輪るピングドラム 第11話「ようやく君は気がついたのさ」

冠葉と昌馬の「罪」とは。聞いてないぞそんな話!!w




相変わらず、冠葉と昌馬は別行動でそれぞれの目的に向かっているわけだが、今回は愛のカタチに関する二人の少女の考え方にスポットを当てた話だったと言えるかもしれない。どちらもストーカー呼ばわりされる夏芽真砂子と荻野目苹果の二人は、今後も対照的な扱われ方をしていくのだろうか。


夏芽と苹果の”愛”は、考えてみればじつはかなり近い性質を持っている。今回夏芽は、自分自身の描く絵(=理想)こそがホンモノの高倉冠葉だと言ってのけた。もちろんそれは一般的な愛のカタチからすればひどく変質的なものではあるけれど、しかし一方で、愛という行為の本質をずばり言い当てている側面もあった。誰が言ったのか知らないが、恋と愛の違いは”相手に見返りを求めるか否か”であると言われる。当然その格言を踏まえた上で夏芽は、見返りを求めない真実の愛とは「相手の本当のカタチを所有すること」だと定義した。夏芽の場合はその”本当のカタチ”を、自分で勝手に作り出した虚構、すなわち冠葉の肖像画の中に求めているのだが、第三者から見れば大いに誤謬のある彼女の妄言はしかし、自分こそが世界で一番冠葉を愛している女であり、だからこそ冠葉の本当のカタチを自分だけが真に理解することができるのだという、ほとんど信仰心にも似た観念に裏打ちされているのだろうから、彼女の言動には確固たる力がある。真実の愛なんて誰も正確には定義できないのだから、夏芽のこの盲信も、これまたひとつの真実の愛であると、言えなくはないだろう。


一方の苹果は、もちろん彼女の場合は自分を偽って死んだ姉とひとつになるという目的が前提にあったから必ずしも夏芽と同列に語れる愛ではないのだが、それでも多蕗に対する苹果の愛情というのは、夏芽の言う”相手の本当のカタチ(だと信じている虚像)を所有する”という行為に近いものがある。というか、多蕗との恋愛を妄想するときに挿入されるあの紙人形劇場は、まさに、夏芽が冠葉の肖像画を描くのと同質の行為ではないのだろうか。実像とはかけ離れた多蕗や自分自身の姿、まるで少女マンガかおとぎ話のような演出やセリフ回し、そしてそれらを真剣なドラマとして受け止めている苹果の姿は、悪趣味な絵画に耽溺している夏芽真砂子の姿にそっくりだ。


しかし苹果の場合は、そうまでしないと多蕗への愛が保てないという理由があった。死んだ姉と同化するというそもそもの無理を押し通すために、姉が妄想で作り上げた未来日記の一字一句に縛られ、踊らされて、本当に好きかどうかも定かではなかった相手に貞操をささげようとするなんて、まともな精神状態では不可能に近い。恋に恋する乙女というのもいないわけではないが、多蕗桂樹という男性をおとぎの国の王子様のように美化し、自分もそんな空想世界のヒロインに祭り上げようとした苹果の場合は、そうでもしないとやってられないというのが本音だったのかもしれない。使命感のほうを感情よりも優先させて、それを愛だと主張する苹果の姿は、やはりどこか病的なものがある。もし夏芽と苹果の愛のカタチが(少なくとも表面的には)似ていたという事実が何か意味を持ってくるとすれば、本当の恋の所在がどこにあるのか、という疑問が、夏芽真砂子の身にも浮上することになるかもしれない。


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今回の冠葉ルートで進行していた物語のほうではいくつか重要な言及があり、相変わらず謎だらけではあるが少しづつ核心らしきところに近づいている印象を持てるようになってきた。


もちろんもっとも衝撃的だった告白は、最初に日記の半分を奪っていった黒ずくめのライダーが、夏芽真砂子や彼女の手の者ではなく、第三の勢力の介入であったのだということか。女性らしい体型をした黒ライダーだったが、現時点で登場している女性の主要人物は他に時籠ゆりと高倉陽毬くらい。この二人のどちらかといえば無論ゆりがアヤシイということになるのだろうけれど、まだ登場していない人物である可能性もある。


