ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第12話(最終回)「蒼穹ニ響ケ」

見事、見事、見事!! ソラノヲトはこの胸にも響き渡った!




・最終回の感想


素晴らしい最終回だった。陰鬱な空気を前回からずーっと引っ張ってきて、畳み掛けるように次々と迫りくる不安要素がものすごく切実に訴えかける。ノエルやクレハの苦しすぎる胸の内が痛いほど伝わってきて、フィリシアの言葉ですら空虚に映るほど。そして満を持して登場したタケミカヅチも状況打開の切り札となり得るのか分からなくなるくらい、壮絶で凄惨な戦闘シーン。そこにオーバーラップして語られる真の伝説の、悲しく切ない物語・・・。


もうだめか、と思いかけたその時、曙光とともに高らかに鳴り響く”ソラノヲト”。喧騒に満ちていたはずの戦場を一瞬で静寂に変えてしまうそのメロディは、砦の乙女たちの切なる願いをのせて、人々の心に運ばれてゆく。なんと暖かく、なんと切実な、平和への願いだろうか! 




・心から望みさえすれば、戦争は終わる


今作のテーマを、反戦・平和であると決めつけるのは、たぶん間違っているだろう。だがそれでも、この2話で描かれた”平和への希求”は、あまりにも強く、心に響くものがあった。このエピソードは、極めてトルストイ主義的な反戦メッセージの提示であり、人間性の尊重と非暴力を掲げるこのテーマ設定を、驚くほど巧みに描き出していたと、言っていいだろう。このメッセージを少しでも真摯に、切実に訴えかけるための、脚本・映像面での努力と工夫は想像を超えるものがあったに違いなく、それだけ真剣に取り組んでいたからこそ強い説得力を勝ち得ていたのだろう。


いくつかの重要なファクターを指摘しておきたい。

・ヘルベチア人もローマ人も、同じ人間である
・兵士たちは、戦いを望んでいるわけではない
・武器をもたない市民であっても、銃の暴力に抗うことができる
・一人の人間の真摯な訴えは、他者の心を突き動かすことができる



これらの要素は、画面を漫然と見ている視聴者にさえ、自明のこととして映っているはずだ。だが、我々はこれらの事象から、「だから、望めばいつだって、戦争は終わる」と結論付けることに、戸惑うべきだろうかと、私は問うてみたい。


戦争をやめたければ、そう望めばよい。この自明の理が、人間にはなかなか理解できない。それは我々が、歴史的事件はすべからく権力者の意向によって引き起こされると、信じ込んでいるからだ。


けれど、仮に上官が「敵を撃て、進撃せよ」と命令したとして、それに従う必要性が、義務が、人間には存在しているのだろうか。組織とは全て、人間がでっち上げた幻である。利があればそれに従えば良いが、利益も道理もない指示に、本来我々が従う義務はない。兵士たち一人一人が、殺せという命令に否と言えば、それで戦争は終わるのだ。暴力はよくないという単純明快な原理を、もういちど思い返せば、すべて済む話のはずなのだ。


もちろん、少しばかり小賢しくなった人間は、様々の理由を捏ねあげて戦う理由を見つけ出す。やれ国家のため、神のため、名誉のため、金のため、云々、といった具合だ。だがそれらの理由が、たった一人の命より重たいという理屈があるのか? 我々は無価値に等しいモノのために、高額の負債を抱え込んでいると教え込まれ、信じきってしまっているのではないか? 




トルストイや、ガンジーや、キングを知らなくてもいい。だが、このアニメが強く訴えかけてくれた大切なメッセージを、どうかよくよく、吟味して欲しいと思う。カナタのラッパはどうして戦争を止めることができたのか。アニメ的なご都合主義か? 否、断じて否だ! 


命の本当の重さと、人間の本来あるべき日常の大切さ。それに一人ひとりが気付けば、今すぐにでも、全地球上から戦争をなくすことができる。滅びつつある世界の中で、それでも日常の平和と幸福を心から望んだ少女たちが、身をもって我々に指し示してくれたヒントを、ゆめゆめ見落としたり軽んじたりしてはならない。




・世界観設定の意味と意義について


今作は第1話から、本当にその必要があるのかというくらい、丁寧に丁寧に、その特殊な世界観を描き続けてきた。その意味と意義を、考えてみたい。


ファンタジー作品にとって、どれだけ緻密な世界を描写できるかというのは、作品の魅力や奥行きに直結する部分であり、作品の背骨であるといっていい。現代文明に対する非難も当然含まれているであろう今作の世界観は、美しさと荒廃、喧騒と静けさ、生と死とが内在するじつに特異な設定であり、その描写力の高さともあいまって、素晴らしい魅力を獲得していたと思う。


