花咲くいろは 第26話(最終回)「花咲くいつか」

お札に書いた緒花の願い事は、さすがにちょっと笑ってしまったw いや、最高に面白いアニメでした。こんなに心が晴れ晴れとしたのは、いつ以来だろう?w



四十万スイになりたい。様々な苦難をまっすぐに全力で乗り越えてきた緒花が掴み取った、夢であり目標。それをばーーんとぶち上げて、怒涛のような『花咲くいろは』全26話が完結した。2クールという長丁場だったけれど、途中ほとんどダレたり飽きさせたりすることなく、むしろエピソードを重ねるたびに加速度的に勢いを増していった作品だったと思う。その最終回にまさにふさわしい感動や、興奮や、希望や笑顔、それに切なさや郷愁や恋の甘酸っぱい幸福をも味わわせてくれた今回の30分間。じつにじつに素晴らしかった!


基軸となっているのはやはり、緒花とスイの対比と同調だった。いままでの話数では、年齢的にも体力的にもすでに人生の終わりを見定めつつある四十万スイと、これから何十年という時間を自由に生きることができるであろう緒花は、お互いのキャラクター性がよく似ていたこともあって、これ以上ないほど好対照な存在として描かれようとしていた。しかしいつの間にか緒花がスイの心情をもっとも理解できる立場になっていたことから、緒花とスイは散りゆく者とこれから花咲く者という対比としてだけではなく、むしろ同じ方向を向いて駆け抜けてゆく師弟もしくは同志のような関係に昇華していったのが、『花咲くいろは』の最後を飾った一連のエピソードでの出来事だったと言える。というか、もう人生終わったと決めてかかっていた祖母に対して、あんたはまだ若いんだ、これからもたくさん”ぼんぼる”ことが出来るんだと緒花(および他の従業員たち)が教えてあげたのだと、評することができるだろう。もちろん女将としては、自分がそれほど長く人生を戦っていられるとは思ってはいないだろうが、それでも、老いた心を克服して「もう一度!」と我が身を奮い立たせたことで、四十万スイと緒花がそれぞれの立ち位置から同じ方向を向くことができたというところに、今作の描く力強い人間像が集約されている。「四十万スイになりたい」との願い札を筆頭に、随所に緒花とスイが同調して描かれていたのは、ただ祖母から孫娘への夢のバトンタッチが行われたという以上の意味が、込められていたのだと思いたい。


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面白いなぁと思ったのは、”四十万の女”というキーワードを以前から提示していたのに、最終的に夢や生き様のリンクが、皐月や縁(若旦那)といった中間の世代をすっ飛ばして、女将と緒花を直接に結び付けていたことだ。自分としてはやっぱり皐月さんこそが次代の女将にふさわしいのだという未練を捨てきれないので、まぁ皐月じゃなくて決意を新たにした若旦那でもいいのだけれど、緒花が喜翆荘に戻ってくる前に、もうひとつ上の世代の”四十万さん”が、スイの生き様を受け継いでくれるものと思っていた。でも、皐月は自分の仕事のために東京へ戻ってしまったし、縁と崇子さんの夫婦はやはり「女将の」ではなく自分たちのやり方で喜翆荘を守りたいらしい。またスイとしても、直接自分が生んで育てた子どもたちには昔からの複雑な因縁があるので(だからこそ喜翆荘をたたむと言い出したのだ)、自分の背負ってきたものをそのまま継がせるのはためらわれたのだろう。しかし緒花であれば、皐月や縁ほどのしがらみもなく、より純粋な立場から、本当であればこの先もずっと自分自身の手で守っていきたかった喜翆荘という”居場所”を託すことが出来る。いったんは閉じられることになった業務日誌を緒花に渡したときの四十万スイは、ひょっとしたら、最後の最後まで自分のエゴを貫き通してしまってしょうもない子どもだなぁと、自分を情けなく感じていた面があったかもしれない。けれどそんなしょうもない部分も含めて、緒花は自分の気持ちや姿を背負ってくれると言うのだから、孫娘のことを心から愛おしく感じていたのではないだろうか。


そして大事なのは、そうやって孫娘に背負わせることになった四十万スイの想い、姿、生き様というものが、緒花にとっては何の枷にもなっていないという点か。皐月や縁が母親の敷いたレールのために大きな影響を受けてしまった(それが悪いことかどうかは別として)のに比べて、緒花に対して喜翆荘で与えられた教育は、緒花の人生を束縛するどころか逆に、夢を形づくり背中を押す原動力となった。そうなるように緒花自身が努力してみせたのだった。この姿を見たからこそ、スイは心置きなく、すべてを緒花に託すことができたのだろう。


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緒花が、現実問題として、ふたたび喜翆荘に戻って来れるかどうかは分からない。いまのところ若旦那がふたたび喜翆荘を立ち上げるところまで漕ぎ着けられればベストなのだろうが、下手をすれば緒花が大人になった後も一向にその事業が日の目を見ないということも考えられる。そうなれば緒花は自分が女将を名乗って喜翆荘を再建するしかあるまいが、仮にそうなったとして、喜翆荘という”居場所”はいつまでも緒花の夢であり続けられるだろうか。喜翆荘にこだわるあまり、四十万スイ的な生き方から離れてしまっては、10代の頃に誓ったその言葉も無意味なものになってしまう。喜翆荘に必ず戻ってくるという約束は、四十万スイのような人間になるという夢と同義であってこそ、はじめて意味を成すはずなのだ。


