亡念のザムド 第19話「偶発 ロマンス開花」

アキユキがナキアミと分かれて自我を喪失して以降のエピソードが、ひとまずの決着を見る。”偶発”などと称しておきながら、計算され尽くしたドラマティックな構成に、大きな感動を味わうことになる回だった。


前々回までは長らく停滞していたドラマが、前回、大きな一歩を踏み出したばかりなのに、それが急速にドラマを加速させていった。たったひとつの小さな勇気が、どれほど運命を大きく変化させるかということを、まざまざと見せつけられたような感じだ。とくに様々なしがらみを捨て去り、ただアキユキに会いたいという願いに忠実に行動するハルが、過去話中、もっとも生き生きとしていて、魅力的に見えた。そして同じくしがらみから解き放たれたナキアミもいい表情を見せる。前を向いて歩きだす人間たちの、真に生きているという表情だ。それと顔を取り戻したアキユキが、髪が伸びてなんだか雷魚みたいな顔になっていたのは、意図してのことだろう。


絵的には、今回はハルの動きがじつによく目立っていた。ビートカヤックを手に入れて、作品的にも久々に飛行シーンが描かれたし、必死に、しかしじつに楽しそうにピンチを切り抜ける描写が爽快。そして「ラピュタ」ばりのアキユキ救出シーンは短いながらもインパクトのある見どころだった。一方ドラマ的には、ナキアミに迫るクジレイカとヤンゴとの一触即発のシーンも見せ場。ここはヤンゴの声がイマイチ演技力に欠けるのが痛すぎる。ハルもナキアミもまったく別の場所で別の行動をしていて、時系列ももしかしたら別々なのかもしれないのだが、それをひとつのストーリーの中で折衷させ、しかも各回それぞれの鍵となるポイントを同じようなカタチで通過させる構成は、非常によく計算されたものだ。今後もこのスタンスをとりながら、それぞれのベクトルが最終的にひとつの着地点にたどり着けるよう構成してあるのだろうが、その手腕に期待。





「言葉はいつも心に足りない」。だから言葉を紡ぐ価値はないのだと言わんばかりの伊舟は相変わらずひねている。このシーンは、アキユキが須磨子に置いていった手紙のシーンと直結している伏線で、言葉の限界を寂しそうに語る伊舟の姿を見せていたからこそアキユキの精いっぱいの手紙が感動を呼び起こすことになるのだが、これはそのまま、アキユキと伊舟、青年と大人の対比にもなっているように思う。といってもそれは実年齢の話ではなく、精神的な年齢、心の持ちようの話だが。

伊舟は自分の感情を持て余していて、ほとばしる熱情をコントロールしきれていない。だから、あえて自分の本当の感情に無関心かつ冷徹であろうと心がけていて、それが、大人になりたくてうずうずしている思春期の子供の姿に映るのだが、それでも仮面をかぶる技術だけは実年齢の分、巧みになっていて、自分の心を偽っているということをさらに仮面で隠していって、、、というようにがんじがらめになっている印象だ。船長という地位を放り出し、またヒルコと共に生きることで幾分「考える」ということを学んできた雷魚と行動をともにすることで、彼女の成長も見ることができるだろうか。


あの黒目玉は皇帝陛下だった。やっぱり「ナウシカ」臭が強い作品だなぁ。アキユキの腕章をむしゃむしゃ食べてしまったのはどんな意味があったのだろう。ハルとアキユキという観点からすれば、もう離れ離れになることはないということで、お互いの絆の象徴たる腕章は必要ないということでいいのだが、アキユキの名前にこだわり、「死ね」とか「早く私を殺しにこい」なんて言ってるキャラがそれを食べてしまうというのは、何か他に演出上の意図があったと思うのだが、現時点ではちょっと分からない。食べるという行為が非常に衝撃的で、象徴的な行為だと思ったので、ここはよく記憶しておこうと思う。

それから、須磨子さんの息子は垣巣中佐だったという種明かし。うまい、やられた、と思った。考えさせるだけでなく、感じさせるアニメでもあるというのを、CMでは繰り返し言っているのだが、その象徴的なシーンのひとつだったと思う。


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