放浪息子 第9話「かっこいい彼女 ~Green eye~」
1週間ぶりの更新です。みなさんご無事だったでしょうか。
アニメ感想に入る前に。3.11の未曾有の大災害に際して、まず亡くなられた方々のご冥福を申し上げるとともに、被災された方々すべてのご無事を心よりお祈り申し上げます。
当ブログも震災以降まるまる1週間、更新を停止していましたが、アニメの放送が不定期になったことに加えて、震災前の身内の不幸や、計画停電(ウチは毎日行われています)等によって生活リズムが不規則となり、アニメ感想に向かう精神的余裕をなかなか持てなかったためであります。震災そのものによる被害に関しては、幸いなことに家族も含めて無事であることは、1週間前にコメントで書いた通りです。
今後の更新について、言い方は悪くなりますが、感想ブログなんてプロ野球とは違って社会的影響など皆無でしょうし、アニメを楽しんでいる姿を伝えることが不謹慎であるとも、被災者の方々を励ますことになるとも思ってはおりません。それとは完全に無関係なこととして、あくまで自分自身の時間的・体力的・精神的状況に鑑みて、マイペースに更新を続けていこうと思います。停電だけが厄介ですが(PC使えないと何もやることがなくなるので)、基本的に状況は以前の記事でお伝えしたときと、そう変わってはおりません。PC買い替えて更新が楽になったというのと、PCで地デジとBDが見られるようになったのは、変化と言えば変化ですが。買った直後の地震にはさすがに肝が冷えました。後から報道で震災被害を見たら、それどころではなくなっちゃったけれどw
ところで問題は、以前からの縮小体制に加えてアニメ視聴のリズムが大いに狂ってきたことで、感想の書き方や、アニメの見方を忘れてしまったのではないか? という点。これは自分自身の問題でもありますが、一緒にアニメを楽しんでくださる読者の方々にとっても、同じ問題が起こり得るのではないかと、それがちょっと心配です。ですので感覚を取り戻すまでしばらくは、リハビリ期間を考えて、あまり肩肘張らずに書いていこうかなと考えています。ただでさえリアルタイム更新が難しくなってきた時期だったので、更新日時やアクセス数とかを気にせずに(今までもそんなに気にしてたワケではないですが)、やっていこうと思います。よろしくお付き合いいただければ幸いです。
それでは、今週の放浪息子の感想です。地震情報のありがたいL字枠が入っていたけれど、CMのときにそれがわざわざ消えるのはどうなのって思うよ?w
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安那ちゃんと付き合い、また千葉さおりや高槻よしのにもそれがバレたことで、ラブコメ的展開に入っていくかと予想された二鳥くんの物語は、しかしすぐさま軌道修正して、またぞろ性別を巡ってアイデンティティの確立を模索するドラマになってきた第9話。ここで恋愛ものになるよりもあくまで思春期の揺れる心を描いたほうが、作品としては一本筋の通ったものになるであろうから、この流れは歓迎したい。また、ノイタミナなら全11話で構成されていると思われるが、そうなれば今回を含めてあと3話ということで、終盤の盛り上がりを期するために、主人公に重大な決心をさせていよいよ物語の佳境に入ろうという段階。ふたたび監督自らがコンテを切って、動きの少ない地味な演技を濃密なドラマに演出しているのが素晴らしい。
出てくるたびに嫌な印象しか残さない土居くんが、今回は大変重要な役割を担うことになった。”キレーなおねえさん”と知り合いたいという下心から二鳥くんに近づいた彼だったが、色々な物事を自分で深く考えることができる年齢になった彼にとって、二鳥修一の周辺における奇怪な事象は、良い意味でとても強い刺激となったらしい。まだ無思慮で無遠慮な嫌味はあるが、しかしよしのが警戒するよりずっと真摯に、二鳥くんの女装と向き合ってくれた。
