四畳半神話大系 第11話(最終回)「四畳半紀の終わり」&シリーズ感想
すごくいい最終回だった!
・最終話感想
前回の続き(?)で、いまだに延々と続く四畳半の迷路を放浪中の主人公。この迷路の構造(パラレルワールドを行き来している)を理解した彼が、自分の様々にある可能性を客観的に吟味していくなかで、部屋に閉じこもりっきりだった自分には無い輝かしい人生の宝石を、別の自分たちの中に見出していく。
隣の芝は青い。それぞれの人生でそれぞれなりに精いっぱい生きてきたはずの主人公が、自分と他者(他者の幻像というべきか)との対比で自嘲的に自身を否定するばかりで、自らの意思で選択した道を一向に楽しもうとしていなかった。極めて単純だが、とても気付きにくい真実にようやく行きついた主人公が、今度こそは自分の意思を具現化し、その選択に責任を持って、精いっぱいに日々を謳歌しようと決意するにいたったのが、このみみっちくも壮大な四畳半神話の結末であった。
特別版OPからぐいぐいと惹きつけられていった今回だが、やはり終盤、部屋から飛び出して自分の人生を生きようと決意した主人公の生き生きとした活躍や、第1話に通ずる小津との顛末、そして病室での主人公の悪魔的なニヤケ顔と、ときにダイナミックでときに滑稽な、そして余りにも綺麗な幕引きを迎えたこの最終回の出来栄えは、実に実に見事だった。全11話のすべての回、すべてのカット、全てのセリフがまったく余るところも不足するところもなかったと実感できた。こんなに良いものを見せてくれたことに心から感謝を捧げたい。
・恋愛に幸福はある。だが、それだけではない
いったいどんな結末を迎えるのだろうと予想したときに、当然、もちぐま(5匹そろって”もちぐマン”、単体だと”もちぐま”らしい。初めて知ったw)を明石さんに返却して、そのついでに告白してカップル成立なんだろうな、という予測は当然誰しもが思っていたことだろう。もちろんそこはきちんと予測通りに描かれて(全裸シチュは想定外だったがw)、まぁそうなるだろうねぇという印象。いままで散々じらされていただけに、明石さんの魅力爆発な告白(?)シーンは大きなカタルシスがあったのは確かだけど、意外性という意味ではそれほど、意外ではなかっただろう。
しかし、この作品のテーマはそんな単純なものではなくて、恋愛は確かに幸福を象徴するものではあるが、しかしそんなものは人生の一部でしかない。良いところも悪いところも全部ひっくるめて、いまそこに確実にある幸福を、ありのままに享受する勇気。これこそが、今作の描こうとしていたテーマだ。
別に明石さんと付き合うことが全てではない。何か「正しい生き方」を提唱するなんて思いもよらない。たとえ部屋に引きこもるだけの生き方でも、あるいは不毛なイタズラ合戦に身を捧げる生き方でも、はたまたロードレースに青春をかける生き方でも、それを確かに”選択”し、楽しんで生き切って見せようという覚悟。それが必要だったのだ。
これはしかし非常に重要で興味深いメッセージだと思う。言わばこれは幸福論のお話だ。幸福とは何か? それを分かっている人間は極めて少ない。幸福とは、快楽であり、麻薬のようなもの。神が、頭の悪い人間がちゃんと生きようと思えるように、鼻先にぶらさげた餌。それが幸福の正体だ。いままで今作の主人公は、そんな目の前のニンジンを追いかけて必死に走り続けていた駄馬だったというわけだ。
しかし、人間はこの地上で唯一、”問う”ことのできる生き物である。人間は問う、幸福とは何か? いまおれが追い求めている幸福にいったいどれだけの価値があるのか? こんな目の前の餌が、幸福だと言うのか? そして答える。それは否だ、我々にとってもっと大切なもの、真の幸福というものがどこかにあるはずだ、と。
今作はまさに、そうした問いを投げかけ、考え抜き、答えを提示したドラマだったと言える。それも、頭でっかちに言葉を弄して語るのではなく、もっと身近で低俗なドラマを通して体感的に答えを叩きつけた。今作の持つメッセージ性をどう受け取るかは視聴者個人の思想信念に委ねられるべきだが、しかしこれほどまでに”地に足のついた”カタチでテーマを描き切って見せたことは、高く評価したい。そうそう出来ることではない。
・アニメーションよりも作劇に惹かれた作品だった
今作は鬼才・湯浅政明の監督作品ということで、非常に独特なアニメーションを見せてくれた作品だった。湯浅氏の作品に出会ったのは今作が初めてだったのだが、第1話から最終話まで、あまりに特殊な画面世界やそこで繰り広げられる濃密なアニメーション、それに次から次へと湧いて出てくる予想外のアイディアにいちいち驚嘆し、まったく気を抜くことのできない作品だった。