ただそれだけの話だとしても、十分に価値がある。特殊な世界観はそのまま作品のオリジナリティを確立する一助となるし、いったいこれはどうなっているのだろうという、センス オブ ワンダーを刺激して視聴者を引きこむこともできる。異世界だからこそ、主人公の少女たちの日常描写にも驚きや感心が付随するわけで、作り手もそのことをよーく分かって、かなりの尺を使って丁寧に世界観と日常風景を描いてきた。


ところが、ひねくれた視聴者には当然、「その世界観にどんな意味があるのか」と疑問を呈されることになる。何気に暗い影の見え隠れする設定であったために、舞台が軍隊であるということもあって、シリーズ序盤からずっと、作品の方向性が見えないことに対する疑問や不満が述べられてきた作品であった。




私自身の解釈を述べると、まず、第10話までにおける特殊な世界設定の意味は、上に挙げた”面白さ”以外には、はっきり言って皆無である。滅びつつある世界であること、主人公が軍隊に所属していること、それらは、ただ面白そうだからとか、軍服が可愛いから、という理由で設定しているのだと思う。それ以外に明確な目的など見えないし、またそれだけでも十分理由になるだけの見事な描写だった。我々視聴者としては、素直にその魅力を享受しておけばそれでよいと思う。


しかし、今作が見せたかったものが第11話と第12話のエピソードであったことは間違いない。そしてそこで描かれたのは、先ほど述べたように反戦・平和のメッセージを打ち出すための物語であった。一人ひとりが心から望めば、戦争は終えられる。それを端的に表現するのに、今作の世界観はじつに都合がよい。


テクノロジーが失われているという設定は、ただのラッパから奏でられる音楽のチカラに、より説得力を与える。また、技術の発展にこだわり、争いを好む悪役の愚かしさを際立たせるのに、滅びゆく世界という設定は痛烈な印象を残す。もちろん、日常の平和がいかにかけがえの無いものであるかというのもこの世界だからこそ強い説得力を持つ。主人公が軍隊にいながら、全然軍隊らしからぬ生活を送っているのは、軍人と一般人の双方の視点を持たせるためだろう。兵士が武器を捨てれば戦争は起こらない、というのは、まさにトルストイ的思想なわけで、それを描くというところに、カナタが軍人である意義が存在している。


この物語を描くのに、どうしてもこの世界でなければならない理由は、あまり無い。しかし、この世界、この設定だからこそ成り立った作品であることも、間違いない。やりたいことを十二分にやるためにどのような世界を構築したらいいか、という点から出発して、作り手の趣味や興味を注ぎこんで作り上げられたのが、今作の世界観なのだろう。




・総括的なもの


この作品は、いろいろな楽しみ方をさせてくれるアニメだったと思う。私は反戦だとかいう重たい話をしてしまったけれど、そんなに難しく考える必要があるわけではなく、もっと気楽に、少女たちの日常の楽しさとか、団結と奮闘のドラマを楽しんでおけばいいのだろう。もちろん政治劇や戦争モノの流れで見ても良いだろうし、あるいはもっとひねくれた人は、今作を環境問題や文明のあり方と絡めて考えることも、あるかもしれない。でも一番印象的だったのは、やっぱりカナタのお漏らしだった。そんなアニメ。


視点の多さ、楽しみ方の多さは、だからこそ「やりたいことが分からない」などと評価されることもあったわけだが、しかしそれはそのまま、作品の”懐の深さ”であると、考えるべきだと思う。どう楽しんだって良いのだから、好きなように見ていいと思う。お話だけでなく、世界観の描写や登場人物たちの演技を見ているだけでも、十分以上に楽しめる。この高品質のアニメーションは、それだけでご褒美ものだったなぁ。


魅力的なキャラ、興味深い世界観、見事なアニメーションに、感動の最終回。じつに良くできた良作だったと思う。大変面白かったです。ずっと皆の心に残り続ける作品で、あって欲しいな。



----


それでは、以上となります。お付き合いくださり、どうもありがとうございました。


にほんブログ村 アニメブログ アニメ感想へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加中です。拍手の代わりですので、読んで良かったとちょっとでも思ったら、クリックしてもらえるとやる気でます^^



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 6

ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック