フラクタル 第4話「出発」

わけが分からなくなってきた! 面白いけど!


グラニッツ一家と僧院が本気の殺し合いをしていた、という衝撃の展開を見せた前回。しかし事態はそれだけにとどまらず、なんだかひどく混沌とした状況へと発展していく第4話は、文字通りに、作品としての本当の「出発」を意味するエピソードになるのであろうか。




おおまかな枠組みの設定として今回注目されたのが、フラクタルシステムがもはや崩壊寸前であるという事実。スンダたちが積極的にシステムの破壊と脱却を企図しているのは良いとして、僧院側はより深刻な事態として、フラクタルシステムを維持していける時間の残り少ないことを実感しているらしい。そしてそれを踏まえて、フリュネは、フラクタルシステムはこのまま崩壊したほうが良いと言っている。


フリュネとスンダの意見の一致がただ結果の一致に過ぎず、実際の認識や発想の方向性が大きく異なっている可能性はあるものの、いずれにせよ、システムがまもなく終焉を迎えるという予測は事実としての共通認識であり、それを存続させるか破壊するかという対立が、僧院とロストミレニアムの対立として描かれているわけだ。これはつまり、ロスミレのこれまでの活動の成果というよりも、フラクタルシステム自身が抱えていた欠陥というか、寿命のようなものだと考えられるのだろう。ロスミレは、システムの自壊を助長するのがその主な活動で、恐らく彼らの技術や組織規模ではそれ以上の破壊工作は不可能なのだろう。


そこで疑問になってくるのが、システムがどうして崩壊しはじめることになったのかという点だ。単純に物理的な寿命がきたというのもあるのだろうが、それ以上に、システムによって管理されている人間たちの質の問題が、何か影響がありそうだ。「星祭り」なる一斉アップデートを頻繁に行うようになったことを指して、スンダは「僧院は焦っている」というようなことを前回話していたが、それに加えて今回のグラニッツ一家制圧行動などをとっても、フラクタルシステムが全人類をまるごと支配してこそ健全に機能するシステムであって、内部の人々の惰弱化と外部からの妨害工作の激化によって、システムの異常が加速度的に増大して行っているのが、現在の状況なのではないか。とくに被支配者たちの惰弱化は、システム開発当初には十全に予測し切れていなかった事態であろうから、これが何らかの形でシステム崩壊の要因となった可能性はありそうだ。


そしてスンダたちの活動の様子もまた、フラクタルシステムの運用が人々の精神面に大きく左右される可能性を示唆している。彼らが星祭りを妨害するのは、フラクタルシステムとの同調を阻害することで、人々が、システムの存在を前提とした自分達の生き方に疑問を持つよう仕向けるためであろう。そしてシステムに従わない人々が増えることで、グラニッツ一家の賛同者が増えるだけでなく、フラクタルシステムそのものに大きなダメージを与えることができると考えているのかもしれない。


僧院が「信じよ」と言い、スンダが「疑え」と言うこの対比は、フラクタルシステムが何の疑問も差し挟まれること無く信用されていることで初めて成り立つシステムであることを、よく物語っているように見える。そしてシステムの開発者・管理者たちは、何よりも絶対的な信用のあり方として、”信仰”という形態を取るのがもっとも合理的だと判断したのだろう。




思えば、我々の暮らしている現代であっても、過度の信用がもはや信仰と言って良いレヴェルに発展してしまっている事例がたくさんある。例えば民主主義政治がその一例だ。民主政は、単に国家運営のシステムのひとつに過ぎず、それそのものに善悪の価値は備わっていない。王政(独裁政)や寡頭政とは、完全に同列に語られるべき政治制度のひとつだ。だが現代では、この民主主義政治こそが人々にとってもっとも幸福な、もっとも正しい政治のあり方だと”信仰”されている。仮に民主政下において悪政が行われた場合は、民主政の性質そのものではなく、単に運用法が悪かったのだと判断される。これは実際にいたある大学教授の言葉だが、「独裁政治は常に民主主義によって打倒されてきた。それが人類の歴史であり、真実だ」といったようなことを、本気で述べていた人さえいる。


けれど少し歴史を学べば、民主主義政治が正義だとか善だとかいった価値を一切内包していない、単なる政治システムのいち形態に過ぎないことは、すぐに明白となるだろう。民主政治が行われている国家で、へたな独裁者よりよほど理不尽な政治的判断を下して悲惨な状況を現出させた事例などたくさんあるし、民主政が独裁制に取って代わられた歴史もいくらでも転がっている。民主政治の功罪は別にしても、決してこの政治システムが、人類の到達した最高の理想などでないことは明らかだ。それなのに、さも民主主義の正義が確かに存在しているように語られるのは、これは信用を越えた”信奉” ”信仰”に他ならない。


今作で描かれているフラクタルシステムなるものが、いったい何を象徴し、批判の対象としているのかはまだ分からない。現代のある状況に対しての批判か、さもなければ未来に起こり得る事態への警鐘か。しかしどちらにせよ、我々若者が今後社会で暮らし社会を動かして行かなければならない中で、なんの疑問も提唱されないままに受け入れられている状況があるのなら、それをまずは疑ってかかることの重要性を作り手が訴えかけているのが、今作のテーマのひとつであるだろう。このことを常に意識しながら、フラクタルシステムと、それに関わる様々なキャラクターの思惑や行動の顛末を見守っていきたい。




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それでは、今回は以上です。


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