これまでは、二鳥くんと同じような嗜好や悩みを抱えるよしのやマコちゃん、二鳥くんに対してとても好意的に理解を示してくれる千葉さんやちーちゃんと言った人々に守られて、二鳥くんもなかば安心して、自分の内面と向き合うことができた。だが、以前から心配されていた身体的変化よりも前に、まずクラス替えによって今までの暖かな人間関係から切り離されてしまったことが、二鳥くんに新たな決断を強いることになったのは注目だ。いざという時に肝がすわっている、見た目以上に頑固に自分を貫く覚悟を持っている二鳥くんだが、内輪の人間関係の中に閉じこもっているうちは、様々な意味でモラトリアムで居続けることが許されていた。しいて言えば姉をはじめとする家族が、二鳥くんにとっての最大の敵であったわけだが(どうやらご両親にもまったく相談できていなかったらしいから)、しかしそこは家族であって、どんなに仲違いしようとも二鳥くんのことを大切に思っているという点で最終的には味方になってくれるであろう。けれど土居に象徴される”世間の目”というものは、もっと残酷に、異質なモノを傷つけ排除しようと働きかけてくる。そんな攻撃を前にして、二鳥くんはちゃんと戦うことが出来るのか、はなはだ不安であったことは、以前の話数からたびたび意識させられてきたことでもあった。
今回の高槻よしのは、男装に踏み切ったことで、まず明らかに生き生きと自分の生を謳歌するようになり、そしてそんな立場から、男の子として、二鳥くんを守ろうとしてくれた。よしののそのような態度は、いままでの、そしてこれからの二鳥くんの生き様を考えれば、至極当然で頼もしい姿であった。けれど二鳥くんはそんなよしのの好意をあえて拒絶し、自分の意思で自分の生を戦おうと表明して見せた。そのきっかけには、やはり土居の存在は大きかったと思う。
二鳥くんにとって土居は、これから対峙すべき社会の、当面の代弁者であり、代替物であったと言える。その土居が、信用ならない好奇心を発揮して女装姿を見せることを強要してきたときに、それに同意した時点で、二鳥くんの闘争は始まっていたのだろう。そして、土居が決して馬鹿にせず、真摯に自分と向き合ってくれたという事実。この事実が、二鳥くんにとってどれほど大きな支えとなったか。まだ土居が味方になるか敵に回るかは分からないものの、ただの偏見や意地悪で嘲笑するのではなく、ちゃんと見て、感想を述べてくれたことは、その後に女装姿で学校へ来るようにとの発言も、ちゃんと真面目に言ってくれているのだと評価するに足る態度だった。
言ってみれば二鳥くんは、土居と対峙することで、世間との戦いの第一歩を踏み出し、最初のささやかな勝利をつかみ取ったのだ。これに手ごたえを感じた彼が、ここで一気に勝負に打って出ようと気持ちがはやったのは、当然の成り行きと言える。これから二鳥くんが大人になっていくにつれて、”ふつうの”人より何倍何十倍ものチカラを振り絞って、彼は自分の生を戦い抜かなければならない。鳥は卵から抜け出ようとしているのだ。安那ちゃんのくれた髪飾りの、鳥が翼を広げて羽ばたく意匠は、彼がこれから直面しようとする人生をよく象徴し予言しているかのようだ。
けれど、その闘争はどのように幕を開けたのか。土居が背負っていたと思われた世間の姿は、ぜんぜんほんものではなく、あくまで土居自身が二鳥くんの世界に歩み寄ってくれていただけのものであった。現実は、Cパートでマコちゃんの後ろを走り抜けていった男子生徒によってちょっとだけ垣間見せている嘲笑や驚愕やことによっては怒号までをも、二鳥くんはその全身に浴びることになってしまったのではないか。これについては次回を待つしかないのだが、今作としては異例のCパートではどうも不吉なイメージしか湧いてこない画面の重苦しさに、とても耐えられなかった。
女子が男装するとカッコイイと言われるのに、男子が女装するとどうしてキモチ悪いのだろう。1年生時にはまだ比較的意識の外に置いておくことができた社会的性差に伴う差別の不条理性を、ここにきて強く思い知らされることになる。だってキモいと思うでしょう、我々視聴者だって? いくら作中の女装にとりんが可愛くても、またいくら男の娘や女装少年が持て囃されるようになったと言っても、現実問題、異性装における男女の認識の隔たりはあまりにも大きく、我々の意識にこびりついている。そのことを改めて自覚させられることで、二鳥くんが戦おうとしているモノの強大さを、まざまざと思い知らされたようなエピソードだった。
それでも、へこたれずに雄々しく立ち上がる二鳥くんの姿を見たいし、彼を支える家族や友人たちの姿を待ち望んでいる。おそらく残り2話、この作品が行き着こうとしているその先を見据えて、残り話数を楽しみたいと思う。
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それでは、今回は以上です。

