伝説の勇者の伝説 第11話「悪魔の子」

天道是か非か




・粛清への序章


今回はライナたちメインの進行だったけれど、シオンのほうでも重要な動きがあって、こちらのほうが見逃せない。


今回描かれたのは、ミラン・フロワードの提案に対する、王の回答。それは、一時的に貴族を懐柔して尻尾を出すのを待つのではなく、あえて貴族を挑発するような人事を行って、貴族自身に王の意志を悟らせるというもの。明確に貴族に挑戦状を叩きつけたことで、歯向かうか協力するかは自由であると、粛清に対する言い訳をあらかじめ用意しているかのようなやり方とも言える。


シオンの選んだやり方は、ミランの当初の提案よりもいっそう多くの血を流すことになると、ミランはほくそ笑む。これはその通りであろう。慢心によって自分からコケるのを待つのと違い、性急な判断を迫ったということは、どっちつかずで決意を固めていなかった者たちさえ危機感を抱くことに繋がる。もともと王権の強い国家であればうまい具合に抑止力が働くかもしれないが、ローランドのように王がなめられている国では、それほど反国王の意志を持っていなかった貴族たちからも反感を買い、なし崩し的に反逆者を増やしてしまう可能性の方が大きい。被害を抑えようとして逆の結果を招くであろう皮肉を、シオンは思い至らなかったのだろうか?


むろん、聡明な王のことだ。そんなことは百も承知なのだろうから、やはりこのやり方は、貴族の犠牲者を少しでも減らすという口先だけの大義名分とは別のところに意図があると見るべきだろう。差し当たっては、粛清に踏み切った時の自分自身への言い訳のでっちあげと、もうひとつは貴族よりも平民の苦しみをこそ回避したかったのだろう。


そんな、心の優しさから来る甘さが垣間見えるシオンの決断が、いったいどのような事態に発展するのか。これは次回以降を待ちたい。




・ライナたちの死闘


続いてライナとフェリスの物語。こちらは、前回ラストに言及のあったアルファ・スティグマ保持者の少年を、非道な仕打ちから救い出す英雄譚。


今回の描写で、ライナたちの戦闘力、もっと言えばこの世界観における魔導師の、パワーバランスがだいたい掴めてきた。


今作序盤から、ライナがいかに規格外の魔法使いで、フェリスがいかにトンデモない剣士であるかというのを、強く意識させられてきた。だからこの二人はそれこそサイヤ人みたいなケタ外れの戦闘力を持っているのだと思っていて、さらにそんな二人を絶体絶命のピンチに追い込んだスイ・オルラとクゥ・オルラの二人はバケモノなのだという認識だった。


ただ、ひとくちに規格外だと言っても、それがどれだけ他の人間からはみ出した能力なのか、そのあたりが今回ようやく分かって来た気がする。すなわち、いくらローランド最強クラスの二人であっても、優秀な魔法使いや戦士を相手にしては、決して楽には戦えないということ。どんなに強くても、あくまで”たった二人”。あまり主人公を無茶な強さに描かず、それなりにリアリティのある戦闘力の設定に、自分としては大いに胸を撫で下ろした。一人いれば全世界を相手にだってできちゃうようなけた外れの設定の戦士って、全然面白くないと思っているので。ドラゴンボールは嫌いなのです。


やっぱり戦闘って、戦い合う両者が必死になってこそ燃えるというもの。複数の魔法騎士たちを相手にしてはあまりに分が悪いという状況で、それでも無謀な攻撃を仕掛け、無茶だと思われた救出作戦があと一歩で成功するというところで、無残にも少年を暴走させてしまう。この、一進一退、二転三転する作劇こそが、戦いを描くことの面白さだ。エスタブール反乱の時に不満だったのはまさにこの点だったのだが、あれは設定ではなく描写が悪かったのだということが、ライナたちの今回の死闘を通じてよく理解できた。




・天道是か非か


少年を救出したあとにライナが独白する神への不信は、宗教に否定的な多くの日本人にとってみれば、そもそも設問そのものが滑稽に映ることだろう。信仰を真摯に受け止めようとしない人には、敵の魔法使いたちが口にしていた「神」という単語の持つ重みを理解出来ようはずがないし、作り手でさえも軽率に描写しているようにさえ感じた。西洋の古典文学ではたびたび問題となるテーマであるだけに、もっと深く突っ込んで描写して欲しいのだけれど、まぁこればかりは仕方が無い。


とはいえ、自身や少年の運命を呪うライナの言葉は、一神教の救済観を持たない人々にとっても、やはり非常に切迫した問いかけであった。今から二千年近く前に、ライナの言葉に通じる問いを発した人物がいた。




天道是か非か。この言葉は、史上もっとも有名な歴史書のひとつである『史記』に記されたものであり、その著者である歴史家・司馬遷が、自身の知りうる全ての歴史を書物に編纂する上で、その根底に据えたテーマである。


天道とは、天(神的なもの)の設定した道理のことを言う。具体的には、正しい行いをした人間には良き人生が、逆に非道な振る舞いに明け暮れた人間にはそれ相応の罰が待ち受けているという、古来より漠然と言われ続けてきた因果応報の道徳観念のことだ。どうして良い人間であらねばならないのか、それを考える時、現代人ですらこれと似たような思考を働かせているわけで、古今東西を問わず、社会的生活を営む人間が信じ続けてきた摂理である。


ところが歴史を探究してきた司馬遷は、良き行いをした人々が不幸のどん底に叩き落とされ、一方で悪人が幸福を謳歌している事例が多数あることを痛感する。それだけでは無く彼は、自分自身が天道の理不尽を身を持って体験することになるのである(司馬遷は無実の人間をかばって屈辱的な刑を受けた)。そのような学問上・経験上の思索から、果たして天道というものは正しい人間の味方なのだろうか、じつはそんな道徳観に意味は無いのではないかと、深く深く問いかける姿勢が、『史記』という歴史書には貫かれているのである。


天道是か非か。この言葉は、道徳に対するニヒリズムに陥ろうとする自分自身を叱咤し、人間の生き様になんとかして希望を見出そうとあがき苦しむ、そんな司馬遷の苦悩が凝縮されたような言葉だと思う。彼は人の運命という得体のしれないものを信じられなくなる一方で、それでも、道徳や美徳、あるいは生命そのものに宿る希望を見出そうと努力した。その努力の結晶が、彼の生きる時代までのすべての歴史を網羅しようという大著『史記』に結実しているのだが、ではその葛藤と努力に答えが出ているのかと言えば、それは否である。彼の問いかけは、今なお我々人間に突き付けられ続けている。




ライナは、自分はあまりその存在を信じてはいないであろう神という存在に向かって、アルファ・スティグマ保持者の望まない運命の理不尽さを突き付けてみせた。だが彼が本当にその告白を叩きつけたかったのは、誰に対してであったか。望まぬ運命を背負わされたことに対する理不尽さと同時に、そんな運命の理不尽さを積極的に肯定し助長する周囲の人間たちに対しての怒りが、彼の中にはふつふつと煮えたぎっていたことと思う。


人を不幸にする元凶は、ほとんどが人間自身である。人間たちがでっちあげた国家や宗教や法律といったものが、人を縛り、不幸の種を撒く。そこに運命の悪意を読みとろうとするのは、無邪気な現実逃避に過ぎないことの方が遥かに多いだろう。それに気付いたからこそ、ライナはレポートを作成し、それを読んだシオンやフェリスは心を動かされた。人の世界からひとつでも多くの不幸の種を取り除くこと、それが、今作の主人公たちが目指す理想であるのだろう。


だが、かの歴史家が悩み抜いて答えを見出せなかった問題をそうやすやすと解決することができないのは、すでに今作が十分に描いてきたことだし、今後も描き続けることであろう。そうした理不尽と不幸の連鎖の中に、我々視聴者は何を見出し考えるか。そここそが、この作品を受けとめる上でもっとも肝心な着眼点になるのではないだろうか。



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それでは、今回は以上です。


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