神のみぞ知るセカイ 第11話「おしまいの日」

これぞ、虚構の中のリアリティ、その極致だ!




・籠城戦、開始!


今回は汐宮栞編のクライマックス。ダルマや笹なんか入手していったい何のためのお遣いかと思えば、なんと”あの”栞が、本人もびっくりの籠城戦を開始した。まさかこんな展開になろうとは・・・燃えたっ!


図らずも前回の記事で、他者とコミュニケーションを拒絶し書物と空想の世界に立て籠る彼女のことを堅固な要塞に例え、また桂馬がそれを攻め落とす物語として考えてみた。いくらなんでも今回の展開を予想など出来ていなかったけれども、結果として前回の考察が、この第11話をより深く理解するための格好の足がかりとなったのではないだろうか。さらにもともと戦争を題材にとった物語が大好きであったということもあり、今回のエピソードにはすっかりのめり込んでしまった。


今回は、栞が物理的手段として図書館に立て籠もる様子が描かれたわけだが、そのような外面的状況が、栞というキャラクターの内面をきわめてよく象徴していた。逆に言えば、汐宮栞という要塞を桂馬が攻略してみせる展開を、よりダイナミックに我々に提示するためにこそ、栞の突飛な抗議行動が描かれたのであった。この立て籠もり事件は、普段はものを言わない栞が珍しく自身の主張を突き付ける行動であったわけだが、彼女が本当に守りたいものは本なのか、それとも空間なのか、という本質的な問いかけが桂馬によって突き付けられるために、事前に彼女の主張が(セリフではなく行動によって)提示されていたと言えよう。桂馬が栞の心の隙間を埋めたあの決定的な瞬間を、最高度の盛り上がりとともに描くための、周到に構成されたストーリーであったと思う。



・虚構によって描画されるリアリティ 


こう言ってはなんだが、栞にキスをすることで駆け魂が追い出されてくるという展開は、ずいぶんと間を端折った強引な作劇で、説明不足だとか不条理だと批判されてもおかしくないものであった。劇中、栞は桂馬に恋愛感情などほとんど持っていなかったハズで、いきなり唇を奪われただけで、自身のトラウマや劣等感や本当の願いについての様々な感情が一挙に解決されるなど、まったく説得力の欠片も無い。ましてやあのキスで本当に”勇気”を手にできるなど、もはや魔法のような不可解さであり、お伽話にもほどがある。


しかしこの物語は、栞がその内面世界を決して他者に語ろうとせず、そのために多くの誤解や理解不足を招いてきたように、劇の表面(セリフやキャラの言動やストーリー構成)から読みとれることなどほんのわずかしか無く、それ以上に多くのものをその内奥に抱え込んでいた。感情が理屈によって紐解くことができないのと同じように、栞の救いもまた、それそのもの自体が不完全な言葉というツールによっては、十全に表現することのできないものであった。そしてその点を、映像によって大いに語っていたからこそ、ドラマがあり、カタルシスがあった。栞の内面にどんな葛藤があり、それが桂馬によっていかにして救われたかは、モノローグで語られている以上のことを画面によって表現していたのである。これぞ、アニメーションのチカラであると言えよう。


なによりも、栞が本の山の中に埋もれて行き、あたかも深い水底へと引き寄せられていくかのように圧迫されていった様子。あるいは、高く大きい本棚の中に詰まっていたたくさんの本が、雪崩をうって溢れ出てくる様子。これらはあえて虚構のもとに画面を作り上げており、そのゆえにこそ圧倒的な迫真性を獲得していた。


図書館の内装や本のひとつひとつのディテールがかなり凝っていたので、我々はつい、画面に没頭し、その中の出来事をあたかも今、目の前で起こっていることだと錯覚してしまう。そのような現実感のある画面世界が突如として崩壊し、夢の中に引きずり込まれるようにして、いつの間にか画面は虚構(つくりもの)による演出で満たされる。胡蝶の夢ではないが、現実と夢、外部と内部の混同と錯覚こそはまさに汐宮栞の重要なキャラクター性である。頭で考えていることをついぽろっと口に出してそれでも気付かないような彼女の特性を、このもっとも重要な場面、すなわち栞の本当の悩みや願いが明らかとなる本への埋没シーンにおいて、我々視聴者に共有させ、栞の心のもっとも奥深いところへと導いてゆくのだ。


