おとめ妖怪 ざくろ 第2話「あか、煌々と」

今回は、第1話以上にシビアな観点から、異文化間のすれ違いを描くエピソード。




人間と妖人の確執という設定は、言うまでもなく、人間自身の歴史の中で何度も繰り返されてきた(そして今なお無くなることのない)対立構造の模倣である。とくに今作が舞台としている明治期というのは、全世界的な規模で、帝国主義に邁進する一握りの国や人々と、それに翻弄され辛酸をなめることになるたくさんの人々の理不尽な格差構造が形成されていった時代だ。先住民と征服民、多数派と少数派、資本家と労働者、白人と黒人・・・。いったいどうしてそんなに”違い”を強調したがるのか、とにかく人間というイキモノは区別し差別するのが心底、大好きらしい。本当に、ロクでもない生き物だと思う。


アニメ等の創作において、そうした差別意識を取り上げ世界観の中に組み込む作品は多い。それだけ普遍的かつ切実なテーマとして、現代もなお認識されているのだろう。「おとめ妖怪 ざくろ」においても、牧歌的なキャラクターによるむずがゆくなるようなラブコメをやろうと言うには、あまりにも厳しく冷酷に、人間による妖人差別を描き出している。ざくろの過去が気になるよう仕向ける伏線が張られていたが、この人間と妖人の共存というテーマは、当初想定していたよりもずっと深い部分で、作品を貫いているらしい。




今回かなり驚いたのは、今回の敵として設定されていた小さな影の妖人を手なずけた後、人々に向かって高らかにメッセージを訴えかけたざくろの言葉が、それ自体かなりぐっとくる説得力のあるものであったのに、いともあっさりと周囲の人間たちから拒否されてしまったという点だ。


第2話の段階で早くも、これだけ真摯なメッセージ性を打ち出してくるとは思っても見なかったということもある。ただそれは良いとしても、恐らく作品の趣旨としてはかなり真っ当な”正義”として描かれたざくろの言葉。これを第2話の時点で劇中において否定してしまったというのは、ひどく衝撃的だった。ざくろが間違ったことを言っているのではなく、作品そのものが持つメッセージ性をはっきりと発信しているのに、その発信者(=作り手)が自らの手で、その言葉がいかに伝わらないか、どうやって否定されてしまうのかを、描いてしまった。


一応今回は、花楯中尉が思いきった決断で救ってくれたおかげで、ざくろの発言も救われたカタチにはなった。だが、彼女の言葉が一般庶民に届いたわけでは断じてなく、むしろ手をもみしだいてすり寄る実業家の姿からは、妖人省の面々と他の人間たちとの深い深い断絶が浮き彫りとなっていた。


”この手の作品で”などという枕詞を付けることは、失礼にあたるかもしれない。しかし、第1話時点ではまさしく自分は、軽い気持ちで眺めていればいいだけの作品になるかと思っていた。それが、まだアニメがスタートしたばかりというこのタイミングで、伝えたいことの内容ではなく、いかに伝えるかが大きな懸念事項となっていることに、正直驚きを禁じ得ない。


理想を語るのは容易いし、机上の論議の範疇であれば正しい答えを発言することは誰にでも出来る。実際、世界平和の貴さと、その実現のためにどのような理念が必要であるかは、多くの人が何度も何度も口にしてきたことだ。だがそれでも、いまだに平和だの共存だのといった理想が実現されるビジョンがまったく見えて来ないのが、現代の混迷である。これを踏まえた上で、今作が描き出す人間と妖人の共存へのビジョンというものが、どれほどの価値を持つことになるであろうか、大いに期待を膨らませている。




もちろん、純粋にエンターテイメントとしても、今期アニメの例に漏れず非常に素晴らしい出来映えの作品である。もっと地味な作品になるかと思ったが、色んな意味でしっかりと自己主張してくれているので、次回以降も大いに楽しませていただこう。




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それでは、今回は以上です。


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