化物語 第1話「ひたぎクラブ其ノ壹」

前述のように、大本命とか言ってたくせに、エヴァ序のおかげですっかり忘れてておととい見れなかった「化物語」。ようやく今日、テレ玉でフォローできました。テレ玉愛してます。

それでは「化物語」第1話、感想です。ちなみに原作未読です。


気づいたら、息をするのを忘れていた。。。


本編前半部分の感想は、何と言ったらいいのか言葉が出てこない。とにかく映像に圧倒された。いまでも手が震えている。

世俗的な物言いをすれば、まず間違いなくシャフトは本気だということ。そして、その力量の前に突き放され、地に叩きつけられた自分がいた。

こんな凡人が何を言う資格があろうかとは思うのだが、一応気になった点を書いてみる。まず舞台の描写といい人物のポーズといい、徹底的に様式美を追求していた。無数に羅列される幾何学文様。不必要なほど多くの物質が、光と影が、そして文字が、異様なほどの整合性と非整合性の釣り合いのもとに描き込まれ、それが画面の中の世界を、視聴者の想像が到達しうる限界の遥か遠くまで連れ去ってしまう。我々は舞台のあまりの非現実性がゆえに、かえって自己の存在を忘却し、眼前に繰り広げられる圧倒的な光景にただただ没頭するしかない。

これは、例えば多くの大乗仏教経典が、仏の偉大さを表すその描写において、凡夫の想像を絶するスケールの場面を描き込むのと通ずるものがあると思う。あるいはイスラーム建築における幾何学文様もそうだ。神という、被造物の類推を一切受け付けない存在であるはずのものをどう表現するかと考えて、人は、人には理解できない圧倒的な美を求めた。そうして到達したのは人類史上における芸術のひとつの到達点。いうなれば、見る者を突き放すことで、逆に彼らに追い求めさせるという技法である。それが、今作の演出技法にもあてはまるのではないか。

うがった見方をするなら、今作の、とくにデザインのかっこよさを重視した描写などは、「ef」シリーズに対する対抗意識というか、それを超えようという意識があるかもしれないとも思った。ストーリーと関係のないところで、映像コラージュとしか思えないような描写を入れてくるのは、常にそれぞれのシーンが象徴的な意味合いを持っていた印象の強い「ef」とは方向性の違いがあるようには感じるが。劇団イヌカレーの担当した部分などは、作品の雰囲気作り、視聴者を突き放す役割は見事に果たしていたけれど、必然性はあまりない。あるいは教室で、あえてイスがさかさまに立てかけてある描写とか。必然性はなくとも、雰囲気作りとビジュアル的なかっこよさ、面白さを追求するのが今作の映像の特徴なのかもしれない。ある作品の演出スタイルをすべて一人の人間に託して語るのは激しく間違っているとは思うが、尾石氏と大沼氏の違いはこういうところにあるのだと現時点では勝手に納得しておく。

リンクしていただいているブログ、「失われた何か」様の記事(http://nextsociety.blog102.fc2.com/blog-entry-701.html)で、建築物や標識などにこだわるのは何か意味があるのだろうかと問いかけがあったが、自分で見てみて納得。こりゃたしかに過剰ですわ。今作に限って言うなら、前述のような理由で視聴者を突き放すのに、街中にあるモノでもっとも都合のよい幾何学文様といえばやはり人工建造物なのだろうということなのですが、ヱヴァの建築群の描き方とか、細田監督の道路標識など、無関係と片付けてしまうにはあまりに気になる演出法ではあります。




映像とともに視聴者を置いてけぼりにしてたのは脚本も同じなのだが、こちらはさすがにまだついていける内容ではあった。最初はひたぎというキャラの存在に圧倒されていたのだけれど、しかし展開として、巻き込まれたのがヒロインで、解決の糸口を与えるのに引っ張っていくのが主人公というのは、いわゆる王道展開とは男女の役割が逆で、面白かった。とくに主人公が脅迫に屈せずひたぎに近づいて行ったあたりから、どうも雰囲気がのんきになったというか、笑いを誘うセリフ回しが多くて、当初想像してたほどシリアス&グロなお話ではないらしい。予告もはじけていたし。まぁそのほうが見る分には気が楽なのでありがたい。それに神や妖怪の出てくる展開は嫌いではないし。



そういうわけで、やはり大本命は「CANAAN」ではなく今作のほうになりそうです。来週は金曜に見れるよう頑張ります。



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