しかしあえて言わせていただくなら、自分はこの特殊な映像世界ではなく、間違いなく、ストーリーと、セリフと、それを見せる演出の確かさに惚れていた。映像単体の魅力も素晴らしいものがあったけれど、ドラマ単体としてはもっと心惹かれるものがあって、そのドラマの良さを引き立てるためのアニメーションとして、最高に見事だったと思っている。
こういう実験的な映像って、映像単体だけで十分に芸術たり得るために、ともすればストーリーやセリフとの連携をおざなりにしてしまうのではないかという危惧があった。シャフトの黒板ネタとかがまさにそれで。面白いんだけど、必然性が無い。むろんシャフトの場合は、その必然性が無いという点に必然性があると思っているのだけど、「四畳半」の映像演出もそういう傾向にあるのではないかと勝手に予測していて、その予測が完全に外れた印象だ。
これだけ特殊な映像を見せてくれているのに、その特殊さに気付くのをつい忘れてしまうほど、ドラマが良くて、またドラマと映像が混然一体の連携を見せていた。正直、絵的な面白さを追求する映像作りが、こうまでドラマと相性良く成立してしまうとは考えもしなかった。はじめて「ef - a tale of memories.」を見た時に同じようなことを感じたなぁ。作品の方向性はまるで違うけど、同じように映像と物語の化学反応を演出してくれていたと思う。
これを機に、湯浅監督の他の作品も手に取ってみようと思う。とにかく第1話から本当に引き込まれて、楽しませてもらった。今期は、「Angel Beats!」といい「迷い猫」といい「いちばんうしろの大魔王」といい、多かれ少なかれ実験的な姿勢を取る企画が目に付いた印象があったが、その最たるものが「四畳半神話大系」だったと思うし、また今作がもっとも出来が良かった。エンターテイメント性、完成度、クオリティ、そして実験要素。これらがすべて最高度のレベルで融合できている稀有な作品だったと評したい。
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それでは、以上となります。どうもありがとうございました。

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・最終話感想
前回の続き(?)で、いまだに延々と続く四畳半の迷路を放浪中の主人公。この迷路の構造(パラレルワールドを行き来している)を理解した彼が、自分の様々にある可能性を客観的に吟味していくなかで、部屋に閉じこもりっきりだった自分には無い輝かしい人生の宝石を、別の自分たちの中に見出していく。
隣の芝は青い。それぞれの人生でそれぞれなりに精いっぱい生きてきたはずの主人公が、自分と他者(他者の幻像というべきか)との対比で自嘲的に自身を否定するばかりで、自らの意思で選択した道を一向に楽しもうとしていなかった。極めて単純だが、とても気付きにくい真実にようやく行きついた主人公が、今度こそは自分の意思を具現化し、その選択に責任を持って、精いっぱいに日々を謳歌しようと決意するにいたったのが、このみみっちくも壮大な四畳半神話の結末であった。
特別版OPからぐいぐいと惹きつけられていった今回だが、やはり終盤、部屋から飛び出して自分の人生を生きようと決意した主人公の生き生きとした活躍や、第1話に通ずる小津との顛末、そして病室での主人公の悪魔的なニヤケ顔と、ときにダイナミックでときに滑稽な、そして余りにも綺麗な幕引きを迎えたこの最終回の出来栄えは、実に実に見事だった。全11話のすべての回、すべてのカット、全てのセリフがまったく余るところも不足するところもなかったと実感できた。こんなに良いものを見せてくれたことに心から感謝を捧げたい。
・恋愛に幸福はある。だが、それだけではない
いったいどんな結末を迎えるのだろうと予想したときに、当然、もちぐま(5匹そろって”もちぐマン”、単体だと”もちぐま”らしい。初めて知ったw)を明石さんに返却して、そのついでに告白してカップル成立なんだろうな、という予測は当然誰しもが思っていたことだろう。もちろんそこはきちんと予測通りに描かれて(全裸シチュは想定外だったがw)、まぁそうなるだろうねぇという印象。いままで散々じらされていただけに、明石さんの魅力爆発な告白(?)シーンは大きなカタルシスがあったのは確かだけど、意外性という意味ではそれほど、意外ではなかっただろう。
