STAR DRIVER 輝きのタクト 第24話「ひが日死の巫女」

全然現実的ではないのにすごく真に迫った人間模様が、さすがすぎる。




・カナコさんかっこよすぎる・・・! 


「なんのためにこんな大きな船を持ってきてると思ってるの?(キリッ」


ぽかーん・・・。そんな事情があったとは!!w やい民主党、見てるかっ!?w これこそが人ひとりの手に余る権力を手中に収めた者の使命と責任、そして矜持だ! すげぇよカナコさん。それに比べて今度の震災におけるわが政府ときたら。世界一優秀な市民であることを証明した我々日本国民の戴く政府が、どーしてあんなにヘナチョコなのか、今回のカナコさんを見て、いままさに現実で起こっている事態の情けなさ・恥ずかしさを、改めて、歯ぎしりする思いで痛感させられたなぁ。同じようなことを60年前にも嫌と言うほど経験したハズなんだけどねぇ、日本人。


でも立法・行政のトップがへちょいのはたぶん今の政体に付きまとう悪弊だから、システムを根本から覆さない限り、改善するのは難しいのだろうな。いまはカンさんたちが叩かれているけれど、じゃあ政権を取っていたのがほかの党だったらどうだったかと言えば、たぶん公明もみんなの党も共産も、今回の民主党と同じようなドタバタを演じていた可能性は大いにある。長年の経験から高度なノウハウを持っているであろう自民党(我々自身の手で「もう飽きたんだよおまえら!」と通告したのは記憶に新しい^^)なら、もっと手際よくやれたかもしれないとは思うけれど、だからって彼らにべったりでよいかと言うとそんな選択肢はあり得なくなってしまったのが、いまの日本の政党政治なわけで。


ポリュビオスの論じた政体循環論に従えば、民主制が機能しなくなったときにはふたたび王制(またはその失敗ばーじょんの独裁制)に国制が移行するのが、自然の法則であるという。君主制・寡頭制・民主制の3類型、およびそれぞれの成功・失敗の評価を用いて、国家の採用し得る政体を6通りに分類してしまうという、極めて大雑把な(そしてだからこそ分かりやすい)彼の政体論は、もう2千年以上も前に主張されたことでありながら、国家(政府)の組織のあり方についての示唆に富んだ指摘に溢れているのだが、このたびの日本国政府の対応と、そしてワタナベ・カナコの決然とした態度を比べてしまうと、民主制から君主制へのダイレクトな国制転換の機運が、日本でも次第に高まりつつあるのではないかと、そんな錯覚に陥りたくなってくる。


話が逸れまくったw しかし確かに言えることは、こんなカナコさんのもとで使命感を持って働けるなら、この生命すべてをささげても、決して悔いのない人生を送ることができるだろうと確信できる、ということだ。それくらい、今回のカナコさんはかっこよすぎた! 




・ケイトの意図とは? 封印と巫女と南十字島


5日ぶりの更新だというのに初っ端からナックルボールを放ってしまって大変失礼しました。さて今回のお話についてだが、いよいよ最終回直前ということで、これがこうだからこう、みたいな単純な読解ではとても理解しきれない、錯綜としたドラマが繰り広げられている。ことさらに『少女革命ウテナ』を意識させるセリフや演出が目を引いたけれど(「永遠をください」なんて、こんな感動的なシチュで呟かれたって、ウテナの”あの”エピソードを連想させてドキっとするw)、人の感情なんて合理的な部分はたいして多くなく、目に見えるもの見えないものも含めた様々な感情や理性が入り混じって言動を規定していくのだというのが、わざと情報を断片的に提示する今作らしいやり方で存分に描かれていく。この期に及んですらタクトは物語の原動力にはなっておらず、群像劇的な手法を駆使して、思いもよらぬ人物の見せ場も挿入されながら、複雑に物語は進行していった。


とくに、ケイトを中心とした恋する乙女のドラマは、その言動の主眼がどこに置かれているか比較的分かりやすいのだけれど、結局は「綺羅星って何がやりたいの?」「巫女の封印を全部解いたらどうなるの?」という根本の部分が隠匿されたままだから、大いに盛り上がるキスシーン(およびその前後の会話)の裏にどんな感情が秘められているのか、現時点では本当に少ない材料から判断していくしかない。


「きみの封印が解かれなければ、すべては次の世代のことになる」と言って第一フェイズを使おうとしたスガタは、あの場でケイトを殺すつもりだったのだろうか。ケイトもそれを甘んじて受け入れる覚悟があって、彼女は封印が解かれても解かれなくても、どちらにせよスガタのために生きそして死ねることが本当にうれしいのだろう。だが、ではどうしてスガタは友人を手にかけてまで、封印を守ろうとしたのか? いままでサカナちゃんやミズノが封印を解かれても、ただ島を出ていくだけだったから、封印を解くことがワコとスガタとの今生の別れになるとは思ってもみなかった。


