あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 第11話(最終回)「あの夏に咲く花」

涙腺からこんなにたくさん弱アルカリ性体液が流れ出すのは、ずいぶん久々でした^^


終わったー。終わっちゃった。毎週毎週ほんとうに濃いドラマが展開されて、全11話完結と分かってはいたのに、いつまでも終わらないで放映され続けるような感覚に陥りながら、不器用な少年少女たちの姿を追いかけていた。こうして最終話を迎えてみて、いかに自分が、今作の時間の魔力に囚われていたかを実感した。


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いつか終わりが来ることをはっきりと理解し、むしろその終わりへと到達しようと努力を続けながら、それでも今の日々が本当に終わってしまうなんてとても信じられないでいる姿というのは、子供時代の体験ならではのものだろう。それが楽しくてもつらくても、後から考えれば本当に幸福だった日々。青春時代というのはそうした子供としての幸福を味わえる実質的には最後の時期であり、具体的には学校の卒業(それが中高大のいずれであるかは人によるが)とそれに伴い社会という巨大な自動機械に組み込まれてしまうという事実をもって、子供という特権は物理的にも精神的にも完全に剥奪されてしまう。


しかし若者は、そうして迫ってくるタイムリミットを指折り数えることが出来る立場であるにも関わらず、まだそんな”卒業”を遠い未来の出来事のように感じ、あるいは自分を騙して、いよいよのっぴきならない時期に差し掛かるまで精いっぱいに青春を謳歌しつづける。このように麻痺された時間感覚は、後から考えればまるで魔法のような不可思議さや甘美さや切なさを伴っていて、10代半ばのごく限られた時期にしか体験できない稀有のものであるが(だからこそ我々は青春時代を特別視するのだろう)、しかし『あの花』という作品は、まさにこの青春時代特有の麻痺された意識を追体験させるという点において優れた効果を発揮していたと言えるのではないだろうか。


以前の話数で、他の学生たちが衣替えを済ませているのを見たじんたんが、”夏のケモノ”と称しためんまが未だに自分に付きまとっていることにハっとさせられるシーンがあったが、移ろいゆく世間の時間の流れに対して自分たちの体感している時間感覚が大きくズレているというのは、じんたん達の青春の最後の輝きをよく象徴している。迫りくる子供時代の終焉から目を背けるということは、それだけ目の前の青春を生き抜くのに真剣であるということであり、それは逃避でありながら同時に闘争であり、子供としての彼らが散らす火花の輝きだ。ただし今作の主人公5人は過去のある地点から青春を謳歌することをきっぱりと辞めてしまった者たちであり、いまそのトラウマと対峙することで、溜めこんでいた負債を急速に返還することで、普通ならより緩やかに移行していく子供時代からの卒業を、ドラマとしてよりはっきりと手に取って見えるカタチで提示していた。


彼ら自身がお互いに変わっただの変わっていないだのと話題にし、あるいは互いにめんまに囚われていることを指摘しあうなどしていたのは、もちろん人間関係の変化や感情のぶつかり合いが今作の最大の見どころとするために描かれたものであろうし、またトラウマの克服とか友情の絆の修復とかいった点にドラマ性を求めるがゆえの作劇であったが、同時に、彼らの心の中で停滞したまま時間と彼らの外で否応なしに進み続ける時間とのズレを常に意識させ、それによって彼ら自身はもちろんのこと、我ら視聴者までをも、青春時代に特有の時間感覚の麻痺を体感させ、より深く深く彼らの体験を共有させる意義があったと思う。我々は、どちらかと言えばつらい出来事のほうが多い彼らの友情ドラマをとても価値のある体験として視聴するだけではなく、いつか終わるであろうのにいつまでも続いていきそうな青春時間までをも一緒に味わい、その切なく甘美な流れの中に身を浸すことになったわけだ。


第10話にて花火の打ち上げが成功した場面や、あるいはこの最終回でめんまの体が弱まっていく描写など、この”終わりそうで終わらない、でもいつかは終わってしまう日々”を強烈に意識させるものであった。第10話は、ずっと話題の中心だった龍勢ロケットが「めんまを成仏させるため」に打ち上げられたわけだが、この花火は過去との決別を意味するという点で今作における”子供時代からの卒業”を象徴していたはずで、また一見いかにもお別れのシーンにふさわしい感動を持って描かれたが、しかし実際には、物語の終焉はやって来なかった。第11話ではそれが、5人が心の底からめんまのことを想っていなかったことが理由であると語られていたが、それは事実とは異なっており、実際にはめんまはいなくなってしまう要因に花火は関係なかった。いやそれどころか、めんまのお願いの成就や5人の友情の回復など、今作におけるゴールと推定されるべき要素のなにひとつとして、めんま成仏の要因とはならなかった。そんな合理的なお話では、なかったのである。このあたり、視聴者を停滞と流転の入り混じる独特の時間軸の中に巻き込んでいく作劇の妙が、よく発揮されているのではないだろうか。


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ところで、めんまの目的は「じんたんを泣かせる」という、宿海母とめんまの二人で交わした約束にあったわけだが、その目的が達成できるかどうかに関わらず、めんまが最初から時間制限を抱えていた存在であったと考えても良さそうに思う。いちおうは目的を果たせたからという名目でお別れの時を迎えてしまったけれども、仮に泣かなくても大人になってしまえば幽霊が見えなくなるんじゃないかと想像できるし、めんまがどういうチカラで復活したにせよ、それほど長い猶予が与えられていたわけではあるまい。もしかしたら時間制限をギリギリいっぱいに使って、ようやくココまで漕ぎ着けたのかもしれない。


