夢喰いメリー 第6話「夢邂逅」

地味なハズのエピソードなのに、シリーズ中最高度に面白かった!




・チェイサー、かっこよすぎる!!


今回は、メリーをかばって大怪我をした夢路に、ジョン・ドゥが登場して助けてくれるエピソード。夢路のヒロイズムも胸のすくようなカッコよさだが、色っぽい秋柳くん、それになにより、敵か味方か分からない謎多きチェイサーが、もうとにかくカッコよすぎた! 濡れた!!


最初に登場したときはいかにも中ボスっぽいキャラだなぁと思っていたのだけれど、ここへきて存在感が半端ないというか、ようやくジョン・ドゥというキャラクターの本領が発揮された印象だ。エルクレスやミストルティンといったまだ見ぬ敵の存在を教えてくれるにしても、玉座に座って王者の風格を漂わせながら、しかし萌え萌えナース猫を登場させる諧謔精神も見せ、清濁併せ持ったワイルドなナイスミドルといった感じか。でも、おっさん扱いするにはまだまだ若そうな印象もあるかな。どこか飄々と、直接的な利害よりも自分の知的好奇心のほうを優先する、そしてだからこそ常人離れした思考の仕方をしそうな人物だ。そしてそうした性格は、いかにも猫っぽい。


猫は飼ったことは無いけれど、犬ほどには豊かな表情の変化を見せない猫は、常にポーカーフェイスであり、何かすごく色々なことを考えていそうで、しかし一方で子供っぽい遊びの大好きな、ツンデレやクーデレといった外面と内面のギャップが魅力的なキャラ付けの動物だと思っている。ジョン・ドゥはいかにも大人びた策士といった体だが、しかしあくまで他者より一歩高いところから見下ろす姿勢の中には、予想外に親しみやすい一面も抱えていそうで、もっともっと詳しくその人間性を解き明かしてみたくなるキャラクターだ。


そしてもちろん、ジョン・ドゥの魅力には声優の演技による絶大な効果が大きく貢献していることは、言うまでも無いだろう。またこういうキャラに譲治さんの声が素晴らしく良く映える。「我が輩はチェイサー。真実の味方さ」って決め台詞、セリフそのものだけでなく演技の素晴らしさに、心底から惚れ惚れとさせられる。


この作品、ちょっとした脇役(例えばチェイサーの側近猫とか、野球部の元エースとか)が、絵的にも話的にも非常に個性的でインパクトがある。このキャラ作りの巧さが、今作の大きな見どころだろうな。主人公のカッコよさも、いまどき珍しい一枚目キャラを、決して使い古された格好には見せない独自の迫り方をしてみせていて、恐らく作者の教養というか人間観察?の賜物であろうと思う。この点が、今作の強みだ。これが、相変わらずトンデモ無い演出力や作画に乗せて描かれるのだから、たまらないなぁ。ジョン・ドゥの夢から醒めるときに、フザけた鶏が「コケコッコー」とひと啼きするのが、好きすぎるw




・夢をなくすということ


今回、夢失くし(?)という現象が発生していることが、すでに広く知れ渡っている様子が描かれた。職員会議でも取り沙汰されているくらいだから、相当だろう。優等生やエースが次々と無気力になってしまえば、病気も含めて検討せざるを得ない。もちろん、この学校でとくに事件が良く発生しているというのは、明らかに誰か仕掛け人が学校に紛れているのだろうけれど、果たして。


ところで、この「夢をなくす」という設定は、じつに象徴的だ。起きているときの世界である「現界(うつつ)」と、夢の世界である「幻界(ゆめ)」が交錯する物語という設定なら、普通ならば異次元の行き来の問題とミステリーやバトルに終始し、そこに人の”将来の夢”が関わって来ることは無さそうなモノである。けれど今作の場合は、寝てる時に見る”夢”と、起きている時に見る”夢”が、しばしば混同されて語られる。ここを、作品テーマとしてどれほど重視してくれるかが、今作のポイントになってくるだろう。


かつて夢路は言い放った、「夢は起きているときに見るものだ!」と。またメリーは、夢路が倒れ伏した時に図らずも「夢も希望も無い」と呟いた。この二人は明らかに、「夢」と「幻界」のふたつの”ユメ”を意識して使っている。そして、寝ている時に見る夢の消失が、そのまま起きている時の夢にもダイレクトに影響してくる、というのが、今作の採用している設定だ。


これはとても示唆に富んだ設定だと思う。将来の夢と睡眠時の夢は、本来はあまり関係が無いものと考えるのが自然だろう。けれど、人生にどのような価値をもたらすのかよく分からない夢というものに、人生において非常に重要な役割を持つ希望というものが、密接に関わって来るというのがとても面白い。


単純に考えれば、睡眠時の夢と将来の夢とでは、後者の方がずっと大事であると思うわけで、その意味では今作が単なる異次元交錯モノではなく、人の人生そのものに関わるショッキングな影響があるというのは、それだけで緊迫感が増すというのは分かる。だが、実際の人の生き様を考えるに、我々は若いうちは将来の夢や希望に散々振りまわされながらも、それらを次第に見失っていき、夢と言えば寝ている時に見るもの、という認識に変わって行ってしまう。そして希望と言えば、明日の辛い一日を生き抜くための強い麻薬と、ほとんど同義になる。昼間に見る夢をいつまでも見続けていられる人間なんてのは、ごくごくほんの一握りであり、その夢さえも多くの場合は人生の最期の時まで抱えてゆくことはできない。


言って見れば、睡眠時に見る夢は人生のどんな局面にも付きまとう、生命活動には不可分の夢なのだ。そして将来の夢は、より掴みがたく、人生のごく一時的な期間のうちにしか見ることができない。


”夢をなくす”ということ。それが単純に生きる希望を奪われた状態を示すだけでなく、もっと象徴的に、「夢」という語のふたつの使われ方の関係性を表現していけるのだとしたら、こんなに面白いことはないだろう。寝ている世界の住人である夢魔と、起きて夢を見ながら活動する人間達、そしてその両者をつなぐデイドリームという空間が、今後物語の上でどのような役割を果たし、象徴となってゆくのか、じつに楽しみだ。




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それでは、今回は以上です。


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