とある魔術の禁書目録Ⅱ 第16話「刻限のロザリオ」

悪意をホントに悪意として描くのは、嫌いではない。




今回はイタリア編完結ということで、OP・EDをすっ飛ばす最終回仕様な構成をとっていたけれど、たぶんこれは尺が微妙に足らなかったんだろうなぁと推測してしまいたくなる。他のエピソードと比べて、そこまで特別な何かを感じたわけでは無いのだけど、ひょっとして間違ってるかな・・・。




ストーリーの基本的なラインとしては、相変わらず世界征服を目指すローマ正教が、戦略兵器をヴェネティアだけでなく世界中どこへでも(そしてとくに学園都市に)向けられるように企み、それを当麻たちが阻止するお話。といっても計画阻止は後付けで、アニェーゼ救出が第一目標であったのだから、そういう事件に巻き込まれてしまう当麻はつくづく悪運が強いというか、主人公体質だなぁ。前々回オルソラがさらわれた際も、また大きな陰謀がうごめいていたかに見せかけて、しかしオルソラ誘拐は単に偶発的な事故のようなものだったのだから、主人公を事件の中心部に放り込むための作り手の苦労がひしひしと伝わって来るエピソードであったと思うw


そしてその野望阻止については、裏の事情をあらかた敵がしゃべってくれてしまったので、『禁書』最大の売りだと個人的には思っているサスペンスタッチの謎解き要素がほとんど無く、とにかく若本規夫との魔術バトルに終始したエピソードだった。正直なところ今回のアクションよりも、戦術面がしっかり描かれた前回のほうがずっと燃えた。それに今回の敵は、とにかくキリスト教の象徴である十字架をなんとも嫌らしいやり方で武器として使っていて、画面を埋め尽くす十字架の山に、非キリスト者である自分でもあまり良い気分はしなかった。失礼だけど、若本さんの呪文詠唱もなんだかまだるっこしかったしw 渋い声を堪能できたのは良かったですが。しかしせっかくあの大人数で多vs多の戦闘をやっているのだから、もう少し他の連中の奮闘する姿や、当麻・天草式・シスターたちによる連携戦術なども見たかったところで、ちょっともったいなかった。当麻と敵ボスの戦闘に、かなり尺が割いてあった印象。


刻限のロザリオに仕掛けられた自爆術式を作動させようというシーンは、さすがにビジュアルの素晴らしさに圧倒された。さすがにこの作品は、見せるトコロではしっかり見せてくれる。




ところでこの作品、いまのところ徹底してローマ教を悪者として描いているけれど、その分、信仰や組織の中で揺れ動く葛藤のようなものは、ほとんど扱われていないのは、ひとつの特徴だと思う。今回もアニェーゼがローマを裏切ったが、さすがに目の前であれだけ気分の悪くなる偏った思想をローマ正教幹部から投げつけられたら、裏切るのも当然だよねぇという話だ。


本来であれば、この善悪の明快さは非常にもったいないところで、倫理的な要素を盛り込んでいる作品だけに、何が善で何が悪なのか分からない状況を少しでも生み出すところにドラマ性を求めてもおかしくはないと思うのだけど、この作品はそれをやろうとしない。現実問題としてどう行動すれば良いのか分からない(シスターズ編の美琴のように)というシチュエーションはあっても、ある計画なり行動なりがどう倫理的に規定されるべきかが問題とされることは、驚くほど少ないのだ。


このことを少し考えてみた時、主人公・上条当麻の存在がやはり大きかろうと思わざるを得ない。当麻は、倫理や道徳にまつわる問題ではまず絶対に迷わない。かれはある絶対の正義を心の中に抱えていて、その正義を実現させるためにどうすれば良いかという点に知恵を絞り体を張るのだが、彼の持つ正義そのものが根本から揺るがされることは無い。これは、魔術をよりどころとするのでもなければ、科学を信奉するのでもない、もうひとつの軸としての宗教家・上条当麻として描かれているからではないかと思う。理屈は抜きにして、さりとて一時の感情に流されているわけでもない、心の底から彼が正しいと断ずることのできる価値感を突き付けるのが、上条当麻というキャラクターだ。


もし当麻が人間であったなら、彼はもっとたくさんのことを悩み、揺れ動くことだろう。だが当麻は言わば預言者である。彼が決して迷わないのも、また彼に敵対する信仰者たちの報じる思想が簡単に悪として描かれてしまうのも、これは全て、当麻というキャラクターの存在価値を前面に打ち出すためのものであろう。そしてまた、ひとつの事件を解決するたびに当麻の嫁候補やファンが増えて行くのも、伝道の結果であると評することができよう。




宗教の祖師は歴史上数多くいるけれど、その祖師たちの言葉がそのまま記録されていることは少なく、イエス・キリストにせよ釈迦にせよ、その行動や伝説から思想を抽出・類推して体系化したものが、宗教教義として用いられているに過ぎない。つまり、キリスト教や仏教はその祖師がみずから作ったのではなく、後世の人々がでっちあげた思想であると考えることも可能なのである。しかし信者はそれに決して同意しないのは、自分達の信仰のおおもとに、祖師の生き様を理想形として据えているからだ。


当麻もまた、作中でなにか体系だった言説をぶっているわけではない。しかし彼はその代わり、事件の性質や相手によってそれぞれケースバイケースではありながら、彼の思想の一端を確かに披露していく。これこそはまさに、宗教指導者のもっとも重要なファクターである。一人の人を救えずして、それが万人に開かれた思想と成り得るはずがなく、そして一人ひとりを真摯に救おうと絶え間ない努力を続けてみせたのは、釈迦やイエスやマホメットらと共通する、上条当麻の人間性であると言えるだろう。




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それでは、今回は以上です。


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