ラストエグザイル―銀翼のファム― 第19話「Queening square」

今回ばかりはED演出に痺れたww 衝撃の結末を煽り立てる音楽のチカラに感服。



泥沼の政治劇が、早くも次の戦乱を呼び寄せる第19話。今回は、ルスキニア暗殺未遂事件をきっかけにして、各陣営に所属する様々な立場の人々を何とかまとめていた和平への意志が、早くも崩壊していく様子が描かれる。そしてここで、本来の目的を遂行するために一挙に行動に出たルスキニアが、ついにグラン・エグザイルを起動させた。



この、文字通り”ラスト・エグザイル”と呼ぶべき最終兵器は、これまで登場したエグザイルの姿とは一線を画すもので、その兵装も段違いにすさまじいものだった。グラン・エグザイルの放った大口径の光線砲は、交戦中の第二・第三艦隊のほぼすべてをすっぽりと飲みつくし、湖底を深々とえぐって消し去ってしまった。交戦部隊から少し離れたところにいたサドリの艦隊や、オーランの乗るアドミラリーはなんとか消滅を免れたけれど、この事態を彼らがどう受け止めたのかは次回の注目ポイントだ。


北へ脱出しようとした第一・第二艦隊に対して、追撃に出たオーランが統合軍のうちどれだけの兵力を指揮していたかは分からない。劇中の会話を聞いている限り、第五艦隊や他の帰還民艦隊は出撃しておらず、第三艦隊単独での追撃戦だったように見える。そもそもの兵力差に加えて、何の準備もしていなかった上に指揮系統が滅茶苦茶になっていた統合軍が、このときの戦いに勝てる見込みがあったとはとても思えないのだが、アウグスタの奪い合いに象徴される主導権や大義名分の獲得競争においては、勝敗や損害を度外視してでも戦わなければならない、意地のぶつけ合いのようなところがある。まだとても満足な戦力に回復してはいなかった第二艦隊に対して、カイヴァーンが果敢にも突撃隊形を組んでの反撃を命じている様子からも、お互いの軍勢が、現在や今後の戦局を見定められないまま、ただ全力を出し切って目の前の壁を突破しようともがくしかない状況が伝わってくる。


どちらの指揮官も「大義は我にあり」と謳いながら、もはや大義などどこにも存在しないこの決戦の悲哀は、やりきれない。すでにヴァサントの計画はとん挫し、アウグスタの理想も潰え、ルスキニアの意図は誰にも理解されないまま、カイヴァーンは自分も含めた軍人たちにただ剣であれと訓示する。グラキエスの正義の愚かしさはディアン本人が痛感してしまったし、ミリアも自分の目指すべき道を見失いかけていて、さらにここにきてとうとうファムも弱音を吐いた。考えなしのわりに責任感の強いファムは、いままで自分が現実離れした夢想をけしかけていたことが、周囲の人々を余計な混乱に巻き込んでいったと悔やんでいた。現実には、彼女の言葉が意味を成したことなどほとんど無かったのだが、最後の最後にサーラと結託して強引な解決法へ突っ走ってしまったことが、現在の混乱を確定させることになってしまった側面は確かにある。でも、じゃあどうすればよかったのか? それは誰にも分からない。


この世界の状況を見れば、人類共存の方途はそれほど選択肢があるわけではない。各国がそれぞれ主権を保ったまま、合議制によって緩やかなまとまりを維持する(いわば国際連合のような)やり方は、グラキエス戦後にヴァサントやミリアたちが目指したものの、あっという間に困難にぶち当たってしまった。そのやり方を発展させたものとして、軍事的優位を保ったアデス連邦が盟主として各国を取りまとめる、言ってみれば江戸幕府のやったようなシステムが、ヴァサントとサドリの講和後に模索された道だったと思われるが、それで丸く収まるような簡単な歴史をたどってきたわけではなかった。このやり方がダメになった今となっては、アウグスタを奉じたルスキニアがグラン・エグザイルの圧倒的な力によって強権的に諸国を支配する帝国主義が、現実的にはもっとも近道に見えるかもしれない。ルスキニアがそうした道を目指している可能性は十分に高そうだが、なんだか『コードギアスR2』のダモクレス登場以降あたりで散々見せられたようなこのやり方が、名君ファラフナーズの意図していたものだとはあまり思いたくない。ルスキニアがもっと高潔な理想のために前身しているのだと信じるのは、期待をかけすぎているだろうか。


