フラクタル 第2話「ネッサ」

ネッサが可愛い! これだけは正義。




・ネッサの魅力で加速してゆく物語


「どぉーーん!」なんていう突拍子もない登場の仕方をしたネッサに、クレインどころか我々視聴者までひっかきまわされて疲弊して行くような、第2話のエピソード。作品の提示しようとしているメッセージ性の一端が垣間見えてきて、俄然面白くなってきた。


今回は何とっても、ネッサの可愛さ、これに尽きる! はじめは天然系のおしかけヒロインかと思いきや、次第に自然児としての顔を見せ始め、かと思いきや奇怪な行動で散々周囲を滅茶苦茶にしてみせたあと、しかしその飛びきりの笑顔の価値をはっきりと意識させて幕を引いた。クレインの辿る意識の変化をそのまま視聴者にフォローさせてゆく構成や演出が光る。


そのネッサの可愛さをアピールするのに、やはり映像のチカラが大だったなぁ。台詞回しもたしかに面白いし、ますますの広がりを見せる花澤香菜の演技も素晴らしいのだけど、それ以上に、自転車の荷台でくるくる回るネッサ、クレインの手を握り締めて喜ぶネッサ、ありとあらゆるものに好奇心旺盛で、なによりクレインに元気いっぱいに抱きついたネッサの姿、これこそが、第2話の最大の見どころだった。


もちろんそれと同時に、ネッサに振り回されてヘトヘトになるクレインの姿もとても重要で、今回のエピソードをちゃんと視聴者に理解させるためには、ただネッサを可愛く描くだけではなく、彼女のためにクレインがどんな苦労を強いられたか、それを体感的に分かってもらわなければならなかった。そしてそれを描けた点が、素晴らしかったと思う。そうでなければ、ドッペルではなく生身の体で体験したことが、たとえ辛く面倒なことであっても、段違いに刺激的であるという劇中の言葉が、嘘になってしまうところだ。


ネッサを探して必死に走るクレインの姿はそれはそれは感動的なものだった。ここはAパート、ネッサを連れて自転車で街へ向かうシーンと対になっていると思うのだけど、あくまで世界の美しさに注目させながら描かれた自転車シーンと、クレインの必死さを表現しようとするBパートの走るシーンとで差異があったのと、進行方向が画面の左右で入れ替わっている点にも注目。そして、走るという姿はそれだけで魅力的だしアニメーションとしても気合いが入っているのだが、このシーンをもって完全に、クレインの、他者と向き合う姿勢が切り替わったのが印象的だった。この作品はあくまでクレインが世界とどう向き合うかが焦点となっている物語であることの、象徴的なワンシーンだったと言えるのではないだろうか。もちろん、触れたり触れなくなったりするネッサの設定が非常に大きな効果を発揮しているのも事実だ。


ともあれ、まだまだ表面的なストーリーラインをなぞってみせるだけの第1話にくらべて、今回はより主人公の内面に踏み込み、彼が変化し成長する兆しと、その変化が現在の世界に対する強烈な違和感と反発を伴っていることを、ワクワクさせるような作劇の中で存分に描いてあった。とても面白かったと思う。



・自由と束縛


クレインの考えていることがそのまま作品のメッセージとして体現されているのかどうかは、まだまだ慎重に見て行く必要があるだろうが、それでも今回提示されたメッセージのひとつがなかなか興味深くて、少なくとも当面はコレを描いていくのだろうなぁと思わせるものだった。それはすなわち、自由と、その代償としての孤独に対する、拒絶の姿勢だ。


クレインの目を通して描かれているところによれば、この世界はフラクタルシステムやドッペルの存在によって、他者といたずらに接することをしないで済む、ほぼ完全に自由な生活を、一人ひとりが手に入れている。そして人々はその自由を謳歌しているのであるが、クレインはもともとドッペルを持たず、家に住んでガラクタを集めているように、多くの人々ほどには自由を信奉していない。


ここで描かれている自由というものに、作り手が現代社会のどのような側面を盛り込もうとしているのかは、色々と想像を膨らませることができるだろう。ただ一点だけ強調されている部分があるとすれば、それは、束縛=苦痛、と認識されていることだろう。仕事や人づきあい、あるいは固定家屋での生活は、すべて、束縛の象徴である。そしてその束縛からほぼ完全に解き放たれたことをもって、人々は自分達を自由だと考えているわけだ。


もちろん、彼らの考えは否定するために設定されているものだから、そんな自由はちゃんちゃらおかしいと、言ってのけるのは簡単だ。だが問題はそんなところにあるのではなく、フラクタルシステムによる自由を否定するのなら、では本当の自由とはいったい何か、という問題を考えなければならないだろう。


きっと今作は、それをこれから描いてくれるのだと期待している。本当の意味の自由とは、束縛されていないということとは、あまり関係が無い。むしろ孤独や無関心は人の心を捻じ曲げ歪にさせることになる、ということをほのめかされたのが、第1話・第2話だった。けれどまさか、労働をしなさい、生身の人間と向き合いなさい、なんていうことを訴えるためだけに作られた物語ではなかろう。そんなお説教まがいの作品ではなく、より真摯に、人生というもの、自由というものに向き合い、思索を促す作品であって欲しい。


何と言っても、フリュネが執拗にこだわり、ネッサが体現してみせた「本当の笑顔」とやらが、創作された絵やアニメーションで十全に表現できるとは思えない。仮にクレインが本物の笑顔をしてみせたところで、それが営業スマイルとどんな違いがあるのか、作画だけでは何も表現することができないのである(最高の笑顔を描いて見せたところで、視聴者の受け取り方次第でいかようにも変容させられてしまうのが、絵というものの弱点だ)。そうなれば当然、ストーリーラインや脚本によって表現するしかないのであるから、そこに希望を繋ぎたいと思う。


早くも、単なる冒険活劇的な作品とは異なる顔を見せ始めた今作。まだまだ、作品の目指すゴール地点がはっきりと見えたわけでもないし、少なくともエンターテイメントとして十分に楽しめる作品なのかどうかすら確定できないのであるが、だからこそ今後を楽しみにしたい作品だと、思っている。



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それでは、今回は以上です。


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