さくら荘のペットな彼女 第6話「雨上がりの青」
ましろの新たな一面が明らかに。この子には常に驚かされる。
青山七海をメインに据えたエピソードの二週目となる今回は、大事な本番の時にとうとう無理がたたって倒れこんでしまう展開。しかしこの作品の見事なのは、さらに無理を重ねてオーディション会場に向かおうとする七海に対してゴーサインを出してしまったところだ。
ある意味では非人道的というか、見る人が見たらクレームでもつけたくなるような展開。こんな横暴さも、椎名ましろという特殊なキャラクターを前面に押し出しているからこそできることかもしれない。そして、非常識の極みともいうべき ましろが感情最優先で下した今回の判断は、夢を見続ける青少年たちの集うさくら荘コミュニティならではの主張として発信されていたものだった。社会的に責任を負う立場にある大人であれば、結果も期待できず体調を悪化させかねない判断を採用してよいはずがない。しかしいまこの瞬間にしか目指すことのできない夢のために、全身全霊をつぎ込んで頑張っている若者たちにとっては、わずかに残った可能性さえ放り出してしまうことは逃避であり罪悪であり悔恨のタネとなってしまう。大げさに言えば、夢と命とを天秤にかけて躊躇なく夢を選ぶことができるのが、椎名ましろやさくら荘の面々なのだ。
皆が七海を止めようと話し合っていた時に、真っ先に ましろが反対意見を述べたのは、彼女が七海のもっとも近くにいて、彼女の努力を認め、その真剣さに心を打たれていたからであるのは間違いない。しかし同時に、このメンバーの中でもっとも自分の夢に近いところにいるのが ましろであり、そこに到達するまでの苦悩や葛藤や無理を押し通す意味を一番分かっているのも、恐らく彼女だろう。普段の ましろの非常識で奇怪で考え無しの言動だけを見ている人ならば、七海を行かせるべきだとする ましろの意見をまともに取り合わなかったかもしれない。しかし ましろがどれだけ真剣に努力を重ねているかを、同じく夢に向かって努力し続けてきたさくら荘メンバーは身に染みてよく分かっていた。だからこそ ましろの決意のこもった「お願い」は、皆の心を結束させることができたのかもしれない。
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また今回は、七海のことを心配する空太に対して、彼女を放っておくようにと三鷹先輩に言われていたのが印象的だった。恐らくこれは空太以外の全員の共通認識だったのかもしれないが、明らかに無理をしている七海に対してさくら荘メンバーは原則ほったらかしにしている。ましろの「お願い」も含めて、さくら荘メンバーの七海に対する態度は原則「やりたいところまで好きなようにやらせておけ」というところだ。
これもやはり、自分の才能を糧に創作活動に励む(あるいはそれを夢に描く)さくら荘メンバーらしい態度と言える。どんなに他人から世話を焼かれても、結局のところ最後は自力でやりきるしかない。あるいは自力でできるものを他人に任せてしまっては、それが逃げの口実になってしまい、自分のためにならない。大事なのは、自分がどこからどこまでをやり切ることができて、どこまで行ったら限界が訪れるか、またどの部分・どの程度なら「甘え」が許されるのか(自分の不利益にならないのか)、といった「見極め」であり、プロの創作者としての自分をコントロールする術を身に着けること。そのためには、一度ならず大失敗しておくことは決して悪いことではない。
例えば今回の一件で、七海は最終的に「ましろ当番」を空太に任せることに決定した。この部分で空太に甘えたのである。これは、ましろ当番くらいなら他人に任せてもそれが自分の逃げ口実になるようなことはないし、ましろ当番をやらないことで自身の成長の機会を逃してしまうことはないだろうと判断した、ということだ。
親の反対を押し切って独り立ちしようとする七海にとって、身の回りのこと、学校のことを、夢や目標と同じくらい真剣に取り組んでいくのは当然のことであったのだが、反対している親御さんは、まさか娘が ましろ当番なる奇妙な役割まで完璧にこなすことを想定していたわけではないのだから、コレを他人に甘えたことを非難されるいわれは七海にはない(もっとも、結婚して子供つくるとか言い出すんなら別だろうけれど)。 ましろもそれを分かっていたからこそ、七海に世話を焼かれることに心を痛め顔を曇らせる場面があったのだと思う。こんなに頑張ってる上に自分の面倒なんか見なくても、だれも文句は言わないよ、と七海に声をかけてあげたかったのかもしれない。
きっと七海は、ましろ当番以外のことに関してはこれからも完璧にこなしていくつもりでいる。もちろん寮としての共同生活なので、実家や一人暮らしとは違ったルールでの生活になるだろう。とくにさくら荘は、世話焼きの空太や生活スキルの高い三鷹から、ほとんど他人と顔を合わせようとしない龍之介まで、さまざまな生活スタイルや関わり方が混在している空間であり、そのなかで七海が自分の立場・役割をどのように位置づけるかという問題はあるだろう。だが、何をしても自由なさくら荘である、彼女がこれまで通りの完璧主義であろうとも、あるいは180度転換して完全な放任主義に走ろうとも、どんなことをしても咎められることもなく、逆に言えばすべての言動に責任をもたなければいけない。
今回の七海や ましろの姿からは、このような自由な環境のなかでいろんな葛藤や挑戦と失敗を繰り返し、自分の立てた夢や目標に一歩でも近づこうと努力すること、努力を放棄しないと請け負うこと、それが、さくら荘の一員として求められる唯一の姿勢であるということを教えられる。当初は変人の巣窟であるかのように語られていたさくら荘だが、七海が加入したことによって、この寮とその住人たちの特色や共通点がより鮮明となり、さらにはさくら荘という空間を青春の縮図として設定した今作のテーマやメッセージ性がいっそうはっきりと伝わってきたのではないだろうか。
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それでは、今回は以上です。