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アニメ感想に入る前に。3.11の未曾有の大災害に際して、まず亡くなられた方々のご冥福を申し上げるとともに、被災された方々すべてのご無事を心よりお祈り申し上げます。
当ブログも震災以降まるまる1週間、更新を停止していましたが、アニメの放送が不定期になったことに加えて、震災前の身内の不幸や、計画停電(ウチは毎日行われています)等によって生活リズムが不規則となり、アニメ感想に向かう精神的余裕をなかなか持てなかったためであります。震災そのものによる被害に関しては、幸いなことに家族も含めて無事であることは、1週間前にコメントで書いた通りです。
今後の更新について、言い方は悪くなりますが、感想ブログなんてプロ野球とは違って社会的影響など皆無でしょうし、アニメを楽しんでいる姿を伝えることが不謹慎であるとも、被災者の方々を励ますことになるとも思ってはおりません。それとは完全に無関係なこととして、あくまで自分自身の時間的・体力的・精神的状況に鑑みて、マイペースに更新を続けていこうと思います。停電だけが厄介ですが(PC使えないと何もやることがなくなるので)、基本的に状況は以前の記事でお伝えしたときと、そう変わってはおりません。PC買い替えて更新が楽になったというのと、PCで地デジとBDが見られるようになったのは、変化と言えば変化ですが。買った直後の地震にはさすがに肝が冷えました。後から報道で震災被害を見たら、それどころではなくなっちゃったけれどw
ところで問題は、以前からの縮小体制に加えてアニメ視聴のリズムが大いに狂ってきたことで、感想の書き方や、アニメの見方を忘れてしまったのではないか? という点。これは自分自身の問題でもありますが、一緒にアニメを楽しんでくださる読者の方々にとっても、同じ問題が起こり得るのではないかと、それがちょっと心配です。ですので感覚を取り戻すまでしばらくは、リハビリ期間を考えて、あまり肩肘張らずに書いていこうかなと考えています。ただでさえリアルタイム更新が難しくなってきた時期だったので、更新日時やアクセス数とかを気にせずに(今までもそんなに気にしてたワケではないですが)、やっていこうと思います。よろしくお付き合いいただければ幸いです。
それでは、今週の放浪息子の感想です。地震情報のありがたいL字枠が入っていたけれど、CMのときにそれがわざわざ消えるのはどうなのって思うよ?w
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安那ちゃんと付き合い、また千葉さおりや高槻よしのにもそれがバレたことで、ラブコメ的展開に入っていくかと予想された二鳥くんの物語は、しかしすぐさま軌道修正して、またぞろ性別を巡ってアイデンティティの確立を模索するドラマになってきた第9話。ここで恋愛ものになるよりもあくまで思春期の揺れる心を描いたほうが、作品としては一本筋の通ったものになるであろうから、この流れは歓迎したい。また、ノイタミナなら全11話で構成されていると思われるが、そうなれば今回を含めてあと3話ということで、終盤の盛り上がりを期するために、主人公に重大な決心をさせていよいよ物語の佳境に入ろうという段階。ふたたび監督自らがコンテを切って、動きの少ない地味な演技を濃密なドラマに演出しているのが素晴らしい。
出てくるたびに嫌な印象しか残さない土居くんが、今回は大変重要な役割を担うことになった。”キレーなおねえさん”と知り合いたいという下心から二鳥くんに近づいた彼だったが、色々な物事を自分で深く考えることができる年齢になった彼にとって、二鳥修一の周辺における奇怪な事象は、良い意味でとても強い刺激となったらしい。まだ無思慮で無遠慮な嫌味はあるが、しかしよしのが警戒するよりずっと真摯に、二鳥くんの女装と向き合ってくれた。