しかしめんまの性格を思うと、じんたんのお母さんとの約束を果たせなかったのがよほど悔しかったに違いなく、つい目頭が熱くなってしまう。きっとじんたんは母親が亡くなっても気丈に振る舞い続けたのだろうが、母が心配する以上にふさぎ込み表情を失っていくきっかけになったのが、自分自身の死であるというのは、本当に無念だったことだろう。もしかしたらじんたんは、めんまの死に対しては涙を見せたかもしれない。だがむろん、それはめんまの約束とは正反対のことであったから、じんたんたち5人の幸福を奪っただけでなく、天国にいるであろうじんたんのお母さんをも悲しませる結果になったことを、相当気に病んでいたことだろう。そりゃ、化けて出るのもうなずける。


そして、めんまがじんたんを泣かすために考えて考えて考え抜いたその答えが、「めんまのお願いをかなえて」という嘘であったというのが、泣ける。嘘といってももちろんそれは、本当に相手のために親身になって考え抜かれた方便であって、その目的が離れ離れになってしまった超平和バスターズをふたたび呼び戻すことであった。それを、理屈ではなく天然の感性でやってのけるのだから、つるこやあなるが「敵わない」と白旗を上げるのも納得だ。本当に、皆から愛されるために存在した子であり、皆を愛するために存在した天使であったのだと思う。


汝、隣人を愛せよ。非キリスト者の自分にはその言葉の意味も価値も1%だって理解できるとは思っていないけれども、めんまを見ていると、そしてめんまのやったことを思い起こすと、古の偉大な思想家の語ったこの言葉が、少しだけ深く、理解できる気がした。





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それでは、以上です。どうもありがとうございました。


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この記事へのコメント

あるるかん
2011年06月24日 21:54
良い終わり方でしたね。今作もそうですが、『CLANNAD』『君に届け』『涼宮ハルヒ』は十代の頃の素晴らしさを教えてくれる気がします。
まあ『CLANNAD』は大人になった以降も素敵ですが、朋也と汐の和解や渚の死を受け入れる辺りは泣きまくります。


じんたんとあなる、つることゆきあつのその後が知りたいです。
しずく
2011年06月25日 00:46
お久しぶりです。

終わっちゃった……。
なんだか、………なんだかなぁ。
コトバが出てこない。
それと、昨今アニメ見てそのドラマ性(物語性)に泣かされそうなった(意志の力で涙腺を封じ込められた)ことは結構あるのですが、これが実写のものになるととんと記憶にない。
なんだかなぁ……ってね。

話は飛びますが、以前ごはん時に、父母妹がいる前で「アニメ見るからテレビ使うよ!」と強制的にテレビ権をぶんどって「東京マグニチュード」を最初から最後まで流したことがありまして、みんな泣いてた。
『アニメなんかこどもの見るもの』と決めてかかってる父も見入ってた。
でもなー。
「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」は最後まで見せてはもらえないだろーなー、と思う。
なぜか?
幽霊という虚構性の強いキャラクターが中心にあるから。
どうにもこうにも。
情緒がなくていけない。


…相変わらずの乱筆雑文でまことに失敬!

しずく
おパゲーヌス
2011年06月25日 02:05
>あるるかんさん
良い終わり方でした。後日譚が見たいという意見はあちこちで聞かれますね。自分はこのままで、かなり満足しちゃってますけれども。でもDVDとかに新作エピソードとか付くのならぜひ見たいところです。

今後のカップリングとしては、やっぱりじんたん×あなる、ゆきあつ×つるこ、なのでしょうかね。恋物語はそれはそれで、まったく別の展開を取りそうな想像もできます。ぽっぽとかですねw
おパゲーヌス
2011年06月25日 02:15
>しずくさん
お久しぶりです。更新激減して本当に申し訳ないです。

東京マグニチュードがいけるなら、あの花もイケそうですけどねー。あからさまな萌え要素も少ない(ように見える)し、幽霊が出てきて心温まる交流をするという設定も、アニメ以外でも多く見かける印象はあります。情緒という指摘がありましたが、実写ドラマにせよアニメ(それこそ「あの花」も)は、幽霊を出すからこそ非常に情緒のある作品になっているものが多いと、僕は思いますね。マグニにも幽霊出てきますしw

自分の印象では、テレビアニメはやっぱり受け入れられないのかなぁという感じです。映画のほうが、受けが良いかも?
ぽんず
2011年06月25日 09:14
どうもです。

なんだか脚本の岡田さんとは相性が悪いのか、どうしても感情移入しきれない傾向があるのですが、それでも泣かされるくらいパワーのある作品でしたね。
 
以前じんたんは指摘した通り、めんまは他人のことばかりでいわゆる「天使」キャラであったのが私には不満でした。
だから最期の最後に自分自身の望みを吐き出してくれて嬉しかったですね。
おパゲーヌス
2011年06月25日 23:38
>ぽんずさん
ああ、岡田さんの作品と相性悪いのは自分も同じです。名作と言われる「true tears」や今やってる「いろは」なんかも、すごく良かったんだけど自分の感性とは違う、みたいな感じはすごくあります。

それでも、やっぱり号泣させられるこの作品のチカラはすごいですね。このあたりは岡田脚本のうまさに加えて、やはりアニメーションのチカラが大きいと思いますが。

自分が気になったのは、ぽっぽの救済の部分でしょうか。めんまから”好き”と言われたことで、もう引け目を感じることは無いということでいちおう救われてはいますが、でもめんまを助けなかった(やろうと思えばできた?)のにそれをしなかったという自身の行動に対する悔恨は、いまも残ってると思うのですよね。誰が誰とくっつくか、といった後日譚ではなく、彼らのトラウマがどのように今後の人生に生かされていくかを、もっと見たかったという思いはありますね。むろんそれは、アニメで描かれるべき範疇をとっくに超えているわけですけどね。

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