バクマン。 第4話「時と鍵」
漫画描くのって、大変なんだなぁ。
夢に向かって歩き出したはいいが、やるべきことの多さ、乗り越えるべき壁の高さを痛感したサイコー。だがそこでくじけそうになるのではなく、むしろ限界突破のために全力で走りだす若者の姿が、何とも清々しい。
思えば最初は、そもそも夢が叶わない場合のことも保険として想定しつつ、より確実性のある方法を取ろうと話し合って動き出した二人の漫画道だった。自分自身の情熱とか夢とかやりたいこととか、そうした漠然とした概念で語られる”自分自身”の存在をあまり顧みずに、言わば小手先の努力だけで金やら名声やらを勝ち取ろうと考えていたわけで、青春ドラマと言うにはあまりにも世間擦れしたセコい発想の目標設定だった。
それが今回すでに、漫画のために受験の労力さえ惜しみ、亜豆美保と離れ離れになることもすんなりと受け入れてまで、夢を達成する努力へと邁進するようになった。大人の視点から、せめてもう少し勉学に精を出した方が良いのでは、などと思いたくもなってしまうほど、彼らの目標到達への手段はより無謀な方向へ、より博打を打つ方向へと、ぐいぐいと傾いて行っている。しかしそんな彼らの選択の正しさを納得させるほどに、漫画家になるための道の困難さも丁寧に描写してくれているのが見事だ。
正直に言って、もしサイコーたちが創作されたキャラクターではなく現実に目の前に存在する少年たちだったら、彼らの人生設計には思わずハラハラさせる不安要素を見出してしまうかもしれない。けれど彼らの瞳に迷いは無い。人生の保険に割く時間や努力を極力まで減らすことは、単なる博打ではなく、そうしなければならないことなのだと悟ったのだから。
今回、天才ではない人物が漫画家になるための三つの条件として語られた、「うぬぼれ」「努力」「運」。うぬぼれ=折れない自信と、人一倍の努力が必要不可欠だというのはよーく分かる。だが一見すると「運」という要素は、自分ではどうしようも出来ない事柄があるのだという諦めの境地であると、思ってしまいがちだ。
だが、この言葉はそんなに軽いものではない。「人事を尽くして天命を待つ」と言う言葉がある通り、運に翻弄されるだけの土台に立つためには、もう一歩の隙も無いほどに努力を積み上げなければならないのだ。どこまでも冷徹に自分自身のこれまでの行動を見つめ直して、少しでもやり残したことや怠けたところが無かったかを問い続けること。この呪いのように苛酷な克己の精神を、「運」という要素に象徴させているのであろう。
サイコーはそのことを、恐らく体で理解し始めているのに違いない。それは、そもそも漫画家になることの難しさを知ったということや、亜豆との約束を果たしたいという想いもあるだろうが、何より自殺ではなく過労死を迎えた叔父の存在が、彼をして運命に挑戦することの厳しさを教えてくれたのだろう。叔父は、博打打ちから真のプロに昇格する前に死んでしまった。しかしいつまでも努力し続ける彼の姿は、うぬぼれが足らなかったのでも、努力が足らなかったのでもなく、運によって阻まれた漫画人生だったと言っていいのかもしれない。
うぬぼれ、努力、そして運。漫画家だろうが何だろうが、夢を追いかける人々の全てに送られた言葉だろう。今回、まず指針は示された。今後、この指針をサイコーとシュージンがどのように体現しようとしてくれるのか。大いに盛り上がって来た物語の行く末に、目が離せない。
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それでは、今回は以上です。

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夢に向かって歩き出したはいいが、やるべきことの多さ、乗り越えるべき壁の高さを痛感したサイコー。だがそこでくじけそうになるのではなく、むしろ限界突破のために全力で走りだす若者の姿が、何とも清々しい。
思えば最初は、そもそも夢が叶わない場合のことも保険として想定しつつ、より確実性のある方法を取ろうと話し合って動き出した二人の漫画道だった。自分自身の情熱とか夢とかやりたいこととか、そうした漠然とした概念で語られる”自分自身”の存在をあまり顧みずに、言わば小手先の努力だけで金やら名声やらを勝ち取ろうと考えていたわけで、青春ドラマと言うにはあまりにも世間擦れしたセコい発想の目標設定だった。
それが今回すでに、漫画のために受験の労力さえ惜しみ、亜豆美保と離れ離れになることもすんなりと受け入れてまで、夢を達成する努力へと邁進するようになった。大人の視点から、せめてもう少し勉学に精を出した方が良いのでは、などと思いたくもなってしまうほど、彼らの目標到達への手段はより無謀な方向へ、より博打を打つ方向へと、ぐいぐいと傾いて行っている。しかしそんな彼らの選択の正しさを納得させるほどに、漫画家になるための道の困難さも丁寧に描写してくれているのが見事だ。
正直に言って、もしサイコーたちが創作されたキャラクターではなく現実に目の前に存在する少年たちだったら、彼らの人生設計には思わずハラハラさせる不安要素を見出してしまうかもしれない。けれど彼らの瞳に迷いは無い。人生の保険に割く時間や努力を極力まで減らすことは、単なる博打ではなく、そうしなければならないことなのだと悟ったのだから。
今回、天才ではない人物が漫画家になるための三つの条件として語られた、「うぬぼれ」「努力」「運」。うぬぼれ=折れない自信と、人一倍の努力が必要不可欠だというのはよーく分かる。だが一見すると「運」という要素は、自分ではどうしようも出来ない事柄があるのだという諦めの境地であると、思ってしまいがちだ。
だが、この言葉はそんなに軽いものではない。「人事を尽くして天命を待つ」と言う言葉がある通り、運に翻弄されるだけの土台に立つためには、もう一歩の隙も無いほどに努力を積み上げなければならないのだ。どこまでも冷徹に自分自身のこれまでの行動を見つめ直して、少しでもやり残したことや怠けたところが無かったかを問い続けること。この呪いのように苛酷な克己の精神を、「運」という要素に象徴させているのであろう。
サイコーはそのことを、恐らく体で理解し始めているのに違いない。それは、そもそも漫画家になることの難しさを知ったということや、亜豆との約束を果たしたいという想いもあるだろうが、何より自殺ではなく過労死を迎えた叔父の存在が、彼をして運命に挑戦することの厳しさを教えてくれたのだろう。叔父は、博打打ちから真のプロに昇格する前に死んでしまった。しかしいつまでも努力し続ける彼の姿は、うぬぼれが足らなかったのでも、努力が足らなかったのでもなく、運によって阻まれた漫画人生だったと言っていいのかもしれない。
うぬぼれ、努力、そして運。漫画家だろうが何だろうが、夢を追いかける人々の全てに送られた言葉だろう。今回、まず指針は示された。今後、この指針をサイコーとシュージンがどのように体現しようとしてくれるのか。大いに盛り上がって来た物語の行く末に、目が離せない。
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