氷菓 第2話「名誉ある古典部の活動」

EDが無駄にムラムラさせる・・・



古典部が部活動を始めようと決意するにいたるまで、なんと1か月もの時間を無為無策のまま浪費していた! この驚愕の事態が奉太郎の策略によるものであることは間違いないが、彼の灰色パワーを打ち破るべく千反田えるが提案した「文集作り」が、彼らの青春を大きく突き動かしてゆくことになるのだろう。


今回はもう一人の古典部メンバー(予定)の伊原摩耶花が登場。奉太郎・里志とは旧知の間柄というだけでなく、里志に一方的な恋愛感情を抱いていることまで隠すことなく晒されており、初登場回にしてすでに馴染みやすいキャラクター像を獲得。知人どころか親友(むしろ悪友?)と言って良さそうな三人は、いずれも頭が良いだけでなく性格もひねくれていて、ジト目で言葉のつばぜり合いを演じる姿はなかなかエキサイティングだ。ただし摩耶花←→里志の間で角のある悪口は交わされないから、奉太郎が二正面作戦を強いられてしまっているちょっと可哀そうな状況。さらに天敵・千反田えるの回避不能な強烈アタックも受け止めなければならないのだから、折木奉太郎の高校生活はお先真っ暗だ。いや彼の表現を借りるなら、お先薔薇色の高校生活と言うべきか。なんてうらやましい。


それでも今回は、談笑する摩耶花や里志たちを見て「自分はこうはならない」と絶望する奉太郎が描かれたことで、彼の人間像にもまた新たな側面が見えてきたところだ。灰色人生を望んでいるのに無理やり薔薇色コースに突き進んでしまう、という現在の状況を、しかし彼の自分でも気づかない本心では、むしろ歓迎しているのではないか。そんな里志の見立ては、どうやら正解であるらしい。これから奉太郎がどうやってその本心を自覚するか、それが今作の軸として機能してくることだろう。それと同時に、奉太郎がどうしてあんな根暗な省エネ人生を待望するようになったのか、そのあたりの理由も気になってくるところだ。


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さて今回のミステリーは、図書館で繰り返される謎の大型図書貸し出し事件。こういう人畜無害な不思議にスポットを当ててくれるのは嬉しいなぁ。学校+ミステリーというとたいてい怪談ネタが多くなるイメージがあるけれど、自分はお化けとか大の苦手でホラーは全然駄目なので、そうではなくて日常に潜むちょっとした謎を扱ってくれているうちは、安心して推理を楽しめる。


また、普段の生活の中には探そうと思えばいくらでもミステリーが転がっているんだというスタンスも素晴らしいと思う。例えばそれは、自然に触れ合うためにわざわざ山の中に分け入っていくのも面白いけれど、日々の通学路の途中でふと目にとめる面白さもあるのだと教えてくれるような感覚。つい”色彩”を見失ってしまいがちな普段の生活に、びっくり箱のような素敵な輝きが隠されていることを、奉太郎の言う「灰色」「薔薇色」なる言葉づかいは端的に表現してくれている。


ただし色彩豊かな生活を堪能するということは、素敵な色、美しい色を楽しむことが出来る反面、汚い色、嫌いな色も甘んじて受け入れなければならないということだ。「美しさ」だけで染め上げられた世界などありはせず、仮にそんな世界に身を置いていると思ったらそれは欺瞞に過ぎない。そして現実の人生というものには、幸福な色彩はあまりに少なく、だからこそそれが貴重で喜ばしいものだと感じることが出来るわけだが、それとてすぐに次の不幸に塗り替えられてしまう。奉太郎が灰色の生活を熱望するのは、幸福から遠ざかる代わりに、不幸や不運(そしてそれに伴う失望)をも遠ざけようとしているのだろう。だから彼にとって、千反田えるのもたらす薔薇色の高校生活は、同時に彼を苦しめる悪い色をも呼び込んでしまう諸刃の剣なのだ。


