刀語 第12話(最終回)「炎刀・銃」&シリーズ感想
なんたる名作!! 歴史ドラマに特有の面白さ・感慨深さが、ぎゅっと濃縮された物語だった!
・ついに完結!
左右田右衛門左衛門の持つ炎刀・銃によって腹を撃ち抜かれたとがめ。前回の衝撃的結末からいったいどのような展開が導き出されるものか見当もつかなかったが、まさかのまさか、ヒロインであるはずのとがめが本当に死んでしまうとは思わなかった。さらに、とがめが実は七花を殺そうと考えており、自分の感情さえも駒と看做すほどの冷酷さをもって復讐を遂げようとしていたことも明らかとなり、哀しさや痛ましさと同時にひどく驚かされる展開だった。
終盤で重要キャラ(それこそヒロインでも)が死んでしまうと言うのは、あり得ない話ではないが、しかし最近ではとても珍しい印象がある。ハッピーエンドばかりが持て囃される昨今の風潮に馴れきっていたこともあって、とがめの死という事実がひどく重たく感じられた。そしてだからこそ、将軍の命をめぐる否定姫や七花のドラマが、荘厳かつ悲壮な調べを奏でていたと思う。ただ七花が決死の覚悟を見せただけでは、ここまで切迫したドラマは描けなかった。
そして、今作で第1話からずっと描かれてきたテーマ。このエンターテイメント超大作が、我々の人生に直接的にアピールするようなメッセージ性を持っていなかったことは明白で、未来(すなわち我々の生きる”今”)から過去を振り返ることで国のあり方に警鐘を鳴らすという要素も無くは無かったけれど、結局、とがめの野望も、否定姫の陰謀も、四季崎記紀の壮大な計画も、すべて破綻してしまった。そこには、劇中で直接語られている言葉はすべて、虚構であり夢物語でしかなかったのだと、自己言及しているかのようだ。
しかしそうした直接的な描写の裏には、最後にナレーションによって語られていた通り、不器用で不格好に、しかし精一杯に生きている人間たちの、理不尽で不条理で出来そこないな、だからこそ愛おしい「生」というものが、描きだされていた。むろんその「生」も作り物ではあったのだけれど、しかし作り手の放つメッセージが剥き出しのまま提示される多くの教訓めいた物語に比べて、今作で描きだされたキャラクターたちは、より本物の「生」を生きていた。人間の心の不条理さ、人生というものの不条理さ、歴史そのものの不条理さを、西尾維新が、そしてアニメスタッフが、ものの見事に画面の中に描きだした、まさしく人間たちのドラマであったと言えよう。
歴史の面白さとは、まさにそうした不条理さの中にこそある。歴史から教訓を導き出そうとするのは間違いだ。歴史とは、たった一度きりの二度とは無いかたちで提示された、人間たちの生きた証である。そこに人間本性を探究する学問が歴史学であり、また文学なのだ。そうでなくては、歴史を学び語ることの意味は無いし、歴史の面白さもまた虚ろなものとなろう。歴史は繰り返さない、だからこそ面白い。この「刀語」という物語もまた、作家の手の中で構成された作り物の歴史ではあったが、歴史の価値と楽しみを存分に追求し表現する試みとして、高く評価されるべきであると思う。
・覚醒した七花のかっこよさ
とがめを失って、「死ぬために」と言って尾張城に乗り込んで来た七花のカッコよさといったら、半端なものでは無かった。城門を突き破った時の立ち絵といい、第1話での六枝を彷彿とさせる城兵との戦闘シーン、そして城内での、怒涛の12連戦。まさに最終回に相応しい描写と展開は、まさに手に汗握るものがあった。
家鳴将軍家御側人十一人衆。この物々しい名前と格好をした剣客達が、一人ひとり七花と対決していく様はじつに良かった。彼らは七花にまったく歯が立たなかったが、ここは別に七花の強さを証明するとかそんな理由ではなく、単なる様式美だと思っておけば良いだろう。各階に一人づつ立ちふさがる敵を倒していくというのは、塔の最上階をゴール地点に据えた物語の定番であるし、また三国志ファンなら、『演義』において関羽が五つの関門を突破し六将を斬って劉備のもとへ駆け付けた、いわゆる”千里行”を連想された方もいたのではないだろうか。七花の鬼気迫る突破力を、存分に堪能して惚れ惚れしておけば良い場面だ。
誠刀・銓を放り投げた女の子は可愛かったけどww このキャラに和み、かつ毒刀・鍍に毒された11番目の敵を「解放」して見せた時点で、七花の体から感じる凶器(狂気)の印象はぐっと薄まった。そしてその上で、唯一話の通じる(=対等に戦える)相手である右衛門左衛門との対峙において、七花はいま自分の考えていることがどこにあるのかを、セリフとして吐き出すことになるのであった。このあたりの、テンションの上げ下げ、視聴者の意識の導き方はじつに巧妙だ。
その右衛門左衛門との決闘は、もう何も言うことがない。眼前で繰り広げられる描写の素晴らしさに惚れ込むと同時に、二人の男の信念と生き様とが交錯し火花を散らす、その圧倒的な熱気に酔いしれる。これだけのものが見れるなら、余計に前回、正気の真庭鳳凰と七花の直接対決をやってほしかったなぁ。
そして最後の最後、七花のこれまでの人生にも、そしてこの物語そのものにもケジメをつける、将軍暗殺。ただ殺すだけではなく、城そのものを真っ二つにしてしまうとは。こういうシーンの迫力は、やはりアニメならではだろう。将軍の惰弱さが目に余るが、だからこそ、とがめの意志を半ば受け継いだような七花の行為が、物語の幕切れとしてこんなにもふさわしく映るのだろう。
この物語は、誰一人として勝利者や成功者のいないまま多くの人間が傷ついたり命を散らした、不毛な事件を描いたものであったと言える。一人の人間の意志や行動ではどうにもならない、歴史の運命の残酷さ、抗いがたさを描きながら、幸せになれるとも分からないのに希望を持ち続けて生きようとする人間達の不条理な人生を、EDと、それに続く後日譚によって改めて象徴して見せたようだった。そして、全身に刀傷を負いながら前に進んで見せた七花の姿もまた同じである。大切な人を失い、また壮絶な戦火をくぐり抜けて見せた七花が、いまや団子屋でのん気に茶をすすりながら、地図作成のための全国行脚に励んでいる。真剣に戦うかっこよさと、気の緩んだのん気な(そして極めて七花らしい)表情を、同時に抱え込んでいる七花という”人間”の愛おしさこそが、今作の辿りついた結論だったのではないだろうか。
・大河アニメは、成功だったか
毎月1本の1時間アニメを、1年かけて放映するという今作のスタイル。初めは、その遠大な計画に舌を巻くと同時に、冗長になりはしないか、記憶が保てるかどうか、そもそもこのアニメがそれほどの実験作として成立するのかどうか、大いに不安を感じたものだった。
果たして、シリーズ序盤の今作の冗長さは、TVアニメの放送枠はやはり30分が適度だったのではないかと考えたくなる大きな要因であった。とくに、それは全てのアニメが30分枠が良いというのではなく、この作品をアニメ化するにあたって1時間という尺ではもたない、という評価だ。原作の問題、アニメスタッフの力量などから、今作の放送スタンスはあまり奏功していないと思った。少なくとも画面の魅力に関しては、最初の3話は決して高くは評価できなかった。
それを思い返した時、よくここまでのレベルに持ちあげることができたものだと感心させられる。もちろん物語については、この原作のアニメ化という点では毎月1エピソードというスタイルが非常に適していたのは、確かであったと思う。内容自体もとても面白かったので、1か月の間隔がそれほど長く感じられることは無かった。あとは映像の問題で、序盤のころに感じた冗長さは回を重ねるごとに薄れていって、むしろ非常に濃密な、1時間があっという間に感じられるような画面作りが出来るようになっていったのは、大きい。やはり、アニメは絵で語ってなんぼだと思う。
ただそれでも、仮にこの内容を、30分×24話で、半年の間に放送しても、決して問題は無かったように思う。それだと第4話は致命的な事態に陥るけれど、他の話数については、30分ごとに区切ることで視聴者がよりテンポよく消化し楽しめるようになったのではないか。それに30分尺なら、各話ごとにもっとはっきりとメリハリを付けなければならなくなるから、いっそう面白い作品に仕上がる可能性も高いと思う。大河アニメということで注目されたのは確かだろうが、この放送スタイルだからこその強みを、さほど感じることは無かったのはもったいない。
しかしここで気になって来るのが、この企画がおおむね成功したと評価された場合に、同じような企画が再び行われることはあるのかどうか、という点だ。
大河アニメのスタイルを取ることで決定的に有利になると思うのが、一本の骨太のドラマを描きやすくなるということだ。現在、たとえ2クールの作品でも、数話単位の小粒なエピソードを数珠つなぎにして、なんとか視聴者を飽きさせずに半年間繋ぎとめておこう、というようなシリーズ構成が主流である。しかしそれでは、あくまで手軽なドラマの延長上にしか作品を構築することができず、長編ストーリーを楽しみたい視聴者にとっては、せっかくの2クール枠の無駄遣いとさえ感じられてしまう。細切れにはなっていない、がっつりと取り組むことができる物語が、再びアニメの本流のひとつとして復活して欲しいと、そう考える受け手・作り手は少なくないのではないだろうか。
そうなると、この大河アニメという手法は、作品選びや見せ方さえ間違わなければ、非常に効果的である。とくに「刀語」が見事に示した通り、歴史を題材に取った一大スペクタクル巨編、みたいな作品をアニメ化するのには、格好の舞台なのではないだろうか。
「刀語」は、歴史ドラマの体裁を取ってはいたが、実質的には極めて今風な小エピソードの数珠つなぎによるオムニバス形式の作品であった。しかし、NHK大河ドラマで扱われるような長大な物語を、長い期間をかけて丁寧に映像化するなら、もっとこの放送形態は有効活用できると思うのだ。とくに、役者の関係で日本史ばかりを扱うNHK大河ドラマとは異なり、アニメなら、時代や地域にこだわらずに映像化することができる。このうま味を、どうにかして活用して欲しいというのが、歴史ファンとしての希望である。
例えば、岩明均「ヒストリエ」など、もし十分に原作のストックが溜まって、アニメ化しようなどという動きになったときに、どうだろう、1話1時間×全12話で映像化したら、売れるかどうかは謎だけれど、コアなファンを獲得する名作に仕上げることができるのではないか?w あるいはオリジナルでも、ハンニバル戦役やナポレオン戦争、東洋なら楚漢戦争など、適切なストーリー構成力と一定以上の映像クオリティさえあれば、十分に現代の視聴者に訴えるだけのドラマを描くことが出来ると思うのだ。売れるかどうかは謎だけどww
でも一番、TVアニメ化して欲しい作品は、永野護「ファイブスター物語」だったりする。この作品も、SFというよりはまさに歴史であり神話であるから、これこそ大河アニメの枠にふさわしい上に、根強いファンも多いからそれなりのセールスを約束できる原作作品だと思う。絶賛休載中(笑)の現行エピソードは無理としても、単行本第8巻(アトロポスの話)までで構成すれば、絶対にいいアニメ化企画になると思うんだけどな。無理かなぁ・・・。
----
それでは以上となります。どうもありがとうございました。
これまでの「刀語」記事はこちら↓
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・ついに完結!
左右田右衛門左衛門の持つ炎刀・銃によって腹を撃ち抜かれたとがめ。前回の衝撃的結末からいったいどのような展開が導き出されるものか見当もつかなかったが、まさかのまさか、ヒロインであるはずのとがめが本当に死んでしまうとは思わなかった。さらに、とがめが実は七花を殺そうと考えており、自分の感情さえも駒と看做すほどの冷酷さをもって復讐を遂げようとしていたことも明らかとなり、哀しさや痛ましさと同時にひどく驚かされる展開だった。
終盤で重要キャラ(それこそヒロインでも)が死んでしまうと言うのは、あり得ない話ではないが、しかし最近ではとても珍しい印象がある。ハッピーエンドばかりが持て囃される昨今の風潮に馴れきっていたこともあって、とがめの死という事実がひどく重たく感じられた。そしてだからこそ、将軍の命をめぐる否定姫や七花のドラマが、荘厳かつ悲壮な調べを奏でていたと思う。ただ七花が決死の覚悟を見せただけでは、ここまで切迫したドラマは描けなかった。
そして、今作で第1話からずっと描かれてきたテーマ。このエンターテイメント超大作が、我々の人生に直接的にアピールするようなメッセージ性を持っていなかったことは明白で、未来(すなわち我々の生きる”今”)から過去を振り返ることで国のあり方に警鐘を鳴らすという要素も無くは無かったけれど、結局、とがめの野望も、否定姫の陰謀も、四季崎記紀の壮大な計画も、すべて破綻してしまった。そこには、劇中で直接語られている言葉はすべて、虚構であり夢物語でしかなかったのだと、自己言及しているかのようだ。
しかしそうした直接的な描写の裏には、最後にナレーションによって語られていた通り、不器用で不格好に、しかし精一杯に生きている人間たちの、理不尽で不条理で出来そこないな、だからこそ愛おしい「生」というものが、描きだされていた。むろんその「生」も作り物ではあったのだけれど、しかし作り手の放つメッセージが剥き出しのまま提示される多くの教訓めいた物語に比べて、今作で描きだされたキャラクターたちは、より本物の「生」を生きていた。人間の心の不条理さ、人生というものの不条理さ、歴史そのものの不条理さを、西尾維新が、そしてアニメスタッフが、ものの見事に画面の中に描きだした、まさしく人間たちのドラマであったと言えよう。
歴史の面白さとは、まさにそうした不条理さの中にこそある。歴史から教訓を導き出そうとするのは間違いだ。歴史とは、たった一度きりの二度とは無いかたちで提示された、人間たちの生きた証である。そこに人間本性を探究する学問が歴史学であり、また文学なのだ。そうでなくては、歴史を学び語ることの意味は無いし、歴史の面白さもまた虚ろなものとなろう。歴史は繰り返さない、だからこそ面白い。この「刀語」という物語もまた、作家の手の中で構成された作り物の歴史ではあったが、歴史の価値と楽しみを存分に追求し表現する試みとして、高く評価されるべきであると思う。
・覚醒した七花のかっこよさ
とがめを失って、「死ぬために」と言って尾張城に乗り込んで来た七花のカッコよさといったら、半端なものでは無かった。城門を突き破った時の立ち絵といい、第1話での六枝を彷彿とさせる城兵との戦闘シーン、そして城内での、怒涛の12連戦。まさに最終回に相応しい描写と展開は、まさに手に汗握るものがあった。
家鳴将軍家御側人十一人衆。この物々しい名前と格好をした剣客達が、一人ひとり七花と対決していく様はじつに良かった。彼らは七花にまったく歯が立たなかったが、ここは別に七花の強さを証明するとかそんな理由ではなく、単なる様式美だと思っておけば良いだろう。各階に一人づつ立ちふさがる敵を倒していくというのは、塔の最上階をゴール地点に据えた物語の定番であるし、また三国志ファンなら、『演義』において関羽が五つの関門を突破し六将を斬って劉備のもとへ駆け付けた、いわゆる”千里行”を連想された方もいたのではないだろうか。七花の鬼気迫る突破力を、存分に堪能して惚れ惚れしておけば良い場面だ。
誠刀・銓を放り投げた女の子は可愛かったけどww このキャラに和み、かつ毒刀・鍍に毒された11番目の敵を「解放」して見せた時点で、七花の体から感じる凶器(狂気)の印象はぐっと薄まった。そしてその上で、唯一話の通じる(=対等に戦える)相手である右衛門左衛門との対峙において、七花はいま自分の考えていることがどこにあるのかを、セリフとして吐き出すことになるのであった。このあたりの、テンションの上げ下げ、視聴者の意識の導き方はじつに巧妙だ。
その右衛門左衛門との決闘は、もう何も言うことがない。眼前で繰り広げられる描写の素晴らしさに惚れ込むと同時に、二人の男の信念と生き様とが交錯し火花を散らす、その圧倒的な熱気に酔いしれる。これだけのものが見れるなら、余計に前回、正気の真庭鳳凰と七花の直接対決をやってほしかったなぁ。
そして最後の最後、七花のこれまでの人生にも、そしてこの物語そのものにもケジメをつける、将軍暗殺。ただ殺すだけではなく、城そのものを真っ二つにしてしまうとは。こういうシーンの迫力は、やはりアニメならではだろう。将軍の惰弱さが目に余るが、だからこそ、とがめの意志を半ば受け継いだような七花の行為が、物語の幕切れとしてこんなにもふさわしく映るのだろう。
この物語は、誰一人として勝利者や成功者のいないまま多くの人間が傷ついたり命を散らした、不毛な事件を描いたものであったと言える。一人の人間の意志や行動ではどうにもならない、歴史の運命の残酷さ、抗いがたさを描きながら、幸せになれるとも分からないのに希望を持ち続けて生きようとする人間達の不条理な人生を、EDと、それに続く後日譚によって改めて象徴して見せたようだった。そして、全身に刀傷を負いながら前に進んで見せた七花の姿もまた同じである。大切な人を失い、また壮絶な戦火をくぐり抜けて見せた七花が、いまや団子屋でのん気に茶をすすりながら、地図作成のための全国行脚に励んでいる。真剣に戦うかっこよさと、気の緩んだのん気な(そして極めて七花らしい)表情を、同時に抱え込んでいる七花という”人間”の愛おしさこそが、今作の辿りついた結論だったのではないだろうか。
・大河アニメは、成功だったか
毎月1本の1時間アニメを、1年かけて放映するという今作のスタイル。初めは、その遠大な計画に舌を巻くと同時に、冗長になりはしないか、記憶が保てるかどうか、そもそもこのアニメがそれほどの実験作として成立するのかどうか、大いに不安を感じたものだった。
果たして、シリーズ序盤の今作の冗長さは、TVアニメの放送枠はやはり30分が適度だったのではないかと考えたくなる大きな要因であった。とくに、それは全てのアニメが30分枠が良いというのではなく、この作品をアニメ化するにあたって1時間という尺ではもたない、という評価だ。原作の問題、アニメスタッフの力量などから、今作の放送スタンスはあまり奏功していないと思った。少なくとも画面の魅力に関しては、最初の3話は決して高くは評価できなかった。
それを思い返した時、よくここまでのレベルに持ちあげることができたものだと感心させられる。もちろん物語については、この原作のアニメ化という点では毎月1エピソードというスタイルが非常に適していたのは、確かであったと思う。内容自体もとても面白かったので、1か月の間隔がそれほど長く感じられることは無かった。あとは映像の問題で、序盤のころに感じた冗長さは回を重ねるごとに薄れていって、むしろ非常に濃密な、1時間があっという間に感じられるような画面作りが出来るようになっていったのは、大きい。やはり、アニメは絵で語ってなんぼだと思う。
ただそれでも、仮にこの内容を、30分×24話で、半年の間に放送しても、決して問題は無かったように思う。それだと第4話は致命的な事態に陥るけれど、他の話数については、30分ごとに区切ることで視聴者がよりテンポよく消化し楽しめるようになったのではないか。それに30分尺なら、各話ごとにもっとはっきりとメリハリを付けなければならなくなるから、いっそう面白い作品に仕上がる可能性も高いと思う。大河アニメということで注目されたのは確かだろうが、この放送スタイルだからこその強みを、さほど感じることは無かったのはもったいない。
しかしここで気になって来るのが、この企画がおおむね成功したと評価された場合に、同じような企画が再び行われることはあるのかどうか、という点だ。
大河アニメのスタイルを取ることで決定的に有利になると思うのが、一本の骨太のドラマを描きやすくなるということだ。現在、たとえ2クールの作品でも、数話単位の小粒なエピソードを数珠つなぎにして、なんとか視聴者を飽きさせずに半年間繋ぎとめておこう、というようなシリーズ構成が主流である。しかしそれでは、あくまで手軽なドラマの延長上にしか作品を構築することができず、長編ストーリーを楽しみたい視聴者にとっては、せっかくの2クール枠の無駄遣いとさえ感じられてしまう。細切れにはなっていない、がっつりと取り組むことができる物語が、再びアニメの本流のひとつとして復活して欲しいと、そう考える受け手・作り手は少なくないのではないだろうか。
そうなると、この大河アニメという手法は、作品選びや見せ方さえ間違わなければ、非常に効果的である。とくに「刀語」が見事に示した通り、歴史を題材に取った一大スペクタクル巨編、みたいな作品をアニメ化するのには、格好の舞台なのではないだろうか。
「刀語」は、歴史ドラマの体裁を取ってはいたが、実質的には極めて今風な小エピソードの数珠つなぎによるオムニバス形式の作品であった。しかし、NHK大河ドラマで扱われるような長大な物語を、長い期間をかけて丁寧に映像化するなら、もっとこの放送形態は有効活用できると思うのだ。とくに、役者の関係で日本史ばかりを扱うNHK大河ドラマとは異なり、アニメなら、時代や地域にこだわらずに映像化することができる。このうま味を、どうにかして活用して欲しいというのが、歴史ファンとしての希望である。
例えば、岩明均「ヒストリエ」など、もし十分に原作のストックが溜まって、アニメ化しようなどという動きになったときに、どうだろう、1話1時間×全12話で映像化したら、売れるかどうかは謎だけれど、コアなファンを獲得する名作に仕上げることができるのではないか?w あるいはオリジナルでも、ハンニバル戦役やナポレオン戦争、東洋なら楚漢戦争など、適切なストーリー構成力と一定以上の映像クオリティさえあれば、十分に現代の視聴者に訴えるだけのドラマを描くことが出来ると思うのだ。売れるかどうかは謎だけどww
でも一番、TVアニメ化して欲しい作品は、永野護「ファイブスター物語」だったりする。この作品も、SFというよりはまさに歴史であり神話であるから、これこそ大河アニメの枠にふさわしい上に、根強いファンも多いからそれなりのセールスを約束できる原作作品だと思う。絶賛休載中(笑)の現行エピソードは無理としても、単行本第8巻(アトロポスの話)までで構成すれば、絶対にいいアニメ化企画になると思うんだけどな。無理かなぁ・・・。
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それでは以上となります。どうもありがとうございました。
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この記事へのコメント
右衛門左衛門にとって鳳凰は姫さんに出逢う前の彼にとっての全ての旧友だったらしいです。だから最期に「断罪炎刀」と言い直したのでしょう。
正気だった鳳凰とのガチバトルを見たかったですね。私の大好きなキャラである鳳凰と右衛門左衛門、この2人の過去を是非西尾さんに書いて欲しいです!!
虚刀「鑢」の本領発揮は凄まじい戦闘能力ですね、錆白兵やその母親・錆黒鍵は四季崎の完了形変体刀の失敗作であらゆる物体を刀にする全刀「錆」との戦いで巌流島が半壊するのも頷けます。
ちなみに黒鍵はただの素振りで天を切り裂き、大地を破断し、暴風を作り、遥か遠方を破壊する突きを繰り出す剣士で七実(七才)と2ヶ月戦ったんですよ。
そして姫さん可愛かったですねぇ~、油断してると惚れてしまいそうだと思ってましたが、やられたぜ…。
西尾作品で刀語は評価は高くありませんが、私はかなりのお気に入りな作品なので、素晴らしい出来映えのアニメには感無量です!!
以上、刀語のまとめの感想です。
長文失礼しました。
アニメだと、やや分かり難いんですが実は、とがめ(七実)と衛門左衛門の願いだけは叶ってるんです。七花と否定姫の生存だけは。
いや、原作既読者から見ても文句のつけようもない素晴らしいアニメでした。
感想お疲れさまでした。
そしてこの時期(12月1日)はちょうど期末試験の1週間くらい前なのです。
1年間、アニメではなく小説で、キャラクターの心情をくみ取りながら読み取りながらの一年でした。
一年間かけてキャラクター達に感情移入していったんです。
それが、最後の最後にコレです。
いえ、11月のラストシーン(と、6月の雪山シーンからの連想)でこのオチは読めていたんですが、精神的なダメージはかなり深刻で、結果テストは大惨敗というのが、今から3年ほど前でしょうか。
原作は巻数が進めば進むほど過去回想シーンが増えたり文字数が同作者の他作品と比べて少なかった事も作用して評価はあんまり高くはなったですが、少なくとも私には衝撃的でした。
書き溜め一切なしの月一刊行。
故に大河小説。
アニメになって嬉しかったし、覚悟もできていたから原作完結時よりかは冷静に見れたけど、悲しいものは悲しかったです。
今でも時々ラストが書き変わっていたりしないか12巻だけを読み返したりするんですが、まあ、ありえませんよね。
いえ、すいません。なんか色々書いてしまって。
まぁ、そんな具合そんな感じで。
でも時々、『あの時』七花が否定姫に悟らせなかったら一体いかなる未来が開けていたのだろうかと思わずにはいられない。
もし、とがめが七花を殺す前に七花と深い仲になるような事があったら? 果たしてとがめは七花を殺す事が出来たのだろうか?
などと、ありもしない未来の物語に夢想を抱く事が3年も続くくらいには、私は刀語が好きだったのでしょう。
おパゲーヌスさん的にはどうだったのか、ぜひ聞いてみたくはあるところで御座いました。
長々と、長文を失礼!
それぞれのキャラクターが最高に味のある個性を発揮していて、素晴らしかったですね。黒鍵さんなる人物にそんな設定があったとは・・・。それはぜひ映像で見たかったところですが、さすがにアニメ版では削られてる部分があるようですね。しかし映像作品としては、これがベストのテンポだったと思います。
金銀の二人のお姫様については、あの腹黒くて食えない性格が大好きだったので、ラストの否定姫の様子には少し戸惑いましたw いままで散々、男どもを尻に敷いてきた彼女が、いまや七花に邪険にされながらも健気についていってるというギャップは、とても面白いものがありましたが。でも、素直な否定姫は可愛いかったです。
とがめ、七実と衛門左衛門については、確かに彼ら自身の願い叶ったと言えるかもしれません。しかしこの結末が彼らにとって、納得がいくものではあったとしても、これが幸せだったのか、もっと他に取り得る道があったのではないかと、視聴者の心の中に葛藤を巻き起こすものであったのも確かだと思います。悪を打倒して幸せを掴む、みたいなストーリーがやはり主流とされる中で、あえてこのような切ない、モヤモヤを抱えたままの終わり方を選んだというのが、歴史モノらしい結末でたまらなく好きなのですが。
>感想お疲れさまでした
こちらこそ、このような拙い感想記事を読みに来て下さり、どうもありがとうございました。
大変な時期に大変な想いをしながら読まれていたのですねw 最終巻の刊行が受験直前ではなく、期末試験の前だったというのがせめてもの救いだったのではないでしょうか?w
さて結末の是非についてですが、自分はじつは、「敗北END」が大っ好きなのです。中高生時代から歴史小説が好きで、大学進学後も歴史を学んでいた身としては、主人公や正義とされる側の人物・陣営が、無残にも敗北して夢を散らされてしまう不条理さこそが、歴史ドラマのひとつの醍醐味だと思っています。また、そうした敗者たちが、民衆に愛されて書物の中に名前を残すというのも、歴史のロマンでしょう。
その意味では、今作のこのような結末はまさに我が意を得たりというトコロで、ショックというよりは拍手喝采でしたw しかも今作の場合、七花やとがめが主人公なのは当然としても、二人と対峙することになるキャラクターまで全部ひっくるめて、愛おしい、主人公キャラとして描かれていましたから、そんな彼らが一人として野望や夢を達成することができないまま、誰も勝つことなく運命の奔流にのみ込まれていったと言うのは、非常に感銘を受けるものでした。
このような感銘は、記事中で言及している『ファイブスター物語』や、あるいは漫画版『ナウシカ』も存分に味わわせてくれます。『刀語』やこれらの作品も、「あの時こうすれば」という歴史のifを想像したくなる作品という点で、共通するものがありますね。自分の大好きなFSSやナウシカに匹敵する作品はまず滅多に登場しないだろうと思っていましたが、今作から受けた感動は十分それに値するレベルだったのではないかと思っています。