けいおん!! 第26話(番外編)「訪問!」

そうきたかぁぁぁっ!!ww



いや、まさかw 思わず アホだーー!! って叫んぢゃいましたよw いやもちろん良い意味でね。この販売戦略の巧さはさすが。喜んで釣られてあげようではないか。劇場版、いつ公開か謎だけど、心の底から楽しみにしよう。天はまだ我々を見捨ててはいなかった!!


しかし、これだけ綺麗にまとまったTVシリーズから、いったいどう膨らませて2時間もの物語を構築するのだろう。卒業式というイベントの前と後で、「けいおん」の世界観は完全に断絶していると思う。卒業式前を描くのなら、この番外編と同じようなものしか作れないだろうし、卒業式後を描いても果たしてそれが「けいおん」になり得るのか。


ただ、これは問答無用に期待させていただきたいのだが、ライブシーンを劇場版クオリティでアニメーションしてくれるんだよね、きっと? それも、演奏時間よりMCのほうが長いようなのや、イメージPVで代替させるようなのではなく、1期の第1話が始まるまさにその瞬間までほとんどの京アニファン(ないしアニメファン)が望んでいたような、ハルヒの「ライブアライブ」と真っ向勝負して見せる超絶作画によるライブパフォーマンス。これが描かれなかったら、たとえ「けいおん」がそんなアニメじゃねぇと教え諭されどやしつけられようとも、泣くよ。悔し泣きしてみせますとも。


TVシリーズだったら、そこにつぎ込めるだけの労力なり尺なりの問題もあるし、そもそも一個の作品として確立させるためのスタンスというものがあろうから、しばしば言われるように「けいおん」がバンド活動を描くアニメでないことはよーく分かっているつもりだ。けれど、それでもやはり、京アニブランドに期待したいのは他社を圧倒してみせるだけの、新境地を開拓していくクオリティのアニメーションであって、これは「けいおん」がどーゆー作品なのかとか、そんなのはあまり関係が無い。これまではあくまでTVシリーズという範疇の中で圧倒的存在感を発揮してきた京アニだが、こと劇場作品となると、TVとはケタの違う作品がごろごろと転がっているのは事実であって、その中に飛びこもうというのだから、セールス的な成功ではなく、はっきりとアニメ史にその名を刻む作品を作り上げて欲しいし、それだけのことを期待したくなる会社だ。「消失」もよかったけれどあれはあまり激しく動かす作品では無かったし、ムント様は実は観に行けていないのであるが、TVアニメファンの間にそう簡単には忘れ得ない痕跡を残して行った「けいおん」を劇場化するという決断に、どれほどの覚悟を求められるのか、作り手が一番よく分かっていることだろう。その自信のほどを、大スクリーンでとくと堪能させていただきたい。いまからワクワクが止まらない!




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・・・さて、本編の感想だけど、もう他に何か言うことがありますかねw 全部吹っ飛んだってw



記憶に残っている部分を書き連ねておくと、まずとにかく、自分はさわちゃんLOVEなのだということ。半纏をまとったちょっとイケてないさわちゃんもすんごく可愛かったし、机に突っ伏しながら卒アルの写真をなぞって感慨にふける天使のようなメガネ顔に、全身を浄化されたような気分になった。


最終回の感想でも書いたことだが、”卒業”という単語がいちばん問題になるのって、梓ではなくさわちゃんだと思う。もちろんたった一度きりの青春で、たった1年だけ遅れて生まれてきたばかりに一人離別を噛みしめなければならないあずにゃんの辛さも、我々の胸に強く訴えかけてくるものがある。けれど制服時代をとうの過去に置いてきた身としては、青春の真っただ中で酸いも甘いも謳歌している唯や梓たちよりも、それを傍から眺めながら青春の飛沫を浴びている山中さわ子先生にこそ、視聴者としての自分の最大の共感ポイントがある。年齢も近いだろうし。


さわちゃんには、高校時代の輝かしい日々はもう戻ってこない。いくら大人には大人の人生の愉しみがあるといったって、10代のかけがえの無さはあまりにも特別だ。それを、さわちゃんは教壇の上から、我々視聴者は画面の前から、ときに客観的に、ときにぐっと共感しながら、見守り憧れている。しかしそうして見守っていた雛鳥たちは、たった3年間(=全39話)の歳月を共有しただけで、もう巣から飛び立っていってしまうのだ。10代の日々のまぶしさを垣間見る大人は多いけれど、毎日のようにそれを間近で見せられながら、次々と巣立ってゆく若者たちに置いてけぼりをくらう呪われた日々を、教師であるさわちゃんはこの先何度も経験していかなければならない。


人生は呪いだ。生きている限り、どんな場所にもしがらみがあり、不幸があり、労苦や別離がある。そんな呪われた人生を自覚しながら、それでも生きつづけよとの呪いに従って、大人は従順に生きつづけてゆく。そこにどんな希望があろうか、どんな救いがあろうか!


しかし、救いはあるし、希望もあるのである。人は呪われているからこそ、その鎖を断ち切るために、蝋で固めた翼に乗り大空を目指す。別の言い方をすれば、意味の無い人生に意味を見出そうと戦う。さわちゃんは、まだ教師としては経験が浅い。初めて送り出す卒業生たちにも、主に良い意味での深い感慨を抱くであろう。だが、それを毎年のように繰り返して行く中で、果ての無い螺旋階段を登るような彼女の人生に、果たしてどんな生きがいを見出すのか。山中さわ子の、希望と絶望、葛藤と諦め、歓びと苦難の入り混じるこの先の人生を想像するとき、教え子たちが部屋にやって来てくれたという些細な幸せの持つ価値を想って、戦慄せざるを得ないのである。


「けいおん」という作品にあって、レギュラーキャラでは唯一の大人であるさわちゃん。彼女の清濁併せ持った瞳の中に見出す何かを、我々はすでに自分の内に抱え込んでいるのかもしれない。そう思うと、この作品を眺めるためのひとつのフィルターとしてのさわちゃんの役割が、じつはとても重要なのではないかと空想してみた。





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それでは、今回は以上です。事実上の最終回にふさわしくない感想になってしまいましたが、また劇場で会えることを楽しみにしましょう。ここまで読んで下さり、どうもありがとうございました。



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<追記>


唯たち軽音部のことについてまったく触れていない最終回感想記事に、自分で自分に絶望した! すみませんw




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