輪るピングドラム 第10話「だって好きだから」
やはり、新規要素が山盛りだった第10話。前回の時点ですでに突入していた第二章の物語が、今回から本格的に始動したと見るべきなのかもしれない。今期はいろんな作品で仕事しまくりの後藤圭二氏による一人担当回で、夏芽が大活躍のエピソードを気合い満点に描き上げた。ところどころに意図的な綻びが仕込まれてはいたものの、まだまだリアルな世界での事件や人間関係を扱っていた序盤に対比して、前回や今回はとにかく幻惑的な演出やデザインによって、悪夢のような舞台世界に我々を引きずり込もうとしているかのようだ。幾重にも重ねられたベールが剥がされていくとき、この作品は果たしてどんな素顔をあらわすことになるのだろうか。
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今回のエピソードは、昌馬が苹果の身代わりとなって車に轢かれてしまった直後から。前々回・前回の引き方からして、さぞとんでもない大事故になったんじゃないかと心配していたが、とくに大きな怪我ではなかったようだ。むろん主人公の一人として、こんなところで長期休養に入ってもらっても困る。今回もいい塩梅に”振り回され役”に徹していて、今後も冠葉・昌馬の愛すべきコンビネーションは健在でありつづけるだろうと予想させるものがあった。
またここにきて、苹果がようやく昌馬の男気に気づいたようで、なんか馴れ馴れしく「昌馬くん」なんて呼んじゃってるし、あんなに大切にしていた日記を昌馬を救うためにすぐさま差し出すなど、態度が急変。こうして見ると、病的な暴走さえしていなければ、苹果も素直な普通の女の子だ。そしてそんな彼女の本質などとうの昔に気づいていたらしい昌馬もまた、入院という自分自身の危機的事態を差し置いて、女の子として苹果の体や心の傷を心配し、いたわって見せた。こうしたあたりにしっかりと昌馬なりの信念が貫かれていて、見ていてじつに清々しい。
今回の前半パートのような、比較的平穏な日常風景となると、冠葉と昌馬の好対照っぷりが普段とは真逆に映るのが面白い。陽毬の命のためにピングドラムを手に入れようと奮闘している間は、そのミッションにより真剣かつ徹底して打ち込んでいる冠葉はじつに頼りがいのある男だった。一方の昌馬はどうにも切実さが足りず、本当に陽毬のことを大事に思っているのかと疑いたくなるような頼りなさがあった。しかしいったんはミッションを離れた普通の生活になれば、冠葉はあまりにも陽毬のことを好きすぎるのが逆に災いして、またそんな自分の生き様にのめり込んでいる様子もあって、他の人たちや、ましてや陽毬のことすら目に入らなくなってしまう場面があるようだ。陽毬が普段何をやっているのか、それをちゃんと分かっていれば、食堂で陽毬がぶつけた質問の意図にも容易に気づくであろうし、あるいは陽毬が自分のこととして尋ねているであろうその内容を、陽毬を無視した自分勝手な視点で解釈することもなかったはずだ。このちょっとした配慮のなさというか不器用さが、冠葉の欠点としてはっきりと描かれた。
それに対して昌馬は、前々回の記事で推測した彼の信念がよりはっきりとあらわになる様子が描かれた。昌馬だって陽毬のことを誰よりも大切に想っている。しかしだからこそ、他の友人たちも心から大切に扱って見せることで、陽毬の生きるこの世界全体を救おうとしている。こうして見ると、陽毬が幸せになるためには、冠葉と昌馬のどちらかが欠けても絶対にだめで、二人の兄が手を取り合ってお互いの長所と短所を補いあうことで、はじめて彼らの目的が真の意味で達成されることになるのだろう。