もちろん船で島を出ていく描写が死の暗喩であるという見方もできるだろうが、なんだかもっと悲劇的な設定が仕組まれているのかもしれない。たとえば、封印を解かれた巫女は、サイバディにまつわる事件を通じて島で巡り合った人々とは、絶対に会うことが許されない場所に送られてしまう、とか。かつて描かれたミズノとマリノの船の上での感動的な再会は、幻がまさかの実体化を遂げたということのほかに、巫女の宿命としてマリノとは絶対に会えない決まりだった(しかしもとは幻であったマリノはそのルールから除外された)という設定があって、二重の意味で”奇跡”として描かれたのだった、ということも考えられる。そしてそれを踏まえてケイトがスガタに、「封印を破ればほんとうのあなたになれる」と語ったのだとすれば、旅立ちの日を迎えること=南十字島での記憶を一切失って外の世界で暮らすことになる、という展開は、ありそうだ。そしてもしそうなら、南十字島とは、青春の輝きを持つ青年たちを閉じ込めておく壮大な監獄か、でなければ揺籃(ゆりかご)という位置づけになるのであろう。こうした舞台設定は、やはり”子どもと大人の対比”や”永遠”といったキーワードを含むかたちで、『ウテナ』にも直接的に通じているテーマである。


もちろん、実際に次回を待ってみないとなにも分からないんだけどw ケイトの呟いた謎の呪文の意図、ヘッドが目覚めた友から受け継いだ印の効果、各人が旅立ちの日を迎えた先に思い描いているもの、そしてワコの恋人選び。ざっと思いついただけでまだまだたくさんの未開示・未解決の謎や問題が山積しているが、前述のとおりそれを合理的にすべて解き明かしてみせる意思は皆無だとしても、そうした伏線がどのように機能して最終話を盛り上げてくれるのか、その点は大いに楽しみである。


今回は、嵐の前の静けさ(そこにおける不穏な緊張感や、水面下の大きなうねり)をまずたっぷりと描きながら、後半は見る者の感情を大いに揺さぶる怒涛の展開で、最終回を迎えるにあたり最高のおぜん立てをしてみせた。あとは覚悟を決めて、来週の放送を待ちたい。


・・・・・・未完のまま劇場化発表、という流れになっても驚かないが、綺麗に片が付いたらすごく驚く展開だよねw でも『ウテナ』もそんな感じで最終話で大泣きさせられたから(アレも結局謎や伏線がかなり放置されていた)、『ウテナ』ファンとして、そしてむろん『タクト』ファンとして、榎戸洋司をはじめスタッフの力量を信じたいと思う。




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それでは、今回は以上です。


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この記事へのコメント

ぽんず
2011年03月28日 09:22
ザ・ノーブレスオブリージュですね、カナコ様。自分の中で仕えたいキャラ一位のクシャナ様の地位が揺るがされております(笑)

ケイトとスガタのシーン。やはり「永遠」というキーワードに反応しますよね。たとえスガタの気持ちがワコにしか向いてないと知っていても、あの一瞬は彼女にとって永遠に輝く物なんでしょう。神話前夜でケイトが「それでもクレイスは幸せなんだと思う」と言ってましたが、あれは自分と重ねてたんですね。

最終回が楽しみ過ぎて一週間待つのが辛い…。でも、きっと期待以上の物を見せてくれると信じています。
おパゲーヌス
2011年03月28日 23:25
>ぽんずさん
おお、クシャナ殿下が一位であらせられましたか。ちなみに漫画版のほうですかね? 映画のクシャナは、不運もありましたが、やることなすことすべてが裏目に出て手持ちの軍団を壊滅させてしまったので、将としてはあまり評価できないですw 漫画版のクシャナは(クロトワもですが)まるで別人のかっこよさがありますね。

『ウテナ』では、”永遠を見せる”という行為が持つ負の印象がハンパ無かったので、まるで真逆のロマンティックさのもとにセリフが語られて、それがまっとうな感動を引き起こすよう作られているのは、『タクト』の最大の特徴ですね。けれど、2度3度と見ることで色々な発見(ケイトの劇を見たときの発言もそうですね)があるのが、やはり見事な作品だなぁと思います。

こにぃで
2011年03月30日 02:09
こんばんは。今回、ケイトの病みっぷりにかなり引いてしまったのですが、同情論が結構多いのに驚いています(汗

きっとケイトを抹殺して問題を次の世代に「先送り」したほうが、容易いうえに人的被害は少ないのでしょうね。ただし、スガタも自決しそうですが(汗
スガタは自分の命を投げ出してまで、第4フェーズで全てを終わらせてしまいたいのでしょうが、タクトがワコを守りきれず第5フェーズの封印が解かれてしまえば、現行世界に歪みが生じ、火山噴火や津波・サイバディの暴走など、どれだけの災厄が地球を襲うか測り知れないのでしょう。だからこそカナコはそれに備えていた訳で。

ケイトはワコの優柔不断を責めますが、彼女の病的なまでのスガタへの依存のほうが受け入れ難いですね。
南十字島は、成長することや先へ進むこと、決断することを拒否した子供達を、いつまでも眠らせておく揺籠であるのかもしれません。
おパゲーヌス
2011年03月31日 23:45
>こにぃでさん
おや、ケイトの健気な様子、とてもよかったですけどねw おカタい委員長のロマンティシズム溢れる甘く切ない表情が、なんともいえませんでした^^

スガタの葛藤は、いかにも彼が「王」であることを実感させるものでした。封印が解かれてサイバディが現実時間に出現すると同時に、核ミサイルが飛んでくるかもしれない、なんてことも以前語られていましたね。カナコとは別の観点から、スガタなりの責任の取り方を模索していましたね。やはりスガタやカナコは、周りの人物に比べて一段大人ですが、この世界が揺り籠であるなら、その中で「大人である」ということが果たして良いことなのかどうか、注目かもしれません。最終回は、できればそのあたりにまで突っ込んで考えたいと思っています。

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