このアニメが、ひとつの夢、ひとつの職業、ひとつの職場に、頑なに操をささげることを是としてはいないことは明らかであろう。四十万スイは、喜翆荘の幕を閉じてもなお、一人の仲居として仕事を続けると宣言した。若旦那も、徹さんや民子も、巴さんも、それぞれに新たな職場を見つけて、そこを自分の居場所に変革しようと戦っている。あるいはそもそも第1話において緒花がどんな格好で喜翆荘に転がり込んできたかを思い出せば、職業選択というイミでの”将来の夢”をどうこうするのが重要ではないことは容易に理解できるだろう。職業はひとつの手段だ。その手段を用いて、結局どんな居場所を見つけだし、道を切り拓いて、輝きを放つ大輪の花を咲かせてみせるのか。その意味においてこそ、人は無限大の可能性を持っている。その可能性を全力で描き、肯定してみせたのが、『花咲くいろは』という作品であったと言えるだろう。


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緒花とスイ以外の人物たちについて。


残念だったのは、結局、結名は最後まで、彼女が望んでいたカタチでのより親密な友人関係を、緒花との間に構築することはできなかったのだろうなぁという点。まぁ、こういったあたりは現実の友達関係を思い返してみれば、ずいぶんとリアルな描写ではあるのだけれどw 潜在的に目上の人扱いしちゃう友人って、いるでしょう?w ただ結名が4人で撮った写真を大切そうに眺めていたのを見ると、他のどんな友人よりも緒花たちのことを大切に想っていたんじゃないかなぁと想像してしまい、それが緒花側からの友情との温度差を意識させてちょっと切なくなっちゃうところではあるのだけれど。それとも、ただ単に遠く離れてしまったからこそ懐かしく眺めていただけなのか。結名だったら、どんな友人も分け隔てなく大切にしていそうだし。もちろんそれでも、緒花たちの存在があるからこそ、より真剣に、そして情熱を持って、今の夢(とりあえず渡仏?)に突き進んでいられるのだということは、結名もよく自覚しているのだろう。


民子は、ぼんぼり祭りのときに、「徹さんの恋人になれますように」などと願うのではなく、あくまで板前として徹さんと肩を並べるのを目標に設定していたのは、エラい。恥ずかしがり屋さんだとも言えるけど。でも、まず職人として一流に、という夢は本心だろう。まずは夢に向かってぼんぼる、そして願わくはその道が愛しい人とともにあらんことを、というスタンスは、孝ちゃんと同じで微笑ましい。


菜子がやっていた水泳のインストラクターは、今はバイトではあるのだろうけれど、何気に彼女の天職なんじゃないかと思うw 菜子に関してだけは、将来喜翆荘が再び新装開店したときに、そこへは戻らずに別の道を歩んでくれていても、納得したいと思える人物だ。もちろん仲居としてまた活躍する姿も見たいけれど、先ほども述べたように、喜翆荘という夢は、若い人々を縛り、道を閉ざしてしまうものであってはならない。いつまでも喜翆荘の一員ではあるけれど、夢に向かっての発展的意味合いを込めた別離があってもいいと思うし、そんな姿を見せてくれそうなのが菜子という人だ。


喜翆荘に戻って来なくても構わない人物という意味では、次郎丸太郎もいるわけだけれど、この愛すべき道化はしかし、本当に戻って来なくていいww でも面白いのは、こんなキャラがレギュラーとして描き続けられたという点。職場には、”いて欲しい人、いてもいなくてもいい人、いて欲しくない人”の三通りがあるのだと言われることがあるが、そういう意味では次郎丸太郎というキャラは、いて欲しくない人材を象徴するキャラだったと言える。もちろん嫌な奴として描いたら作品の世界観をぶち壊してしまうので、このような道化として我々の眼を楽しませてくれたわけだが、理想的な職場として描かれた喜翆荘でさえすべての人が自分の仕事の役割を持っていたわけではないというあたり、今作のリアリズムを垣間見るようだ。さらに付け加えるなら、こんな、仕事でも私生活でも役立たずのような人物でさえ、若かりし日の徹や民子の心を動かし、その夢を、人生を決定づけてしまうことがあるという、人間というイキモノの不可解さ、不条理さ、それゆえの奥深さだ。また想像をめぐらせれば、この『花咲くいろは』という作品自体、次郎丸太郎の残したレポートをもとにして、安藤真裕や岡田磨里がストーリーを練り上げたという説だって、十分に成立し得る。そんな作品設定の伸びしろといか、想像の入り込む余地をたくさん残しておいてくれているという点でも、愛すべき作品だとつくづく思う。





さて、なんだか書き足りないことがまだまだある気もするのだけど、そろそろ放映終了から2時間近く経ちそうなので、このあたりで筆をおくことにするw まだがっつりと語れることが見つかれば別の機会に改めて表明するとして、こんなに素晴らしい作品に出会えたという幸運に感謝しつつ、『花咲くいろは』の感想レビューはこれにて終了とさせていただきたい。作品放映期間中に金沢・能登へ旅行できた素敵な記憶とともに、今作で味わった面白さや感動をいつまでも心にとどめておこうと思う。



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それでは、これにて以上です。どうもありがとうございました。


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