そんな冠葉と昌馬の兄弟に対して、夏芽の姿もまた印象的だった。夏芽マリオという名前の弟?(もしくは夫?そんなまさかw)が登場したのはびっくりさせられたが、もし夏芽姉弟の関係が高倉家のそれと似たような状況であるのだとすれば、夏芽真砂子もまた、ペンギン帽子によって運命に抗うすべを教えられた一人なのだろう。だが、二人が揃うことでその真価が発揮される高倉兄弟とは異なり、真砂子は一緒にミッションにあたる仲間を持たないらしい。それでも現時点では夏芽真砂子のほうがより計画実現に近づいているようではあるが、この二人と一人の差というものが物語の展開に何らかの影響を及ぼすことは十分考えられる。両者のことは単なる敵味方としての対立としてだけではなく、人となりや生き様の対比としても注目しておきたい。
むろんこの人たちの場合は、陽毬以外の女の子に興味がない冠葉と、彼を愛してしまった?夏芽真砂子、という構図として、さらに複雑な絡み合いを見せてくれそうではある。能天気そうに見えて、意外とグロテスクに、間違った方向性でピュアな恋心を描いてくる今作のことだ。こちらの想像もつかない展開が待ち受けていたとしてもおかしくはない。今回なども、いったい何の魔法のチカラか、罪悪感なんて何も感じていなそうな冠葉をあそこまで追い詰めることができた夏芽真砂子の執念はただならぬものがあったと、否応なく感じさせられてしまう対決シーンだった。ペンギンの発揮する摩訶不思議なチカラではあるけれど、今作の場合はそうした魔法が、主人公たちがもともと持っていた強い願望なり意志なりを媒体として、あるいはそれらをことさら増幅し暴き立てることによって発動しているような印象がある。多くの魔法少女モノの一連の作品群で描かれてきた、心の強さを物理的に体現する装置としての魔法のあり方。幾原監督はこの構図をさらに先鋭化させて『ウテナ』の決闘劇を生み出したわけであるが、『ピングドラム』もまたそうした文法を加味しながら作られているのだろうから、作品舞台の中でどんな前衛的な表現が繰り広げられているか、ということの裏側にあるはずの、登場人物たちの激情のほとばしりを、注意深く見守っていきたい。
「だって好きだから」というサブタイトル。これが夏芽真砂子の心情であるのなら、あんなに冷血そうに見える彼女もまた、一人の女の子であるということが示されたということ。『ピングドラム』という作品はちょっと独特な視点をもってジェンダーのギャップを描いているが、芯が強く行動的で男勝りな少女たちが、しかしその内面にはガラスのように繊細な心を持ち、現実味のない夢物語の世界に耽溺しがちな”女の子らしい”要素を隠し持ち、かなりはっきりと表裏の二面性が強調されている点で、夏芽真砂子は苹果や陽毬と同様に、しっかりと『ピングドラム』的少女像を体現している。それは高倉兄弟が担っている少年象とともに、作り手があえて非リアルな方向性に歪めたり強調したりしている虚構的な人物描写として、作品を読み解く重要なテーマとなってくると思われるから、要注目だ。
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さて今回のEDは、先日発売されたED曲シングルにカップリングとして収録されていたバージョン。夏芽真砂子ver.とでも言うべきなのかもしれないが、それにしては劇中の演技と歌とでは雰囲気が違いすぎるのが、気にならないでもないw それとも、あえてこのような浮遊感のある清純な歌声を披露することに、夏芽真砂子の内面を象徴しようと言う意図でも込められているのだろうか。
なお最近は、アニソンのシングルもだいぶアニメファンのために良心的な販売法をするようになってきた印象があって、ピンドラEDも、シングルと同じ価格でなんと7曲も収録されている豪華版。「もってけセーラー服」のリミックス版を思い出すような、多彩なアレンジを聞かせてくれるので、すべて同じ曲であってもまったく飽きさせない、とても良いディスクだった。まだ購入されていない方はぜひ、10月5日発売予定のOP曲と一緒に購入されてはいかがだろうか。
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それでは、今回は以上です。
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