それに関連することだが、陽毬や夏芽マリオに取りついているペンギン帽子は、他にもいっぱい?いるらしいということ。まぁ二人目が出てきたらそりゃあ三人目四人目もいてしかるべきとは思うが、”ツイてない誰かが海へ落ちていく”のを待つ皇帝ペンギンたち、などというイメージが当てはまってしまうほどうじゃうじゃと存在しているものなのか。「あそこから持ってきたのか?」とか「あそこはそういうところよ、分かっているでしょう?」といった二人のセリフに言及されている”あそこ”とやらに、ペンギン帽子との契約を強制させられた人物もしくは勢力は、果たしてどのくらいの数にのぼるのだろうか。


回が進むごとに、冠葉は何を知っていて何をたくらんでいるのか、ますます分からなくなってくる。すべては陽毬のために、という目的があるにせよ、その方法を巡って昌馬と対立しそうな(少なくとも非難されてしかるべき)冠葉の裏の顔が、だんだん視聴者の前には明らかになってきた。いまはほとんど独立した動きを見せている昌馬と冠葉の行動が、どういったかたちで交錯することになるのか、楽しみにしておきたい。


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一方で昌馬ルートも、今回はなかなかスゴいことに。


まず苹果は、昌馬のために心を揺さぶられていることが随所に表現されていて、やっと年齢相応の愛らしい少女の雰囲気が感じられるようになってきたのだが、それでも以前からの計画はまだあきらめておらず、プロジェクトMの遂行のための最後の手段に打って出ることになった。・・・あれ、こないだ最後の手段はもうやったんじゃなかったか?w


まったく、恋にかける乙女の行動力と精神力はすさまじいものがあって、これが最後のチャンスだと思って計画した作戦が失敗に終わった後も、いくらでも最後のチャンスを再び見つけ出すことができる。もう無理だと諦めさえしなければ、いくらでも、何度でも挑戦することができるのだ。


苹果の場合は、これでもかなり計画遂行の意志がぐらついてきてはいたが、しかしずっと以前から執念深く続けてきた彼女の計画を諦めるには、まだ何かが足りなかった。その何かとは、姉のももかになるのだ、という目標に対する疑念と、そして多蕗ではない別の誰かに対する恋心。今回のエピソードは、苹果がいよいよプロジェクトMを断念するに至るふたつのきっかけを得る話であったと、後から振り返ることのできるものかもしれない。ともあれ、ヒメホマレ蛙を使っての最後の挑戦と、時籠ゆりとの対峙、さらに加えるなら昌馬からの衝撃の告白。これらが、苹果の運命に対する戦いの方針に十分なショックを与えることになるのは確実だろう。


昌馬が手を貸さなかったことで、ヒメホマレ作戦は予想外にうまく事が運んだわけだが、他人に責任をなすりつけられない状況で失敗(というかむしろ逃亡)してしまったという現実は、苹果の運命観や使命感にとってとりわけ大きな影響を与えたのだと思う。ベッドの中で彼女の胸に去来した想いには様々なものがあっただろうが、この一番肝心なところで思わず多蕗を拒絶してしまい、しかも苹果に襲いかかろうと暴れる多蕗に恐怖さえ感じてしまった、そんな自分の覚悟の足らなさを、さらに仇敵である時籠ゆりにいとも簡単に見抜かれてしまったことに、彼女は完敗を認めざるを得なかったはずだ。


しかし、これでようやく苹果が、健全な一人の少女としての青春に舞い戻れることになるだろうと思われた矢先。いつものクリスタル・ワールドとはまったく趣の異なる、恐ろしげな電車の中で、昌馬はまったく予想外のことを告白しはじめた。16年前のあの事件とは、そして昌馬や冠葉がいったい何をしたのか。第1話で言っていた”罪”の意味が、ここで明らかになるのだろうか。予想を超えた急展開を見せる幕引きに、否応なく次回への期待が高まる。いったい何がどうなるのかっ!? そろそろスタートする新番組ラッシュにも負けない興奮を期待したい。




・・・それにしても、幾原監督は動物好きだなぁw 象の「パオーン」って鳴き声を聞くと、胸にたぎるものがありますね。歴史シミュレーションゲームなんかで戦象を使うと無性に興奮するのは、象にサーフィンをやらせたりしたあの華麗なアニメの影響が、少なからずあると思うw




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それでは、今回は以上です。


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