これまでは、二鳥くんと同じような嗜好や悩みを抱えるよしのやマコちゃん、二鳥くんに対してとても好意的に理解を示してくれる千葉さんやちーちゃんと言った人々に守られて、二鳥くんもなかば安心して、自分の内面と向き合うことができた。だが、以前から心配されていた身体的変化よりも前に、まずクラス替えによって今までの暖かな人間関係から切り離されてしまったことが、二鳥くんに新たな決断を強いることになったのは注目だ。いざという時に肝がすわっている、見た目以上に頑固に自分を貫く覚悟を持っている二鳥くんだが、内輪の人間関係の中に閉じこもっているうちは、様々な意味でモラトリアムで居続けることが許されていた。しいて言えば姉をはじめとする家族が、二鳥くんにとっての最大の敵であったわけだが(どうやらご両親にもまったく相談できていなかったらしいから)、しかしそこは家族であって、どんなに仲違いしようとも二鳥くんのことを大切に思っているという点で最終的には味方になってくれるであろう。けれど土居に象徴される”世間の目”というものは、もっと残酷に、異質なモノを傷つけ排除しようと働きかけてくる。そんな攻撃を前にして、二鳥くんはちゃんと戦うことが出来るのか、はなはだ不安であったことは、以前の話数からたびたび意識させられてきたことでもあった。
今回の高槻よしのは、男装に踏み切ったことで、まず明らかに生き生きと自分の生を謳歌するようになり、そしてそんな立場から、男の子として、二鳥くんを守ろうとしてくれた。よしののそのような態度は、いままでの、そしてこれからの二鳥くんの生き様を考えれば、至極当然で頼もしい姿であった。けれど二鳥くんはそんなよしのの好意をあえて拒絶し、自分の意思で自分の生を戦おうと表明して見せた。そのきっかけには、やはり土居の存在は大きかったと思う。
二鳥くんにとって土居は、これから対峙すべき社会の、当面の代弁者であり、代替物であったと言える。その土居が、信用ならない好奇心を発揮して女装姿を見せることを強要してきたときに、それに同意した時点で、二鳥くんの闘争は始まっていたのだろう。そして、土居が決して馬鹿にせず、真摯に自分と向き合ってくれたという事実。この事実が、二鳥くんにとってどれほど大きな支えとなったか。まだ土居が味方になるか敵に回るかは分からないものの、ただの偏見や意地悪で嘲笑するのではなく、ちゃんと見て、感想を述べてくれたことは、その後に女装姿で学校へ来るようにとの発言も、ちゃんと真面目に言ってくれているのだと評価するに足る態度だった。
言ってみれば二鳥くんは、土居と対峙することで、世間との戦いの第一歩を踏み出し、最初のささやかな勝利をつかみ取ったのだ。これに手ごたえを感じた彼が、ここで一気に勝負に打って出ようと気持ちがはやったのは、当然の成り行きと言える。これから二鳥くんが大人になっていくにつれて、”ふつうの”人より何倍何十倍ものチカラを振り絞って、彼は自分の生を戦い抜かなければならない。鳥は卵から抜け出ようとしているのだ。安那ちゃんのくれた髪飾りの、鳥が翼を広げて羽ばたく意匠は、彼がこれから直面しようとする人生をよく象徴し予言しているかのようだ。
けれど、その闘争はどのように幕を開けたのか。土居が背負っていたと思われた世間の姿は、ぜんぜんほんものではなく、あくまで土居自身が二鳥くんの世界に歩み寄ってくれていただけのものであった。現実は、Cパートでマコちゃんの後ろを走り抜けていった男子生徒によってちょっとだけ垣間見せている嘲笑や驚愕やことによっては怒号までをも、二鳥くんはその全身に浴びることになってしまったのではないか。これについては次回を待つしかないのだが、今作としては異例のCパートではどうも不吉なイメージしか湧いてこない画面の重苦しさに、とても耐えられなかった。
女子が男装するとカッコイイと言われるのに、男子が女装するとどうしてキモチ悪いのだろう。1年生時にはまだ比較的意識の外に置いておくことができた社会的性差に伴う差別の不条理性を、ここにきて強く思い知らされることになる。だってキモいと思うでしょう、我々視聴者だって? いくら作中の女装にとりんが可愛くても、またいくら男の娘や女装少年が持て囃されるようになったと言っても、現実問題、異性装における男女の認識の隔たりはあまりにも大きく、我々の意識にこびりついている。そのことを改めて自覚させられることで、二鳥くんが戦おうとしているモノの強大さを、まざまざと思い知らされたようなエピソードだった。
それでも、へこたれずに雄々しく立ち上がる二鳥くんの姿を見たいし、彼を支える家族や友人たちの姿を待ち望んでいる。おそらく残り2話、この作品が行き着こうとしているその先を見据えて、残り話数を楽しみたいと思う。
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この記事へのコメント
同性愛と異性装は必ずしも等号で結ばれるものではありませんが、内在する性と身体との間に差異が生じる意味では無関係とは思えません。いずれにしろこの日本では他国のように同性愛者だから排除される、あるいは異性装が好きだから蔑視されると言うことは少なくとも最近まではなかったのです。
