放浪息子 第11話「放浪息子はどこまでも ~Wandering son’s progress~」

紆余曲折あった二鳥くんの自分探しの放浪の旅は、いまはっきりと、その目的を見定めることができたよう。とても納得のいく最終回でした。




・自分自身であるということ

私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか。 ――ヘッセ『デミアン』より


自分がいったい何者で、どこから来て、どこへ往こうと欲するのか、そして何のためにその道程を歩もうとするのか。そうした問いかけに真摯に向き合っている人々は、この世の中にどれほど存在していることだろう。またそうした人々を、社会はその残酷な画一主義によって、どれほど圧迫し、殺してきたことだろう。自分自身で生きようと欲したその決意を、間違いであり、迷惑であり、また不幸の源であるとして、踏みにじり捻じ曲げてしまうことは、仮に彼の実際の生命活動や社会的地位や幸福が保障されていたとしても、その精神にもたらされる意味は、殺人と変わりない。第10話において、二鳥くんの罪に対して宣告された罰とは、彼にとって死刑と同義であった。


しかし、二鳥くんの罪とはいったい何であったろう。男でありながら、女性の恰好で社会(学校が社会の縮図であることは言うまでもない)に乱入したことで、周囲の人々の平穏をかき乱したことだろうか?


もし二鳥くんに罪があるとすれば、残酷な言い方であるが、それは彼が自分の闘争の意味を理解していなかったことだ。彼自身も語っていたように、二鳥くんは一部の理解ある友人たちの言葉を信じて、また高槻よしのの男装がすんなりと受け入れられたのを見て、自分もまた自分の生きたいように生きることができるかもしれないと考えた。しかしその考えの甘さは良しとしよう。けれど、いざ世間から拒絶されるや否や、彼は自分の闘争から逃げ出してしまった。その時点で彼は、社会不適合者の烙印を進んで拝受してしまったようなものだった。彼は社会と戦うべきだった、あるいは社会に従うべきだった。そうすれば、多くの困難や苦痛を背負うことになったとしても、自分を殺すはめにはならなかったであろう。たとえ判決を下されたとしても、上訴をしさえすればずっと審理が継続されるのが人生である。ましてや二鳥くんは、深い理解と愛情を示す多くの友人や家族を持ち、彼自身もまた強靭な精神力の持ち主である。戦って勝てないことは無かったはずだ。あるいは公的な場では我慢を続け、私的な空間でいくらでも羽根を伸ばすことだってできたはずであり、馬鹿正直に女装で登校した二鳥くんの不器用さは、土居やユキさんや安那ちゃんをも驚かせ、呆れさせるのに十分だったと言えよう。


社会の圧力が本当に牙をむくのは、そのとき社会で求められている常識の範疇から外れてしまった者が、自分の生を戦おうともせずに、しっぽを巻いて逃げだしたときであろう。そうやって逃げ出してしまう人物というのは、自分の異質さを理解しているにも関わらず、精神のありかの大部分を世間の中に置いたまま、依然として社会の庇護をあてにして生きようと考えており、そのあてがまったく外れてしまったことが分かって、あわてて自分の世界に引き籠ろうとしてしまう。最初から心のよりどころを自身の世界の上だけに求めていたなら、そのような失態は防ぐことができただろう。


”放浪息子の前進”(Wandering son’s progress)とは、社会の庇護の暖かさを未練がましくいつまでも追い求めていた少年が、そのような甘い幻想をかなぐり捨て、あるがままの自分自身と向き合うことで本当の意味で闘争の人生を歩み始めた、その第一歩の偉大な足跡であった。自分の欲求に素直でありたい、という根本の生き様は、二鳥くんは昔から何も変わっていない。ただ、世間の目や評価を気にせざるを得なかった受け身の人生から、まず自身の精神と肉体を真正面から受け止め肯定することで、他者の評価など関係ない自分自身の問題として、これからの人生を歩む決心がついた。これこそが、異端であることを自覚した者にとって、本物の生き方というべきものだろう。


倒錯劇の幕が上がり、会場いっぱいに詰めかけた観客たちが、思い思いの表情や態度で拍手を送っていた。あるものは面倒そうに、ある者は早くも涙を滲ませて、またたいていの者は期待に胸を膨らませながら。人は常に何かを演じていなければいられないイキモノであるのなら、舞台上に足を踏み出した二鳥くんの姿はまさに、彼が本物の人生を歩みだしたことの象徴であり、役者としての彼に送られる拍手は、嫌々ながら義理で叩いているものも含めて、すべて二鳥修一の人生の門出に送られている祝福である。彼がいま手にしている祝福は、一部の理解ある友人からは大きな感動とともに送られ、また彼の趣味を受け入れがたい者からは冷めた視線として送られているが、ほとんどの観客が送るそれは、期待や好奇心に満ちている。この比率は大まかに言って、彼の今後の人生における出会いと苦労を象徴するものであろう。とくに、観客の大部分を占める好奇の視線は、ひょっとしたら我々視聴者の姿を象徴し投影しているのかもしれない。ともあれ、これらの視線や祝福や猜疑心をどう変革していけるか、それが、自分の生き方に正直になろうと決意した二鳥くんの、これからのステージにおける課題となるだろう。




