けいおん!! 第23話「放課後!」

このノスタルジーがたまらない。高校時代の輝かしさよ。




卒業って、本当に別れが訪れてしまうその瞬間(つまり卒業式や追い出しコンパ)よりも、そうしたイベントの前後のほうがずっと印象深く心に刻まれるもの。自分は中学、高校、大学と、それぞれで本当に楽しい思い出を味わわせてもらったので、それぞれの卒業式はとても感慨深いものだった。でもやっぱり、その前や後の時間に、思い出に浸りながら過ごした時のなんと切なくも甘美であったことか。


中学の卒業のときのこと。唯たちと同じように、卒業式の2日前に学校を訪れて荷物整理をしていたことがあったのだけど、その日は全学が休みの日だったからほとんど誰にも会わず、夕日の差し込む教室でひとり佇んでいたのを思いだした。べつに哀しいとか寂しいとかそういうのではなくて(むろんそうした感情もあったけれど)、もっと漠然とした、ポッカリと穴のあいたような気分だった。無駄に教壇に上がって教室中を眺めまわしたり、空っぽになっているハズの自分の机やロッカーの中身をチェックしたり、好きだった人のことを思い出したりしてね。あの感覚は、今のいままですっかり忘れ去っていたはずだったのに、「けいおん!!」はものの見事に、当時感じていた寂寥を描き出してくれた。


学生時代(ギリギリ今もですがw)の自分が、唯たちけいおん部ほど楽しい毎日を過ごせていたかというと、さすがにちょっと自信は無い。けれど幸福の度合いとか経験の濃さとか、そんなことはこの場合はどうでも良いのかもしれない。肝心なのは、唯や律や澪やムギが、あるいは和や他の3年生たち、そしてテレビの前の我々一人一人が、それぞれが自分だけの、他の人とは決して同一にはなり得ないただ自分自身にしか経験されなかった、たったひとつの青春を送ったのだという、その事実だけだ。それを踏まえているからこそ、ひとつの時間が自分の手からこぼれ落ちて過去のものとなっていくその様を目にするときの、あの何とも言えない寂寞とした空気感をアニメーションは表現することができたのだと思う。




最後にやり残したことは無いか、と考えること。これは、唯たちがその高校生活を改めて自分だけの経験として受け入れるために、思い出を咀嚼し反芻する行為だ。この青春時代を自分のものとして認識していけるように、自分だけの持っていたこだわりや願望を、無理にでも見つけ出して実行しておく。それは別にやっておかなくても何も問題はないのだけれど、卒業という避けられない別れを前にして、なんとかそれにすがり付き、繋ぎとめておこうとするあがきにも似た行動。彼らがどんなにこの高校生活を愛していたかという、ひとつの証明でもあるだろう。それが、ゴールデンチョコなんとかパンを食べたり、カメの餌をやったりする行為の中に描かれていたのだ。


同じことが、部室を掃除するという4人の行動と、楽曲をすべて録音するという企画においても言える。


掃除は、これはきっとその場にいたのが3年生だけだったから、気分が盛り上がったのではないかな、と思う。最初にこの部室で、律たち3人が唯の前でヘタクソな演奏を披露したのが、4人にとっての「けいおんぶ」の始まりだった。3年間、片づけるよりも散らかして好き放題にすることのほうが多かったこの部屋を、いたわりと愛情をもって綺麗にしながら、その隅々まで目と手で触れてあげること。そうすることでこの3年間の思い出を噛みしめる。


そして梓が合流したところで、正式な放課後ティータイムとしての、いまのところ最後のセッション。5人になって以降のけいおん部の活動を、何度も何度も咀嚼し反芻するようにして、彼らは音を紡いでゆく。こうして、個人としても、3年生の親友4人組としても、また放課後ティータイムの5人の仲間としても、ちゃんと「やり残したこと」をやりきって、この輝かしい青春の思い出をすべて体内に飲み込んだことになる。それは、この3年間を完全に自分のモノにする行為であると同時に、もはや手で触り愛でることのできない過去のものとして認識してゆく作業でもあるわけだ。


卒業式前日。相変わらず楽しげで、相変わらずゆるゆるに放課後で、でもこれで最後の”いつもどおり”。暖かいけれど切ない、でも寂しいけれど満足の行く、そんな彼らのささやかな青春の幕引きを、心行くまで堪能した30分間だった。




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それでは、今回は以上です。


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