そしてもしファムたちがルスキニアを否定すべく武力を行使するならば、あまりにも狭くて弱いこの世界において人間たちが生き延びていくにはどうしたら良いか、難しすぎるこの問題になんらかの答えを出さなければならない。それがファムの言うグランレースに結実するとしても、その前提となる憎しみの連鎖の根絶と、すべての国家・人々が公平に、賢く資源を分配していくという決意を、作中で描いてもらわなければならない。こればかりは、どんなに強引でもいいから、妥協せずに語りきってほしいところだ。(※本来なら、魅力的で整合性のあるドラマを通じて、視聴者に広く訴えかけられるよう「描く」ことができればベストだったのだろうけれど、今となっては、それを求めるのは酷だと思う。でもせめて「語る」ことはして欲しい。単純なSF戦記アニメにしなかったスタッフの意地を示して欲しいところである。)


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これは個人的な意見だが、ファムの正義がちゃんと意味や価値を持ってくるには、この思想が民衆の行動に根差していなければならなかったのではないかと思う。しかしファムの言葉を聞かされていたのは主に各国政府や軍隊の指導者たちだった。これら指導者たちは、国民や兵卒たちの生命を守らなければならず、どうしても、自分の所属する組織の直接的な利益を追求せざるを得ない。そんな彼らにグランレースがどうのと説得にかかったところで、素敵な夢を持っていることを羨ましがられることはあっても、それを真に実現しようと動くことのできる人間がいるわけがない。ミリアだっていまだにトゥラン再興と言っているくらいなのだから。ファムの思い描くグランレースの理想を実現しようと思ったら、文字通りの意味で、この地上からあらゆる国家を根絶しなければならない。そのためには、国家の要人ではなく、名も無き民衆の一人ひとりを動かしていくしかない。ファムがしばしば武器を拒絶し、空族の仲間やサーラたちを巻き込んで突っ走っていった先には、当然の帰結として、ガンジーやキングといった人々が目指した民衆による非暴力の変革に、到達するはずだったろう。


ルスキニアがグラン・エグザイルを投入して、味方の軍勢までも巻き込んで大殺戮を行ったのには、やはり思想的背景として、この世界からあらゆる軍事組織を根絶したいという夢が働いていたのかもしれない。そして今回の彼の行動は、自分が圧倒的な力をもってこの世界に強制和平をもたらそうとするよりも、もっと過激に、もはや人類に戦争という資源浪費を行うことが出来なくなるくらい、徹底的に国家や軍事組織を破壊しつくそうという狙いや使命感のようなものがあったのではないかと想像している。彼がそのように原理主義的に戦争根絶へ向けて突き進んでくれれば、彼自身の持つ軍事力が消滅した後には、ファムがもともと掲げていた理想が、以前に比べればずっと容易に実現し得る世界が残されることになる。もちろんそんな結末になれば、ルスキニアのやった破壊と殺戮を作品として容認することになってしまうのでどうかとは思うが、可能性がゼロとは言い切れない。


いずれにせよこの作品は、どちらの陣営が悪で正義かという次元をとっくに超えて、いまでは、戦争行為やそれに伴う破壊・殺戮・数知れない不幸と憎悪の量産という狂気の行為が、もしかしたら人類に必要な正しい行いだったのかもしれない、という結論を導き出しかねない、そんな常識や道徳への挑戦を掲げて進行している。ここから先に描かれる物語で、作り手がどんな言葉を発信し、それを視聴者としてどのように受け止めるべきか、よくよく考えながら視聴していきたい。




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それでは、今回は以上です。


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