仏教風に言えば、煩悩を断ち切って清浄な精神を獲得しようと努めていた奉太郎が、煩悩の化身マーラの誘惑に屈服させられそうになっている構図と言える。仏教の面白いところで、魔というのは地獄ではなく、天界に住んでいると説く。天界とは、喜びを感じる心の働きである。嬉しいとか楽しいとか気持ちいいなどと感じているその時こそ、人が苦しい修行を捨てて堕落してしまう絶好のチャンスなのである。そう考えると、千反田えるはまるで「第六天の魔王」の化身のように見えてくるのではないか。


まぁ奉太郎が熱望する灰色人生が、高尚な精神的修行などではなく、ただ生きることに臆病になっているだけなのだとすれば、千反田さんに巻き込まれてつらくて大変だけれども楽しい青春を過ごすのも、決して悪いことではないんだろう。大人になって、もうどうしようもなく灰色な生活を余儀なくされることになった際に、一度でも薔薇色の生活を送っていたことがあるという自負は、きっと彼の人生において心強い支えとなろう。そしてそんな奉太郎の姿は、同じように灰色な生活を希望したり、あるいは知らず知らずのうちにそのような生活にハマり込んで抜け出すことを諦めてしまった人たちに、勇気のひとかけらを分け与えてくれることになるはずだ。


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ところで前回は、やたらまだるっこしい言い回しのセリフが少し気になっていたところだったけれど、今回はそうした要素がほとんどなくなっていて、聞く分にはずいぶん聞きやすいエピソードとなっていた。やはり前回あえて難しい言葉選びをしていたのは、そこで視聴者を戸惑わせ、自力で考えさせて作品内部へ歩み寄れるようにする、作り手の作戦だったのに違いない。


一方で、セリフばかり延々と続くシーンを映像としていかに魅せるかについて、今回もまたすさまじい熱意と見事な発想力による工夫が行われていた。とくに奉太郎の推理については、彼が天才的なひらめきでズバっと真理を射抜くのではなく、考え得る可能性をひとつひとつ潰して行って、堅実に思考を組み立てていく面白さを追求していたので、その分アニメーションも、文字情報を多用して視聴者の整理を促していくことになった。小説や漫画ならページをめくる手を休めることで自在に時間の進行を操ることができるが、アニメでは強制的に一定の時間で劇が進んでしまうわけで、このあたりのアニメーターの創意工夫は涙ぐましいものがある。ただ情報を整理するのではなく、曲芸や手品のように文字を動かして、意味を抜きにしても視覚だけで存分に楽しめるよう演出していたが、これが画面の密度を増大させ、セリフがだらだらと続くシーンでも単調さを感じさせない。


この手の効果はシャフトが得意にしてきたものだが、映像の遊ばせ方について、シャフト作品と『氷菓』では大きく趣向が異なる印象を受ける。おおざっぱに言って、たぶんシャフト演出のほうが、無駄で無意味な描写が多く、膨大な無意味の中に意味のあるものを見つけ出す点に面白みを感じさせる。もちろん印象的なカットを大胆につないでいく紙芝居演出も特徴的だ。一方で『氷菓』における今回の推理シーンは、必要な情報それ自体をどうやって楽しげに動かすか、という方向で演出されていたのではないかと思う。とにかく文字たちがちょこまかと動き回り、ピョコッ、ポコッ、なんていう心躍る効果音も満載。立体的なふくらみ・奥行も感じさせて、視聴者の胸の奥に眠る子ども心を大いにくすぐる表現力が発揮されていた。このあたりははっきりと、京アニのCMや『日常』で発揮されてきた手法・発想を受け継ぎ、発展させてきている印象で、これが今後さらにどんな展開を見せてくれるのか大いに楽しみだ。




なお、今回からEDに歌と映像がついた。なんでこんなにエロいのかっ!?


千反田さんはもちろん文句なく可愛くて、今回だって私服姿にメロメロにされそうだったし、摩耶花も十分に魅力あるキャラだとは思うけれど、でもこの露出の多いED映像はなんか合わないって気はする^^ ここだけ非日常推しなんだ?みたいなw



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それでは、今回は以上です。


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