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青山七海をメインに据えたエピソードの二週目となる今回は、大事な本番の時にとうとう無理がたたって倒れこんでしまう展開。しかしこの作品の見事なのは、さらに無理を重ねてオーディション会場に向かおうとする七海に対してゴーサインを出してしまったところだ。
ある意味では非人道的というか、見る人が見たらクレームでもつけたくなるような展開。こんな横暴さも、椎名ましろという特殊なキャラクターを前面に押し出しているからこそできることかもしれない。そして、非常識の極みともいうべき ましろが感情最優先で下した今回の判断は、夢を見続ける青少年たちの集うさくら荘コミュニティならではの主張として発信されていたものだった。社会的に責任を負う立場にある大人であれば、結果も期待できず体調を悪化させかねない判断を採用してよいはずがない。しかしいまこの瞬間にしか目指すことのできない夢のために、全身全霊をつぎ込んで頑張っている若者たちにとっては、わずかに残った可能性さえ放り出してしまうことは逃避であり罪悪であり悔恨のタネとなってしまう。大げさに言えば、夢と命とを天秤にかけて躊躇なく夢を選ぶことができるのが、椎名ましろやさくら荘の面々なのだ。
皆が七海を止めようと話し合っていた時に、真っ先に ましろが反対意見を述べたのは、彼女が七海のもっとも近くにいて、彼女の努力を認め、その真剣さに心を打たれていたからであるのは間違いない。しかし同時に、このメンバーの中でもっとも自分の夢に近いところにいるのが ましろであり、そこに到達するまでの苦悩や葛藤や無理を押し通す意味を一番分かっているのも、恐らく彼女だろう。普段の ましろの非常識で奇怪で考え無しの言動だけを見ている人ならば、七海を行かせるべきだとする ましろの意見をまともに取り合わなかったかもしれない。しかし ましろがどれだけ真剣に努力を重ねているかを、同じく夢に向かって努力し続けてきたさくら荘メンバーは身に染みてよく分かっていた。だからこそ ましろの決意のこもった「お願い」は、皆の心を結束させることができたのかもしれない。
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また今回は、七海のことを心配する空太に対して、彼女を放っておくようにと三鷹先輩に言われていたのが印象的だった。恐らくこれは空太以外の全員の共通認識だったのかもしれないが、明らかに無理をしている七海に対してさくら荘メンバーは原則ほったらかしにしている。ましろの「お願い」も含めて、さくら荘メンバーの七海に対する態度は原則「やりたいところまで好きなようにやらせておけ」というところだ。
これもやはり、自分の才能を糧に創作活動に励む(あるいはそれを夢に描く)さくら荘メンバーらしい態度と言える。どんなに他人から世話を焼かれても、結局のところ最後は自力でやりきるしかない。あるいは自力でできるものを他人に任せてしまっては、それが逃げの口実になってしまい、自分のためにならない。大事なのは、自分がどこからどこまでをやり切ることができて、どこまで行ったら限界が訪れるか、またどの部分・どの程度なら「甘え」が許されるのか(自分の不利益にならないのか)、といった「見極め」であり、プロの創作者としての自分をコントロールする術を身に着けること。そのためには、一度ならず大失敗しておくことは決して悪いことではない。
例えば今回の一件で、七海は最終的に「ましろ当番」を空太に任せることに決定した。この部分で空太に甘えたのである。これは、ましろ当番くらいなら他人に任せてもそれが自分の逃げ口実になるようなことはないし、ましろ当番をやらないことで自身の成長の機会を逃してしまうことはないだろうと判断した、ということだ。
親の反対を押し切って独り立ちしようとする七海にとって、身の回りのこと、学校のことを、夢や目標と同じくらい真剣に取り組んでいくのは当然のことであったのだが、反対している親御さんは、まさか娘が ましろ当番なる奇妙な役割まで完璧にこなすことを想定していたわけではないのだから、コレを他人に甘えたことを非難されるいわれは七海にはない(もっとも、結婚して子供つくるとか言い出すんなら別だろうけれど)。 ましろもそれを分かっていたからこそ、七海に世話を焼かれることに心を痛め顔を曇らせる場面があったのだと思う。こんなに頑張ってる上に自分の面倒なんか見なくても、だれも文句は言わないよ、と七海に声をかけてあげたかったのかもしれない。
きっと七海は、ましろ当番以外のことに関してはこれからも完璧にこなしていくつもりでいる。もちろん寮としての共同生活なので、実家や一人暮らしとは違ったルールでの生活になるだろう。とくにさくら荘は、世話焼きの空太や生活スキルの高い三鷹から、ほとんど他人と顔を合わせようとしない龍之介まで、さまざまな生活スタイルや関わり方が混在している空間であり、そのなかで七海が自分の立場・役割をどのように位置づけるかという問題はあるだろう。だが、何をしても自由なさくら荘である、彼女がこれまで通りの完璧主義であろうとも、あるいは180度転換して完全な放任主義に走ろうとも、どんなことをしても咎められることもなく、逆に言えばすべての言動に責任をもたなければいけない。
今回の七海や ましろの姿からは、このような自由な環境のなかでいろんな葛藤や挑戦と失敗を繰り返し、自分の立てた夢や目標に一歩でも近づこうと努力すること、努力を放棄しないと請け負うこと、それが、さくら荘の一員として求められる唯一の姿勢であるということを教えられる。当初は変人の巣窟であるかのように語られていたさくら荘だが、七海が加入したことによって、この寮とその住人たちの特色や共通点がより鮮明となり、さらにはさくら荘という空間を青春の縮図として設定した今作のテーマやメッセージ性がいっそうはっきりと伝わってきたのではないだろうか。
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