ただまあ、我が国に差別はなかったわけでなく、装いにおける性の交換に寛容だったと言うだけのことですけどね。
土居が女装してくれと要求した時はたまげたし、部屋に入った後の間や女装verの二鳥と対峙した絶妙な間を演出したスタッフの鬼才に驚き不禁得です。
土居が二鳥にすごい近づいた時キスするかと思ってドキドキしました(笑)
あとちーちゃんは意外に頭使うんですね、それも驚きを不禁得。
田遊びのことはよく分かりませんが、歌舞伎に関してはもともと女性による演劇だったものが、幕府によって低俗だと禁止され、代わって少年に女装をさせて始めて見たもののやっぱり禁止されてしまったので、仕方なく成人男性が女装して演じることになった、という歴史があります。なので日本において女装を受け入れる伝統があったというのは、ちょっと言えないのではないかと思いますね。また女形が芸として娯楽として確立されて以降でも、では趣味として女装を受け入れたかというと、どうなんだろうと思います。一方で女性の男装は、日本では平安後期に大ブームとなりましたし、また中国などでは紀元前の戦国時代から流行になったりしているので、わりと多くの時代・地域にわたって、女装は良いけど男装はヘン、という認識が行われていたのではないかと考えています。
土居と二鳥くんはなんだかアヤシイ雰囲気でドキドキしましたね。カットのつなぎ方も音の使い方も、あえて不親切に視聴者を突き放す演出がとてもよかったです。でもその前に、トイレで高槻さんの襟をなおしてあげるさおりんの様子が、もうなんだか恋人か夫婦の真似事のようで、こちらもとてもドキドキしてしまいました。
芸能に留まらず、宗教儀礼においても同じことです。民間信仰でも先程の田遊び御田植え神事で男は一様に女装します。男性が女性に、女性が男性に変装する例は日本の歴史にたくさん抱え込んでいるのだと考えます。
異性を演じる歌舞演劇は他国では中々受け入れられないそうです。もっと遥かに抵抗があるようです。あれも、思想的にどうであろうと根本的に許容できる土壌があったからこそ生き延びることができたと思います。
開戦の頃はかなり批判されたようですが、結局のところ民衆が欲したのですね。現存するのはそう言う経緯があると思います。
とまあ、どちらにせよ二鳥は高槻以上に世間からの強い風当たりは免れません。どーでもいいことですが、女装が好きと言う繋がりで『忍たま』の山田先生を思い出しました。先生は二鳥みたいな美形ではなく怪ぶ…もとい個性的ですけどね。
あ、上のコメでは間違って「女装は良いけど男装はヘン」なんて書いてますけど、逆のことを言おうとしたものでした。
でも難しいなぁ。専門ではないので「そうですか」としか言えなくて申し訳ないのですけれども、そんな不真面目な回答をせずにちゃんと考えようとすると、やはり男性の女装は、芸能としては存在しても、他国に比べて日本人には受容される背景があったとは考えにくいのですよね。もうちょっと「男性が女性に変装する例は日本の歴史にたくさん抱え込んでいる」という実例が挙がれば、そしてそれが他国に比べて持て囃されているのであれば、納得するところですが。ヤマトタケルの変装やとりかへばや物語なんかは、有名ですが。
で、気になってサクっとウィキペディアなんかを参照してみましたが、ユダヤ教の伝統を引く宗教文化の国々ではより厳しく糾弾されるという傾向はあるにせよ、どちらにしてもアンダーグラウンドな女装文化は、時代・地域の関係なく、各地に定着しているようですね。むしろ中国のほうが日本よりも大っぴらに受け入れられているようです。
もちろん女装には様々な理由があって、とくに一般人が普通に生活する空間で女装をするというのは、やはりどの国だろうとショッキングなことでしょう。逆に言えば、そのような自由なセンスを発揮できる娯楽文化を持っているという点を、日本は誇るべきだという風に感じました。ただこの点は、だから日本では女装は蔑視されてこなかったとか、近代以前は他国にくらべて寛容な文化だったとか、そういった断定にはつながらないのではないかと思いますね。
なんだか執拗に反駁を加えるような恰好になって申し訳ありませんが、歴史愛好家としてどうしても気になってしまったもので。興味深い話題をどうもありがとうございました。
私は宗教や民俗などが好きなので学ぶときに異性装について多少文献を読んだ程度なので偉そうには言えません。