・シリーズ感想


これだけははっきりと断言できるのだけれど、今期放映アニメの中でもっとも優れた作品が『放浪息子』であることは、絶対に疑い得ない。


セールスの問題や、どれだけ話題の中心になることができたかという点では、他の作品(たとえば地震の影響による放映・配信の中止が行われたことも幸運に作用するであろう『まどか★マギカ』など)に比べれば、確かにさみしいものはある。現にこうして感想記事を書いたところで、他の作品なら必ず放映30分後くらいにはいくつかの感想ブログが更新を終えているというのに、今作に関してはリアルタイムの視聴者をTBSに奪われているらしく、なかなか感想記事が作成されず、数日経ってもその数は決して多くはならない、という事実もある。けれど、売り上げや注目度がそのまま作品内容の良し悪しにはつながらないことは自明で、いくらでも事例を挙げることができる。セールスをいったん度外視した場合、ストーリーや脚本やキャラクター描写はもちろん、演出や音響も含めた総合的な作品づくりの精度、およびそれが視聴者の心に作用する度合いなどに関して、『放浪息子』を上回る作品が今期にいくつあっただろうか。


とくに、ことさらセンセーショナルな画面作りや作劇によって話題を集めようとする『まどか』などに比べて、一見地味そうなドラマでありながら、驚くほど緻密な物語性とアニメーション演出力によって構築されている今作の魅力は、まさしく、アニメのチカラを強く実感させる作品だったと言えるのではないだろうか。


もちろんストーリーに関しては、いくつか不親切な点があったことは否めない。魅力的な物語が展開されていたらしい小学生編を飛ばしていきなり中学生のドラマを映像化したことや、本来ならば第10話と第11話として別々に存在している話数を尺の都合でひとつにまとめざるを得なかったことは、テレビ放映で初めてこの作品に出会った視聴者にとっては色々と戸惑わせる要素であった。ただ、そもそも原作付きアニメにおいては満足に物語を完結させることが非常に少ないわけで、むしろ制約の多い中で、よくこれだけ見ごたえのある満足のいく最終回で締めてくれたものだと、感心すべき点であろう。また、あえて原作の途中からスタートしたということで、原作未読者にどれだけ作品のことを理解させるかという点に関して、アニメーションや脚本における作り手の創意工夫の見事さを痛感させる、特筆すべき仕事であったと言えるのではないかと思う。




作品の内容に関して述べるなら、まず今作は、思春期という、子どもから大人へと成長する過渡期のデリケートな年代を、信じられないほど巧みに濃密に描き上げたことに、毎回驚かされる作品だった。深夜アニメを視聴している人たちにとって、中学1,2年生という年代の微妙な感情の推移を詳細に記憶していることはほとんど無いだろうと思うし、ましてや自分の性別に疑問を抱いた経験のある者など、文字通り一握りの視聴者に限られるであろうから、今作が視聴者の共感を呼び起こすテーマでなかったことは明らかである。しかしそんなファンタジーともいうべき人物像を、これほどのリアリティ(迫真性)を持って提示できたというのは、絶賛に値する。




しかしより注目したいのは、今作は”変人”の主人公が、変人として社会と向き合っていく上での様々な困難や葛藤を取り扱った作品であるということ、そして主人公を支える主要キャラクターがすべて、程度や方向性の差こそあれ、皆が皆、どこか”変”な部分を背負っているという点だ。


第11話で、高槻よしのが面白いことを言っていた。二鳥くんは特別な男の子だが、千葉さおりも、ちーちゃんや佐々ちゃんやマコちゃんも、そしてよしの自身も、みんな特別な存在なのだと。特別である、というのは、変人であることとまったく同じ意味を持つ。社会一般の通念から逸脱したところがあるから、彼ら変人であり、また特別な人物であるのだ。


そしてここで問題になってくるのが、果たして我々人間のなかに、社会の基準から少しもはみ出していない人物が一人でもいるだろうか、という点。誰も彼も、自分だけの”変”な部分は持っているものだし、社会の因習に照らし合わせて大きな苦悩を抱え込む人も多いはずだ。いや、現実には、傍から見ればまったく変でもなんでもないささやかな特徴や趣味でしかないものを、必要以上に世間の目なるものを意識することで、自分は世間に顔向けできない汚点を抱えているのだと信じ込んでいる人が、決して少なくないであろう。


二鳥くんは、たしかに目立っておかしな人物だった。そして彼は、社会のあり方と自身の欲求とのギャップに苦しみもがき、他人より少し余計に、生きることの不条理を経験し、葛藤することになった。だが、二鳥くんの周りにいるやつら全員が少なからぬ変人であり、そんな変人たちがしかしごく普通の中学生として生き生きと描画されているところに、今作のテーマの根幹が存在していると思う。どんな人であっても、この社会(人の手によって生み出されたものであるはずなのに、ひどく非人間的なこの社会)で大人になり生きてゆこうとするなら、二鳥くんが経験してみせたような闘争を、我々一人ひとりが自分の人生の中で同じように経験していかなければならない。すべての人間は多かれ少なかれ必ず変人であるし、変人としての自分と常識人としての自分の間で揺れ動き葛藤しながら生きていく。それを少しだけ、虚構の世界・虚構のキャラクターを通じて大げさに描いて見せたのが、『放浪息子』という作品だったのではないだろうか。