しかし、この作品のテーマはそんな単純なものではなくて、恋愛は確かに幸福を象徴するものではあるが、しかしそんなものは人生の一部でしかない。良いところも悪いところも全部ひっくるめて、いまそこに確実にある幸福を、ありのままに享受する勇気。これこそが、今作の描こうとしていたテーマだ。
別に明石さんと付き合うことが全てではない。何か「正しい生き方」を提唱するなんて思いもよらない。たとえ部屋に引きこもるだけの生き方でも、あるいは不毛なイタズラ合戦に身を捧げる生き方でも、はたまたロードレースに青春をかける生き方でも、それを確かに”選択”し、楽しんで生き切って見せようという覚悟。それが必要だったのだ。
これはしかし非常に重要で興味深いメッセージだと思う。言わばこれは幸福論のお話だ。幸福とは何か? それを分かっている人間は極めて少ない。幸福とは、快楽であり、麻薬のようなもの。神が、頭の悪い人間がちゃんと生きようと思えるように、鼻先にぶらさげた餌。それが幸福の正体だ。いままで今作の主人公は、そんな目の前のニンジンを追いかけて必死に走り続けていた駄馬だったというわけだ。
しかし、人間はこの地上で唯一、”問う”ことのできる生き物である。人間は問う、幸福とは何か? いまおれが追い求めている幸福にいったいどれだけの価値があるのか? こんな目の前の餌が、幸福だと言うのか? そして答える。それは否だ、我々にとってもっと大切なもの、真の幸福というものがどこかにあるはずだ、と。
今作はまさに、そうした問いを投げかけ、考え抜き、答えを提示したドラマだったと言える。それも、頭でっかちに言葉を弄して語るのではなく、もっと身近で低俗なドラマを通して体感的に答えを叩きつけた。今作の持つメッセージ性をどう受け取るかは視聴者個人の思想信念に委ねられるべきだが、しかしこれほどまでに”地に足のついた”カタチでテーマを描き切って見せたことは、高く評価したい。そうそう出来ることではない。
・アニメーションよりも作劇に惹かれた作品だった
今作は鬼才・湯浅政明の監督作品ということで、非常に独特なアニメーションを見せてくれた作品だった。湯浅氏の作品に出会ったのは今作が初めてだったのだが、第1話から最終話まで、あまりに特殊な画面世界やそこで繰り広げられる濃密なアニメーション、それに次から次へと湧いて出てくる予想外のアイディアにいちいち驚嘆し、まったく気を抜くことのできない作品だった。
しかしあえて言わせていただくなら、自分はこの特殊な映像世界ではなく、間違いなく、ストーリーと、セリフと、それを見せる演出の確かさに惚れていた。映像単体の魅力も素晴らしいものがあったけれど、ドラマ単体としてはもっと心惹かれるものがあって、そのドラマの良さを引き立てるためのアニメーションとして、最高に見事だったと思っている。
こういう実験的な映像って、映像単体だけで十分に芸術たり得るために、ともすればストーリーやセリフとの連携をおざなりにしてしまうのではないかという危惧があった。シャフトの黒板ネタとかがまさにそれで。面白いんだけど、必然性が無い。むろんシャフトの場合は、その必然性が無いという点に必然性があると思っているのだけど、「四畳半」の映像演出もそういう傾向にあるのではないかと勝手に予測していて、その予測が完全に外れた印象だ。
これだけ特殊な映像を見せてくれているのに、その特殊さに気付くのをつい忘れてしまうほど、ドラマが良くて、またドラマと映像が混然一体の連携を見せていた。正直、絵的な面白さを追求する映像作りが、こうまでドラマと相性良く成立してしまうとは考えもしなかった。はじめて「ef - a tale of memories.」を見た時に同じようなことを感じたなぁ。作品の方向性はまるで違うけど、同じように映像と物語の化学反応を演出してくれていたと思う。
これを機に、湯浅監督の他の作品も手に取ってみようと思う。とにかく第1話から本当に引き込まれて、楽しませてもらった。今期は、「Angel Beats!」といい「迷い猫」といい「いちばんうしろの大魔王」といい、多かれ少なかれ実験的な姿勢を取る企画が目に付いた印象があったが、その最たるものが「四畳半神話大系」だったと思うし、また今作がもっとも出来が良かった。エンターテイメント性、完成度、クオリティ、そして実験要素。これらがすべて最高度のレベルで融合できている稀有な作品だったと評したい。
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それでは、以上となります。どうもありがとうございました。

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