魔法少女まどか★マギカ 第10~12話感想

書けるうちに書けることを書いておきます。



とりあえず、無事に終わってくれた『まどマギ』。最終話の、まどかのトンデモ覚醒展開には唖然とさせられたけれど、「希望を大事にっ」との主張の一点張りで突き通されて完結するのではなく、まどかが宇宙を変革してしまった後も、相変わらず魔獣とインキュベーターが人間世界に出没し、せっかくまどかが残してくれた希望をなんとかして守り通さなければいけないと勇者ほむほむが決意を漲らせて戦い続けてくれていた幕引きが、ひとつの劇として最高にカッコよくて、清々しい、満足のいく終わり方をむかえてくれた。



第1話冒頭の、映画が始まるかのようなカウントダウンを見せた演出を受けて、今回もまさに舞台ショーの幕を閉じる締め方が、アニメ作品をまるで舞台演劇であるかのように料理してみせるシャフト演出のスタンスをはっきりと主張しているようで、大好きな演出。そういえば、やはり宮本幸裕氏がシリーズディレクターを務めた『荒川UB』第2期の最終話も、アニメをサーカスになぞらえてとても詩的な余韻を残す幕引きをして見せていたなぁ。宮本氏はもしかしたら、シャフト演出の持つ性質を意識的に可視化してみせるのを、好んでいるのかもしれない。想像の域を出ませんが。(だってあの人のツイッター、ネタかマジか分からない謎のシャフト小話ばかりなんだものw)




ところで、『まどマギ』のテーマに関連することで。やっぱり自分は、希望を持つということは罪悪だと思う。


『まどマギ』という作品は、無垢な少女たちを題材にとって、夢だの希望だのといった、しばしば人生においてもっとも重要な価値であるとされているような概念を、徹底して相手取り、叩きのめそうとした作品だったと言える。きっとそれは、大人であり男性であるところの作り手が、無邪気に夢や希望を信じていた少年期の幸福に憧憬を抱きつつ、ある意味でさめた目線から、そんなものはすべてまやかしであり、人生というものは割に合わず納得のいかない(それでいて妙なところでビジネスライクな)、決して楽しんで過ごせるようなモノではないということを、しばしば極度に明確化されたストーリー展開を用いて、ずっと訴え続けてきたものだ。それが、第11話までのストーリー展開であったろうし、ひょっとしたらそこにこそ、作り手が本当に考える人生観・世界観が描き出されていたと思う。


第12話Aパートにおけるまどかの神格化は、すでに序盤からデウス・エクス・マキナの手法を取るのではないかと予測されていた方がいたけれど、まさしく、強引かつ都合のよすぎる、そしてどこか教条主義的にメッセージを押し付けてくるやり方で、物語の決着を”創り出した”展開だった。そこに、この作品を社会に問うた意図や価値があるとは自分にはとうてい思えないし、「大丈夫、大丈夫」と繰り返されて希望を持つように教え諭す神様のやり方になんの説得力も無いと思っている。この作品の価値はそんなところにあるのではなく、あくまで夢や希望を訴えなければならない虚構の物語において、作り手がどれだけ、失意と絶望の淵に見出す人間性に肉薄してみせることができたか、この一点に尽きる。


そのうえで、我々受け手が何を思うのかという点が、この作品の真価を決定づけることだろう。エンターテイメントとしてとても面白かったのは間違いないが、しかし作り手があんなに強引なやり方で希望の押し付けを行わざるを得なかったという部分にこそ、この作品の絶望が存在していることに、我々は目を向けなければならないと思う。


希望とはなんであろう。それは突き詰めれば、幸福を欲する心の働きであると言えるかもしれない。しかし、ではその幸福にいったいどんな価値があるのか、という問題もあるし、人の持つささやかな希望を不条理にも積極的に踏みつぶそうとしてくる運命の存在を実感している人々は少なくない。叶うかどうかも分からない希望に振り回されて四苦八苦し、もし叶わなければ絶望するしかないし、たとえ叶ったからといってそれほど意義が有るのかどうかも疑問が残る、そんな希望とやらに我が人生を賭すという行為は、考えれば身震いするほど恐ろしいことではないのか。


まどかの物語は、たぶんそういった掘り下げ方を求められている。最終話でいくらまどかがポジティブなことを語りかけていたからといって、それを言葉通りに受け取っては、インキュベーターに騙されて不幸になっていった魔法少女たちと同じ轍を踏むことになるのではないかと思う。この作品で描かれた魔女システムを、作り手がどんな意図を込めて構築していったのか、ということのほうが、魔女システムを破壊したまどかの言葉の意味を探るよりも、ずっと重みのあるテーマではないだろうか。


希望とはなんだろう。私は、これは罪悪であると考える。しかしあなたはどう考えるのか?これは この物語に触れた視聴者のひとりひとりが、自分自身の答えを導き出さなければならない問題だろう。




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それでは、以上です。


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この記事へのコメント

名無し
2011年04月22日 17:46
希望が罪悪と言うのなら、絶望こそが美徳であり、絶対不変であるべきなの?。そもそも理屈や論理を使ってまで、深く考える必要はあるの?。その希望がちっぽけなものであっても、それだけで生きて生きたいという意思が持てる人がたくさんいると思いますよ。
おパゲーヌス
2011年04月22日 22:10
>名無しさん
少女たちの希望や願いが契約によって実現した先に、彼女たちが現実世界で手にすることができたものが何かを考えると、魔女システムという過酷な設定が持ち出されるまでもなく、夢や希望といったものがどれだけの価値を持っているかという問題に関する、作り手の絶望感がよく理解されるのではないかと思っています。そこに思いを馳せるのも、視聴者に与えられた作品の楽しみ方のひとつでしょう。

マギカに限らず、およそすべての作品は、それを視聴した我々自身が自由に解釈したり受容したりすることが保障されているわけで、そこから何を感じ考えるのかという自分の”感想”を、ブログの記事には書かせて頂いています。あくまで私自身の思索の結果ですので、もし名無しさんのお考えと大きく異なる解釈であったとしても、こんなおかしなことを考えてる奴もいるんだな、くらいで受け流していただければ幸いです。

というか、こんな意味不明な記事をわざわざ読んでいただき、どうもありがとうございましたw
リアルタイム視聴した四十代です
2011年04月24日 06:41
お若い方とお見受けしました。

何人か友人の死を見送ってきて思うのだけど、なにがしかの甘い見積もりがないと、生において直視すべきは「ただおのれの死」のみという事になってしまう。しかし、それこそ視野狭窄というものです。
生ある限り希望を探してしまうのは本能だと思います。
おパゲーヌス
2011年04月24日 13:09
>リアルタイム視聴した四十代さん
実年齢は言うほど若くはないのですが、気持ちはいつまでも10代のつもりでいますw コメントどうもありがとうございます。

これは自分の言葉足らずで申し訳ないのですが、「生」のあり方をどのように捉えるかというところから、この記事の主張はスタートしています。人生において幸福を求めることに果たして意味があるのだろうか、という観点がまずあり、仮に幸福が無価値であるなら、その幸福を求めようとする働きであるところの希望もまた、価値がないかもしれない。無価値なものを追求し続けて貴重な時間や労力を浪費するのは、だから罪悪なのではないかということなのですが・・・。これにかんしてはもっとじっくり文章を費やして述べなければよく伝わらないのは重々承知していますので、このようなコメント欄でお茶を濁してしまうことを大変申し訳なく思います。

ところで、”生において直視すべきは「ただおのれの死」のみという事になってしまう”という事実を認めざるを得ないときに、ではどのような生き方を追求するべきであるのか。このテーマこそが、自分のもっとも心惹かれる思索テーマのひとつであることを、告白しておきます。

頭でっかちな若僧の浅知恵に過ぎないとお笑いになるかもしれませんが、こういう人種もいるんだ、くらいに考えて頂ければ幸いです^^
湯肉論
2011年04月25日 16:18
 はじめまして、湯肉論と申します。おパゲーヌスさんのアニメに関する御考察、いつも興味深く拝見しております。 

 さて、今回の魔法少女まどか★マギカにおける「希望とは罪悪である」という御指摘に関しての私見をお許し下さい。多面的視点の重要さが叫ばれる昨今ですが、得てして「希望」もしくは「愛」や「勇気」などに代表される聞こえ良い言葉・概念に対しては視点の多面化が徹底しておらず一面的な解釈のまま膠着してしまう場合が多いと常々感じられます。そのような風潮の中で今回のおパゲーヌスさんの御指摘は「よくぞ言ってくれた!」とまさに目から鱗でした。大げさに聞こえるかもしれませんが、人間の思考が言葉をもって構成されるものである以上、一つの言葉に対する視点が広がることはあらゆる作品への感性を広げることにつながるのです。私はアニメとは幅広い視点で見ることが許されているものだと考えております。その視点をより広げていただき、感激のあまり思わず筆をとった次第です(筆ではありませんでした)。

アニメとはあまり関係ない拙い文章で大変失礼しました。今後もご考察を楽しみにしております。
おパゲーヌス
2011年04月25日 23:47
>湯肉論さん
どうもありがとうございます。お恥ずかしい限りですが、とても嬉しく思います。

固定的に語られる価値観の再考というのはとても意味のあることですよね。ただ今回の自分の記事は殴り書きのメモみたいなもので、これで何が言いたいのかを伝えるのは無理がありすぎると自分でよく分かっていますw ですので、もっと皆さんにご理解頂けるように、改めて文章化に取り組んでみようと考えております。賞味期限切れないうちに動ければ、ですが・・・。

今後も楽しみに、と仰っていただくたびに、更新頻度が激減している今の状況が大変いたたまれないですが、リアルがもう少し落ち着いたら、ご期待に添えるようなブログ活動がまたできるよう頑張ります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします^^

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