海月姫~くらげひめ~ 第3話「魔法をかけられて」
総理!総理きもい!綺羅星☆!ww
・珠玉のエンターテイメント空間
この作品は本っ当に面白い! 今は喜劇を見せる段階だからだと言うこともあるが、大胆で斬新な演出をふんだんに盛り込んで、決してあり得ないのにどこかそこら辺に転がっていそうな笑いの種を驚くべき視点から拾い上げて劇にしていくその手腕には、もう感服するしかない。 どこが面白かったかをひとつひとつ指摘しようとすれば、ほぼ全てのシーンやカットで見どころを挙げていかなければならないほど、画面の中ではネタや演出の仕掛けが濃密に渦巻いている。
また今回は、ドラマの展開や映像演出で笑わせられる他に、セリフのみでも死ぬほど笑わせられたシーンが何度もあって、いよいよ今作のエンターテイメント性に磨きがかかって来た印象だ。とくにペ氏の話題! 語呂の珍妙さ、シチュの可笑しさに加えて、セリフの応酬のテンポがじつにすばらしく、腹を抱えて大笑いさせられた。素晴らしいセンス!
また喜劇というものはしばしば、郷愁や悲哀とセットになることで爆発的な威力を発揮する。今作も、第1話からずっとそうだが、そもそも若人なりの生きる楽しみをハナから捨ててしまっている少女の、諦めや悲哀にスポットを当てたドラマである。それを、ギャグに魅入られているうちにふと忘れかけたタイミングを狙い澄まして、スっと主人公の独白を挟みこみ、彼女たちの楽しくも寂しげな人生を意識させる。オタクライフを謳歌する歓びの中に入り混じる悲哀は、まるでわさびのように、つーんと鼻にくる。とくに、こうして深夜アニメを生で見ている我々視聴者の中には、月海のどこか物悲しげな日々に感じ入る方も少なくないのではないだろうか。
この、笑いと切なさとの絶妙な塩梅。まさしく今作は喜劇であり、それも極上のエンターテイメントとして確立されている。むろん中盤以降の物語展開ではどうなるかは分からないが、まずは全力でハイウェイを走りぬけようとする姿勢に、ただただ圧倒されるばかりの第3話であった。
それにしても、蔵之介可愛いなぁ。総理に対しておべっかを使っているときの彼の破壊力のすさまじさといったら無い。第1話時点ではあまりの奇抜さに度肝を抜かれたデザインセンスだが、ただ着こなしや化粧の具合だけではなく、仕草や言動によって他者を騙し自分の生き様を貫こうとするこの姿勢は、まさに女装少年属性キャラの根幹的な魅力だと思う。素晴らしい。
・ちょっと反省したこと
前回の三国志トークで、今作が尼~ずによって象徴させているオタク像が、じつはそこまでディープでは無いのではないかと推測した。前回の記事では、それはオタクの中のオタクとして設定されていそうな尼~ずのアイデンティティに反する、描写力の甘さなのではないかと考えたのだが、しかし実は、そもそもの最初から、今作はまだリアルライフへの憧れを捨てきれない、オタクに成りきれていない人物を描くドラマなのではないかと思うようになった。
世間一般で言うところの青春や人生の謳歌を、嫉妬とか劣等感とかではなく、本心から興味を持たない人物だっていないワケではない。とくにオタクと呼ばれる人種が、リアルライフから相手にされずに逃げ出してきた連中なのだと決めつける風潮があるのには、私としては断固として反対の意を表明したい。しかしそれはそれとして、今作で扱っているオタク的キャラクターたちが、本当はリア充人生に憧れながらもそれに必死で目を背けているのだと考えた方が、この作品は当然、正しく理解されるだろう。へたにディープ(っぽい)オタク像をリアリズム志向で描こうとしているので惑わされたが、実際にはライトオタク向けの作品、もしくはオタク層を普段外から眺めている視聴者向けの作品なのだろう。だからこそのノイタミナなわけで。
オタクもリア充も十把一絡げに扱って、しかもそこに恋愛至上主義的青春像をぶつけてくることに、疑問や拒絶を表明したくなる部分は、実はちょっとある。けれど、これを重度のオタクを変革するための啓蒙アニメなのだとか考えるのはやめて、素直にコメディや恋愛を楽しもうと思う。
・・・化粧ひとつで世界が壊滅するほどの美人に変身した倉下月海を見て、しみじみと反省した第3話だった。
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それでは、今回は以上です。

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・珠玉のエンターテイメント空間
この作品は本っ当に面白い! 今は喜劇を見せる段階だからだと言うこともあるが、大胆で斬新な演出をふんだんに盛り込んで、決してあり得ないのにどこかそこら辺に転がっていそうな笑いの種を驚くべき視点から拾い上げて劇にしていくその手腕には、もう感服するしかない。 どこが面白かったかをひとつひとつ指摘しようとすれば、ほぼ全てのシーンやカットで見どころを挙げていかなければならないほど、画面の中ではネタや演出の仕掛けが濃密に渦巻いている。
また今回は、ドラマの展開や映像演出で笑わせられる他に、セリフのみでも死ぬほど笑わせられたシーンが何度もあって、いよいよ今作のエンターテイメント性に磨きがかかって来た印象だ。とくにペ氏の話題! 語呂の珍妙さ、シチュの可笑しさに加えて、セリフの応酬のテンポがじつにすばらしく、腹を抱えて大笑いさせられた。素晴らしいセンス!
また喜劇というものはしばしば、郷愁や悲哀とセットになることで爆発的な威力を発揮する。今作も、第1話からずっとそうだが、そもそも若人なりの生きる楽しみをハナから捨ててしまっている少女の、諦めや悲哀にスポットを当てたドラマである。それを、ギャグに魅入られているうちにふと忘れかけたタイミングを狙い澄まして、スっと主人公の独白を挟みこみ、彼女たちの楽しくも寂しげな人生を意識させる。オタクライフを謳歌する歓びの中に入り混じる悲哀は、まるでわさびのように、つーんと鼻にくる。とくに、こうして深夜アニメを生で見ている我々視聴者の中には、月海のどこか物悲しげな日々に感じ入る方も少なくないのではないだろうか。
この、笑いと切なさとの絶妙な塩梅。まさしく今作は喜劇であり、それも極上のエンターテイメントとして確立されている。むろん中盤以降の物語展開ではどうなるかは分からないが、まずは全力でハイウェイを走りぬけようとする姿勢に、ただただ圧倒されるばかりの第3話であった。
それにしても、蔵之介可愛いなぁ。総理に対しておべっかを使っているときの彼の破壊力のすさまじさといったら無い。第1話時点ではあまりの奇抜さに度肝を抜かれたデザインセンスだが、ただ着こなしや化粧の具合だけではなく、仕草や言動によって他者を騙し自分の生き様を貫こうとするこの姿勢は、まさに女装少年属性キャラの根幹的な魅力だと思う。素晴らしい。
・ちょっと反省したこと
前回の三国志トークで、今作が尼~ずによって象徴させているオタク像が、じつはそこまでディープでは無いのではないかと推測した。前回の記事では、それはオタクの中のオタクとして設定されていそうな尼~ずのアイデンティティに反する、描写力の甘さなのではないかと考えたのだが、しかし実は、そもそもの最初から、今作はまだリアルライフへの憧れを捨てきれない、オタクに成りきれていない人物を描くドラマなのではないかと思うようになった。
世間一般で言うところの青春や人生の謳歌を、嫉妬とか劣等感とかではなく、本心から興味を持たない人物だっていないワケではない。とくにオタクと呼ばれる人種が、リアルライフから相手にされずに逃げ出してきた連中なのだと決めつける風潮があるのには、私としては断固として反対の意を表明したい。しかしそれはそれとして、今作で扱っているオタク的キャラクターたちが、本当はリア充人生に憧れながらもそれに必死で目を背けているのだと考えた方が、この作品は当然、正しく理解されるだろう。へたにディープ(っぽい)オタク像をリアリズム志向で描こうとしているので惑わされたが、実際にはライトオタク向けの作品、もしくはオタク層を普段外から眺めている視聴者向けの作品なのだろう。だからこそのノイタミナなわけで。
オタクもリア充も十把一絡げに扱って、しかもそこに恋愛至上主義的青春像をぶつけてくることに、疑問や拒絶を表明したくなる部分は、実はちょっとある。けれど、これを重度のオタクを変革するための啓蒙アニメなのだとか考えるのはやめて、素直にコメディや恋愛を楽しもうと思う。
・・・化粧ひとつで世界が壊滅するほどの美人に変身した倉下月海を見て、しみじみと反省した第3話だった。
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