう。人がしばしば忘れてしまいがちになる”大切なこと”を思い出させてくれる、その小さなひと押しをしてくれるような、そんなアニメになってくれることを期待したい。



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<追記>


視聴後に、原作既読者のヨークさんと話をしていたのですが、この第1話を綺麗にまとめるために省略した部分に、桂馬くんの才能についてもうちょっと詳しい設定が書かれてあったらしいと、伺いました。


この第1話を見ていて自分は、桂馬くんが「神」とまで呼ばれ崇められているのにはひどく違和感があって、ギャルゲーで攻略に本気で悩んだ経験が皆無なので、”情報通”としてではなく”キャラを口説くテク”に彼が秀でていることに、ギャルゲーマーの間でどんな需要があるものかと思っていたのですが。


現実的に考えて、仮にある人物がギャルゲの神と呼ばれるのであれば、それは彼がセーブデータの整理とストーリーツリーの構造把握力に優れていて、しかも持てる時間の全てをゲームにつぎ込めるからこそのものでしょう。ギャルゲーはトゥルーエンドを目指すのが目的ではなく、そこに存在している全てのルート、全てのイベントを余すところなく消化するところにゴールがあるわけで。彼が攻略サイトの管理人で、そのあまりの更新速度と内容の詳しさのために神と崇められている・・・という設定なら、ギャルゲユーザーにも納得のいく神様だと思う。


しかし話を聞いてみると、どうやら彼のすごさというのは、そんな自分の想定とはまったく異質のものだということです。言ってみれば彼の才能は、ストーリーの”先読み”にあるという話。すなわち、いくら桂馬くんとは言えその身ひとつでは膨大な数のゲームを即座にやりこなすなんて不可能。そして世の中には、人生を棒に振ってでもゲームをやり込む人間が数多くいるわけですw そんなユーザーに神と崇められるのは、桂馬くんが誰よりも早くゲームを攻略できるからではなく、誰よりも正確にストーリー展開を予測することができるからなのだと。ですから恐らく彼の下にメールを送ってきている人々は、桂馬くんよりもずっと早くゲームを進めていながら、日本一早い廃プレイを達成するために、いわゆる予想屋(それも怖ろしい精密さを誇る)であるところの”落とし神”に、攻略の手順を頼っているということなのでしょう。


そうなると、歩美を攻略しているときの彼の言動、とくにトゥルーエンドを「先読み」して見せた瞬間の彼のカッコよさが、まるで違ったものに見えて来ますね。まさに今作は推理モノのストーリー展開を恋愛ドラマに当てはめていて、「見えたぞ、エンディングが!」というセリフは、某作品で言うところの「じっちゃんの名にかけて!」と同じくらい重要な決めセリフだったわけです。


ヨークさんは歩美編をこの1話の中に綺麗に収めてしまったことを絶賛されていましたし、これ以上、主人公の設定を解説されても冗長になるだけなので、原作の映像化としてかなり大正解な第1話だったのかもしれません。でも、原作を知らない視聴者に対してもう少しフォローすべき部分があったのも、事実なようで、これは次回以降、うまく描写して行ってもらえるとありがたいなぁと思います。倉田さんの手腕に、期待しましょう。




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それでは、今回は以上です。


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