そして、人生は舞台であり、我々はそこで何かを演じる俳優であるということを強く意識させて、今作はその幕を下ろした。ハッピーエンドかバッドエンドかという二択ではなく、もっと真摯にドラマの帰結を探し求めた今作は、ドラマを通じて人間という存在を解き明かそうという試みであり、二鳥修一というひとつの回答を作り手が我々視聴者に投げかけてみせた作品であった。「物語」が語られることの意義をそのまま体現して見せたような作品であったと言えるだろう


2011年初頭。2000年代の最初の十年が過ぎ去り、次の十年のスタート、新たな時代の幕開けとなり得る時期に登場した今作が、他の名作ともども、今後のアニメのさらなる発展に大きく貢献することを願ってやまないし、それだけの影響を残したとしてもなんら不思議ではない、それだけのパワーのある作品だったと評したい。




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それでは、これにて以上となります。どうもありがとうございました。


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この記事へのコメント

あるるかん
2011年04月01日 09:53
凄い傑作でしたね。ストーリーもキャラクター性も素晴らしい。『刀語』みたいに、大きく注目されずとも高い完成度を見せつけた作品だと思います。
安那ちゃんが凄い可愛かった!キュン死しまたよ(笑)愛くるしく表情が変わってニヤニヤが止まらなかった、あの2人が復縁してほしいな。ヒロインは高槻でもさおりでもなく安那ちゃんがヒロインだと私は言い張らせてもらいます(笑)。
『放浪息子』は今期一番の傑作だと思います(次点は『これはゾンビですか?』かな)、安那ちゃんのデザインも今期最高だと思います。蕩れー
おパゲーヌス
2011年04月01日 13:22
>あるるかんさん
安那ちゃんかぁいかったですねぇ。いつもマイペースな彼女が、あんなにうろたえる姿を見せてくれるとは思いませんでした。二鳥くん&安那ちゃんのカップリング押しは、すごく同意です。ついでに言うと、高槻くんとさおりんも彼氏彼女の関係になりそうな予感というか願望がw 

本当は一人一人のキャラにスポットを当てて感じたこと考えたことを書いて行きたかったくらい、どのキャラも主役級に輝いていて、最高の人間ドラマになっていたと思います。
yuki
2011年04月01日 14:01
それぞれの人物にしっかりと一応の決着をつける構成が素晴らしい最終回でした。
特に不安定な「男の子」から「男」へと一歩歩を進めた二鳥君の成長がごく自然で最後はニコニコしながら見終えることができました。彼は安那ちゃん一筋ながらこれからは別のモテ方をするなこりゃ(笑)。
男臭くて合わないな~と思っていた主題歌が最後はバッチリBGMとしてハマっていたのも唯一の不満がスッキリして良かったです。
スタッフがほとんど日本人だったと思うんですが、こういう作品を観るとお金さえあれば今のほうがアニメを作る力は昔より上がってるのかなと思います。

アニメ史にしっかりと存在感を刻んだ作品でしたが冬季最高かはまだ「まどか」という怪物がいるのでよく分からないですね。
まどかはすごいプロットだと感心しつつも、センセーショナルな部分ばかり強調されはしないか?と思っていたんですが、10話で30分という時間の中で一人の人間の心情を視聴者にダイレクトに叩き込みつつ2時間の映画を観たようなどえらいスケール感を味あわされ、もう10話だけで他の凡庸なアニメの全話以上の価値があるなと仰天させられました。
なんにせよ全く期待してなかった今冬のアニメで2つも心に残るアニメが出たのはなんだかラッキーな気がしますね(笑)。
おパゲーヌス
2011年04月02日 01:50
>yukiさん
なるほど、OPの男性的な印象は、気にも留めていませんでした。確かに言われてみれば、ただでさえ女の子成分の強い作品な上にほんわかとした色合いのアニメーションの今作において、まったく似合わないOPでしたが、最後にばっちりハマってくれましたね。また個人的には、ED曲はちゃんとEDで流れたのがうれしかったです。

『まどか』ですが、なんというか、遊びが足りなくて機械仕掛けの作劇に見えてしまっていて、これはこれで面白いのですが、もっと幅の広い、言葉では説明しきれないモヤモヤした人間味を打ち出している『放浪息子』のほうが、自分としては好みだし、高く評価しています。『放浪』に対抗できるドラマを持っていそうなのは、むしろ『タクト』かなぁ。こちらも最終話がどうなるかとても楽しみですが。

いずれにしても、放浪息子、まどマギ、タクト、それに夢喰いメリーと、作画・演出で存分に魅せてくれる今期アニメは、アニメの楽しさや可能性を改めて痛感させてくれています。ただ一点残念だったのは、震災のために娯楽を素直に楽しむだけの精神的余裕が奪われてしまったことかなぁ。こればかりはどうしようもないですけれど。

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