アニメは、決してリアル(現実)にはなれない。しかし非現実だからこそ、現実をそのまま描きだすよりも遥かにリアリティ(迫真性)に富んだ物語を、語ることができるのである。虚構であるからこそのリアリティとは、まさにアニメーションによる表現力の極致であり、『神のみぞ知るセカイ』第11話はその表現に果敢に挑戦して見せていたと、高く評価したい。




・勇気とキスと王子様


本は栞にとって、世界そのものであった。本に触れることでどれだけ世界が広大となり、また自分がどれだけ豊かな人物像を獲得できるかということは、第9話以来、くどいほどに語られてきたことだ。しかしそんな、何よりも大好きで、何よりも信頼していた本によって、自分の生き方が著しく圧迫され押しつぶされそうになっていたこと。自分の本当の希望さえも見失って、活字の海の中で自我を見失いかけていたこと。その事実にようやく気付いたときの栞のショックが、彼女の上に積み重なる圧倒的な本の山によってこれ以上ないくらいに表現されていた。そしてその山の向こうに見える青白いゲーム画面の光。この世でたった一人、栞のモノローグを聞こうと努力してくれた桂馬が、他の人々ともっとたくさん語り合いたいと願う栞にとって、どれだけ希望の光たり得たか。またそのことに思い至って、自分から勇気を出して手を差し出したとき、桂馬がその手を取って引きあげてくれたことが、どれほど嬉しかったことか。それを、我々は画面の中から感じ取ることになる。


彼は、勇気をくれると言った。しかし栞は、もともと自分が持っていなかった勇気を桂馬に与えられたのではない。彼女にとって、本の牢獄から足を踏み出すその最初の一歩は、正直に「怖い」と告げた、その一言だったろう。恐れは、拒絶ではない。人と付き合いたくないのではなく、付き合うのが怖いと表明したのは、それは人ともっと触れあいたいという意志表示に他ならない。その言葉を受けて初めて、桂馬は彼女を救い出したのであった。


勇気、などという目には見えないものの橋渡しに、口づけという手段を選んだのは、いかにもお伽話に出てくる王子様とお姫様の物語のようで、じつに象徴的だ。この口づけは、恋人のそれとは違う。桂馬は栞を愛してはいなかった。だが、恋とは、誰かと一緒にいたいと願う、もっともピュアな感情のひとつだ。桂馬はその感情を喚起させるべくキスをしてみせたのであり、いわばこの作戦の最後のひと押しといったところだろう。果たして、淡く儚い恋を本の中の出来事ではなく現実の感情として受け入れた栞は、本の中だけでは味わえないたくさんの素敵な出来事を求めようとするかのように、目の前の友人たちに向かって言葉を発し、物語を書き始めた。こうして王子様のキスは、お伽話さながらの効果を発揮したのであった。




・ホントに油断ならない


本編のラスト、鋭意執筆中の創作活動を覗き見されそうになって慌てて隠すのは、定番の演出だ。しかしそこで「ちょっと恥ずかしい場面もあります・・・」なーんてセリフで締めるあたり、ストーリーテラーとしての今作のセンスの良さにほとほと感心させられる。クライマックスのキスシーンではアニメーションの素晴らしさに感銘を受けたが、脚本のほうではこんな洒落た幕引きをしてみせるなんて、本当にこの作品には油断ならないw 1話単位で考えるなら、今期のすべてのアニメ作品の中における、ベストエピソードに認定したい。次回は残念ながら最終回だが、もし今回を越えるようなエピソードを見せてくれちゃったらどうしよう? そう考えると、いまから楽しみすぎてしかたない^^


とくに、TVシリーズにおける主だったヒロインをすべて攻略し終えて、恐らく単発の、日常話をやってくれるのではないかと思うから、その手のエピソードが大好きな自分としては一刻も早く見たいところだ。正直、第1話第2話の時点では、今作は今期アニメの中ではそれほど評価が高くなかったのであるが、近頃の話数では好感度がウナギ登りなので、最後にもうひとつ大きな華を咲かせて、決して忘れ得ぬ傑作として終わって欲しい。そのうえで本当に2期があれば、これ以上の喜びは無いのだけどw どうなるかなぁ、原作のストックがあるんならぜひやって欲しい。お話が面白いのは原作のチカラが大きいとしたって、こんな素晴らしいアニメーション作品を、たった1クールで終わらせておくなんてもったいない。そうは思いませんか?w




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それでは、今回は以上です。


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