学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD 第4話

当然、予測され得る事態。人間の本性には豚が眠っている。




・回想シーン??


3話分のエピソードの整理から導入された今回のエピソード。整理すべきほど複雑なストーリーじゃ無かったと思うのだけど、いったいどうしたのだろう? 


世界が終ってしまった、という小室孝の感慨を、前回は視聴者を戸惑わせる唐突感のもとに語られたが、それを視聴者に共感・共有させようという狙いがあっての脚本構成だったのかもしれない。そういう意味では十分な効果を発揮できていて、とくに、たった一日の間に一人の人間を死に追いやってしまった、という主人公の述懐が、世界が終ったと言う認識やそれに伴うやるせなさを強く印象付ける。そういう意味ではいちどこれまでのエピソードを振り返ることは一定の効果があり、感心はしないけれど納得はできる展開だったかな。


あるいは次回以降の展開を踏まえて、今回に充てるエピソードはガソリンスタンドの一件しかなく、尺が余ってしまったと言う可能性もあるわけだが、これは次回を見て判断するしかないだろう。




・絶望の淵で眺める人間像


絶望的な状況に追い込まれた人間がどんな言動をするか。絶望の淵に立たされたことの無い我々にとっては、それは極度に非現実なファンタジーであり、妄想の産物にしかなり得ない。そしてそんなシチュエーションを妄想する時、我々はどうしたって、狂気と混乱の中に見出す人間という存在の醜さに、想いを馳せてしまうという現実がある。


今作はまさにそうした問題に直面せんとしている。世界が終ろうという絶望の中で描かれる人間たちはまったく美しくなく、むしろ矮小で、醜悪で、非道だ。それは主人公たちについてさえ言える。人間の汚さを描くのに、今作はほとんど自重しない。


この傾向はじつは、自分はとても寂しいことだと思う。今作の作り手はどうか分からないが、今作で描かれる人間の汚さに思わず納得させられてしまうほど、我々は人間に絶望しているのだ。それって、人間としてどうなのか? 我々はもっと、人間について、我々自身について、希望と自信を持つべきではないのか? そもそも人間って本当にそんなに醜い生き物だったのだろうか?




・選択についての思索


自分は中学生のころ、こんな問いかけを自分自身に課したことがある。


 ある日、悪魔か神か、そんなような存在が地球の上に降臨して、人類をふたつの巨大な鳥かごに押し込めた。


 一方の鳥かごには、全人類のすべての人口から、2人だけを除いた数の人間たちが。もう一方の鳥かごには、たった一人の罪の無い子どもが、閉じ込められている。


 さてそのどちらの鳥かごにも属さないところに自分がいて、そこに悪魔だか神さまだかが語りかけてくる。人間には理解できないやんごとない事情があって、このふたつに分けられた人間たちのうちどちらかを、消滅させなければならなくなった。そこでお前に、どちらを消せばいいのか選んでもらおうと思う、と。


 一方は60億とも70億とも言われる膨大な人間たちが、もう一方にはたった一人の子どもがいて、どちらを残すか選べと言われれば、当然、数の多いほうを選ぼうとするだろう。


 さて、ここからが問題である。悪魔に向かって「数の多い方を残せ」と告げようとして、私はいちど逡巡する。人の命は何よりも貴いと教えられた。であるならば、無限に貴い命の70億人分と、一人分の命と、どちらがより貴いかなど、誰が決められるのだろう。


 そう考えて私は、ふたつの鳥かごに押し込められた人間たちを見た。まず数の多いほうだ。そこには、自分たちは当然助かるだろうと考えてのん気に座り込んでおしゃべりをしている者や、もうじき殺されてしまうであろう対岸の子どもに向かって同情の眼差しを向ける者、逡巡している自分に怒声を浴びせる者たちで満ち溢れていた。彼らのうち誰ひとりとして、一人よりも70億人のほうが生き残るべきだという判断に疑問を持つ者がいなかった。私はそれらの人間どもを見て醜いと思った。


 一方ひとりでだだっ広い鳥かごに入れられている子どものほうはどうか。そこには、確かに恐怖や不安に苛まれてはいるが、しかし健気にも自身の運命をはっきりと悟り、受け入れ、諦めている小さき命があった。まだ何の罪も知らないどころか、生きる歓びでさえもほんの一握りしか経験したことのない、元来であれば無限の希望と可能性を秘めた命だ。果たしてそのか弱き命が、70億の命より軽いなどということが、本当にあってたまるだろうか?





中学生だったころの私は、そうして一人の命を助け、あまたの命を死に追いやった。それはくだらない妄想世界での選択でありはしたが、しかしそれとて、当時の私が人間というイキモノに感じていた根本的な不信感から選びとった選択だった。


もし同じ選択をいま迫られたら、私は躊躇なく一人の命を捨て、70億の命を救うことを選ぶだろう。いや、躊躇なくというのは嘘だ、しかしそれでもほとんど逡巡する必要がないだろうと言いきるだけの信念は持っているつもりだ。私は今なら知っている、人間の命や人生といったものが、単純な数の計算の対象になるくらいには、軽いものだということを。あるいは、殺人は根本的な意味においては、罪にはなり得ないということを。そしてまた、人間はそこまで醜いイキモノではないということも、私は知っている。いや、信じていると言うべきか。




人の死について考えることは、思想上もしくは信仰上の、重要な原体験になり得る。「学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD」という作品が突き付ける葛藤やメッセージ性も、そうしたものであって欲しいと私は思う。そうであればこそ、フィクションの中で人間の醜さや汚さを描くことに、価値が生まれると思うからだ。




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それでは、今回は以上です。


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この記事へのコメント

F・C・P
2010年07月31日 19:14
この作品を観た時にまず思ったのが、こんなにも躊躇なく人の形をしたものを殺せるのか、というところです。
もちろん、はじめはまったく躊躇無くといった感じではなかったかもしれませんが、今では完全に邪魔者を排除すると言った感じになってきました。

そして今回思ったのが、親友を殺してまで生きることに貪欲な孝たちと、家族を殺して狂ってしまった男、どちらの方が普通なのか。
どちらが正常で、どちらが異常か。
そういった部分もまた、この作品の伝えたいことなのかもしれませんね。
おパゲーヌス
2010年07月31日 23:09
>F・C・Pさん
正常と異常の境目が分からなくさせる作劇であるという点、まさにその通りですね。

そこに「伝えたいこと」がきちんと入り混じってくるか、今のところ期待がかなり大きいですが、不安もかなりあります。よくよく注目しておきたいですね。
おパゲーヌス
2010年07月31日 23:12
>F・C・Pさん

っと、書き忘れ^^

人のカタチをしたものをいとも簡単に殺せるかどうかは、こればっかりは実際に体験してみないと何とも分かりませんが、自分は、わりと誰でもイケるんじゃないかと思っています。これに関しては冷めた見方かもしれませんが。ただそんな自分の感覚が、単なる平和ボケであるかもしれないと強く痛感させるドラマを、展開して欲しいところです。

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